「SWEET SIXTY THE 還暦!」小林克也還暦パーティ潜入レポート
去る3月27日、東京・恵比寿のウェスティンホテルで、日本が誇る偉大なディスクジョッキー、小林克也氏の還暦を祝うパーティが盛大に行われた。音楽業界、ラジオ業界の架け橋として第一線で活躍し続ける小林氏の功績をたたえ、会場には音楽業界の錚々たるメンバーが駆けつけた。Musicmanではこの日のもようをスペシャル・レポートとしてお伝えする。
司会・赤坂泰彦氏の紹介で現れた小林克也氏は、ブルーのアロハ・シャツというカジュアルないでたちで、なんと赤ふんどしをつけた青年たちにかつがれて登場。還暦とは思えない(?)意表をついた登場に場内はいきなり歓声の嵐。
「やっぱり還暦と言えば”赤”ですよね。だから私(赤坂)が呼ばれたんじゃないかと…」とふるDJ赤坂に、すかさず小林氏、「これが違う業界だったらオオオ〜ッとなるんだけど、この業界はこういうのがいちばんシンとするんだよ(笑)」
還暦だからぜひ赤いモノを羽織ってもらおう、ということで、幹事が探してきたのが赤いジャケットとカウボーイハット。プレゼンターのNACK5常務取締役、田中秋夫氏の挨拶が続く。「克也さんは我々にとっての人間国宝です。ラジオ業界、音楽業界にとってはなくてはならない存在です。これからもどうかお元気で、多少髪は薄くなっても(笑)、ますますご活躍していただきたいと思います。」プレゼントの後は、直径80cm以上はあろうかというケーキが入場。バンドの演奏にしたがって場内全員で「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を歌い、ロウソクの火が吹き消される。あまりの大きさに吹き消すときに克也さんの赤いスーツには真っ白なクリームがべったり。めざとく発見するDJ赤坂。「ああ、ゴルチェのスーツについちゃいましたね。」「え、これゴルチェなの?」「そうみたいですよ。あ、でも赤と白で、おめでたいってことですね」「だからこういうのはウケないんだよ(笑)」
そして、ポリドールの折田育造氏による音頭で乾杯。折田氏とは実は慶応大の同級生だったことが卒業後に発覚したという。用意されたドリンクはやっぱり「赤」ワイン。そして「還暦」と「アメリ缶」にちなんで「缶」ビール。そこまでこだわるかという気もするが(笑)、スタッフの気合いの入れようが伝わってくる。ここでしばらくご歓談タイム。
広い会場でも居場所がすぐにわかるように、ゲストと話し込む克也さんの背後には「KATSUYA IS HERE」の立て看板が。石坂敬一氏、稲垣博司氏、クリス・ペプラー氏などと歓談し、場内をまわったあと、ふたたびステージへ戻ると、豪華ゲストが登場した。
「いつも小林さんに電話すると、なかなか出てこられないんですよ。しばらくすると「おー、雅俊、今生放送中なんだけどな」「いいんですか、生放送中に電話なんかして」「いや、いいんだよ別に出ても」なんて言われて」と語るのは中村雅俊氏。
そして、克也さんと誕生日が一日違いの3月28日だという伊武雅刀氏。「思い起こせば20数年前、DJのオーディションを受けて、それで知り合いまして、スネークマンショーに誘っていただきました。その後僕は本来の役者の道でも何とかやっていけるようになりましたが、今の僕があるのもすべて小林克也という人のおかげだと思っています」 DJ赤坂が言うまでもなく、まさに「スネークマンショー」の向坂さんと桃内さんの会話を生で聞けるという貴重な一瞬だった。
お次はゲストのライブ・パフォーマンス。「十数年前、引っ越したうちの向かいが克也さんの家でした」という杉真理氏が、「Twist And Shout」を披露。さらに会場には現れなかったものの、録音によるコメントゲストがふたり登場した。まずは女性代表、松任谷由実氏。「小林克也さん、60回目の誕生日おめでとうございます。還暦と言えば2回目の成人式ですね。顔の悪いプレイボーイはいても、声の悪いプレイボーイはいないという伝説があります。あの情熱のスネークマンショーも、克也さんの色っぽい声があってこそのものだったと思います。これからもますます深みのましたすてきな仕事をなさってください」 そして、ナンバー・ワン・バンドでは多くの作曲を手がけた桑田佳祐氏(サザンには小林克也さんをモデルに歌った名曲「DJ・コービーの伝説」(「NUDE MAN」収録 / 1982年)もある)。「僕は小林克也さんはお会いする前からずっとあこがれていたDJでありパーソナリティで、今でもその気持ちは変わっていません。僕にとっては最大のミュージシャンであり、克也さんを越えることはだれにもできないと思います」と語り、弾き語りをプレゼントした。
そして今宵限りの「小林克也&No1.バンド」のライブ!
