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吉田 敬 氏 スペシャル・インタビュー ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役社長

インタビュー スペシャルインタビュー

吉田 敬 氏
吉田 敬 氏

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プロフィール
 吉田 敬(よしだ・たかし)


1962年5月13日大阪府出身 1985年慶應義塾大学経済学部卒業
 同年株式会社CBS・ソニー入社 同社販売促進部門に配属
 1997年ソニーレコード・Tプロジェクトを立ち上げる
 2000年デフスターレコーズ発足
 2001年SME社より分社化 株式会社デフスターレコーズ設立、代表取締役就任
 2003年SME社を退職
 2003年8月1日ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役社長に就任

今までに手掛けたアーティスト(50音順)
 YeLLOW Generation、CHEMISTRY、the brilliant green、Sowelu、Tommy February6、平井堅 等

<ワーナーミュージック・ジャパン>
http://wmg.jp

—— 今回の移籍人事に関する経緯をお聞かせ下さい。

吉田:1年半くらい前に会長の稲垣さん(ワーナーミュージック・ジャパン 代表取締役会長 稲垣博司氏)とお会いしたのがまず最初のきっかけですね。そのときはスカウトとかそういう生々しい話はなくて、たんなる情報交換というか、普通のおつきあいで、それ以降、1〜2ヶ月に1度くらい情報交換をしていたんです。 もともと僕がCBSソニーに入社したときは、すでに稲垣さんは社内では雲の上の人でしたから、ほとんど接触もありませんでしたし、稲垣さんがソニーを出られてからはまったく交流もありませんでしたから、そうやっておつき合いしてお話を聞けることは単に光栄なことだな、と思って、それでざっくばらんにお話をしていたんです。それとは別に、僕自身今後どのようなスタンスで仕事をしていこうか、自分自身と会社の関係、環境を変えて新しいことに挑戦したい気持ちも膨らんできた時期でもあり、それが両軸で進んでいく中で、今年に入ってから正式にお世話になろうかな、という話になって、それで8月1日付けで就任したわけです。

—— 稲垣さんからのお誘いはだいぶ前からちらちらとあったんですか。

吉田:いえ、それも、どうでしょうね…年末から年明けぐらいじゃないですかね。よかったらいっしょにやらないか、ということで…(ワーナー社内の)土壌、風土はご自身が5年近くやってこられて整っているから、自分が整備した土壌のなかで自由にやってみないか、ということで、チャンスを与えていただいた形ですね。

—— ソニーとしてもデフスターというのはドル箱部署で、その社長が移るとなると、そう簡単な話ではなかったと思うのですが…。

吉田:ただ外から見られてる感じと、中にいてやっている現場ではかなり温度差がありまして、幸いにして3年ぐらい立て続けに、それも新人でヒットが続いたんで、売上自体は短い間にどーんと目立った感じだとは思います。ただ中にいて、そこで感じていたストレスというのもありますからね。それはなんていうんですかね…勝っているのに負けているような感じというか…売り上げだして結果を出しているのに、何とも言えない敗北感というか…

—— 勝ってるのに敗北感?!それはどういうことなんですか。

吉田:僕もわからなかったんですよ。それはもう簡単なことで、周りが伴わないからでしょうね。僕らはやはり(ソニーという)傘のなかの1つの会社であって、「デフスター=僕の会社」というわけではありませんでしたから。…経営を任されているようで任されていないという曖昧な感じにも気づいてきますし、結果が出れば欲も出る、ああしたい、これもやりたいと思っても、グループ全体の裁量によって思うようにできないというせめぎあいもありまして…もっと自由にやりたいという気持ちがどこかで大きくなっていたのかもしれませんね。

—— 僕らもソニーと長年つきあってきて感じますが、ここ数年、ずいぶんとお役所っぽいというか、妙に堅い感じに変わってきてしまったような気がします…。

吉田:外の方が感じるくらいですからね。僕はエンタテインメントの会社である「株式会社CBS・ソニー」に19年前に入社したんですが、今は100パーセント、ハードのほうのソニー株式会社の子会社になってしまってますから、どうしても電機メーカーのソフト事業部という位置づけになっているんです。結果としてハードを売るためのコンテンツづくりをさせられているっていう感覚になるんですよ。徹夜して、アーティストと喧嘩したりしながら、僕らはそんなつもりでものづくりをしているわけじゃないですよね。いい作品を届けてヒットを作りたい。夢がある仕事をしているんです。それに僕らはアーティストという生き物を扱っているわけで、ケガもするし病気もするし、休ませたり、人間ドックに入ったり、そういうことも必要なのに、たぶん上にはわからないんでしょうね。そこをはき違えてるんです。商品はパーツであり部品であり、そういうものを売ってたわけですから。たぶんこのままいるともっとひどくなると思ったんですよ。それで、ここではもうできないな、と。

—— でも相当引き留められたんじゃないですか。

吉田:これがね、それほど引き留められないんですよ(笑)。けっこうあっさりしていて…すごく今の現状を表してますよね。

—— では今回の人事は吉田さんにとって苦渋の決断だったとか、デフスターの高額年俸を振り捨てて、とか、そういうわけではなかったんですね(笑)。

吉田:ああもう、そうではないですね(笑)。いや、だって高額じゃないですから(笑)。そこにもやっぱり、おや?っていう感覚はありましたよ。

—— さっき仰ってた「成功してるのに敗北感」というのは、このこともあるんですか。

吉田:まあやっぱり穴ぼこも埋めなきゃならないですしね。今SME社ではレーベルが6つか7つありますけど、そこがしのぎを削って同じだけ争っていれば、そういう不公平感は味わわなくてもいいのかもしれませんけど。

スペシャル07吉田敬1

—— ではワーナーに来られてまだ1ヶ月たってませんけど、空気の違いとかはどのように感じられますか。

吉田:そうですね、まったく違います。違って当然ですし…入社前にとくにリサーチとかはしませんでしたから、感覚的に外から見てた印象ともだいぶ違いますね。ただ、個々の現場で人をみていくと、それぞれとても優秀な人が多くて、そこでうまくチームを作って機能させていけばいいと思います。デフスターの時はとてもいいチームで売上を作ってきたという自負がありますから、それに負けないくらいのいいチームを作れないかなと思ってます。

—— 稲垣さんが土壌を作られたというお話しでしたが、たしかに今は少数精鋭のスタッフが残って、いい感じになってるんでしょうね。

吉田:そうですね。そういう意味ではやりやすい環境だと思います。

—— 稲垣さんとのご関係ですが、ソニー時代は仕事上直接はご一緒していなかったんですか。

吉田:なかったですね。だってもうぺーぺーと副社長ぐらいの感じでしたから。たしか稲垣さんが取締役宣伝部長みたいな肩書きのときに僕は集英社とか講談社とか紙媒体の宣伝担当だったんですが、自分の担当してる媒体の役員の方とお話しさせていただきたいときに稲垣さんに来てもらったり…そのくらいでしたね。

—— 年齢も20歳くらい違うんですよね。そりゃそうですよね。ところで吉田さんは41歳ですか?歴代のなかでもとくにお若い就任ですよね。

吉田:プレッシャーですよね。

—— でも実績がおありですからね。

吉田:まあここでどこまでその実績を出していけるかということですからね。前はよかったけどここに来たらできなくなった、じゃ困りますから。今僕に課されてるミッションはとても明確で、邦楽のヒットです。ワーナーには洋楽のカタログもたくさんあって、アメリカからどんどん来るんですが、まずは邦楽の、しかも新人のヒットを向こう3年でいくつ作れるかということですね。