まずは「ラストダンスは私に」「この素晴らしき世界」を難なく歌い上げる。15年ぶりだというのにぴったり息のあったメンバーが紹介される。琢磨仁(B)、成田昭彦(D)、深町栄(K)、齋藤誠(G)、沢井原兒(SAX)という鉄壁の布陣に加え、紹介されたのは、パーティの中心役となって尽力した株式会社シャ・ラ・ラ・カンパニー代表、佐藤輝夫氏。
「冗談でレコードを作ったら売れちゃって、ライブもやって、そしたらアミューズの人にサザンが休みたいっていうからツアーやって、それでだんだんはまっちゃったんですよ(笑)。輝ちゃんはそのころずっといっしょにやっていたオリジナル・ギタリストなんです」
そして最後に愛するご夫人と娘さんが登場し、娘さんが読み上げた感謝の手紙に、思わず涙ぐむ一幕もあった。
「みんなうまいと言ってくれますけど、過大評価してくれてるんです。僕は実は6割くらいしかうまくはないんです。でも僕は一度仕事をすると、次はもっとうまくやるだろう、っていう希望を人に持たせる才能はあると思うんです。ほんとにうまいDJではないんだけど、ここにいるいろんな人たちが育ててくれたんだと思っています。あの、まだローンが残っておりますので(笑)、しばらくやります。僕もネタっぽく言えば、マイクを握って逝けたらなと思います。だから、これから僕を使う放送局の方は看護婦さんか、看護の心得のある女性を用意していただきたいですね(笑)。
今日は僕の誕生日というだけではなく、もっと大きな意味があったと思います。ラジオ業界全体がひとつになって大きなイベントをやることって、あんまりないんです。だからもっとラジオのためにがんばりたいと思います。僕は葬式はしないと思いますので、今日が一生一代の大晴舞台、大パーティでした。どうもありがとうございました!」
ラジオ業界、音楽業界が一丸となって企画された一大イベントはこうして幕を閉じた。
後輩DJを代表して締めくくったDJ赤坂の言葉は、偉大な先輩に対する愛情と敬意にあふれていた。
「僕たちは克也さんのような先輩達がいなければ、ラジオのなかに入ることはきっとできなかったと思います。道を作ってくださってありがとうございます。これからも日本のディスクジョッキー界の先頭をいつまでも走り続けて下さい。そして、克也さんにあこがれて、DJになろうとする若者を、ぜひ引き離してやって下さい。甘くはないんだぞ、と。本日はほんとうにおめでとうございました!」
現在3つのラジオ局で週末合計19時間の生放送を担当している克也さん。「大変じゃないですか?」との問いに「生放送のほうが楽なんですよ。時間がきたら終わればいいし、失敗しても、なにやってもいいしね」と応えるさまは、ベテランの貫禄を漂わせていた。
「今DJといえばクラブで皿回してるDJがいちばんかっこいいでしょ?だからそう意味でも今のディスクジョッキーは意識が高まっていると思いますよ。今後さらにラジオ局が増えたりしていけばもっと底辺が広がってよくなると思いますよ。まだまだがんばっていかないとね」
生涯現役で、「マイクを握ったまま逝けたら…」と語る克也さんがいる限り、日本のラジオ業界の未来は明るいと心強く感じさせてくれた一夜だった。
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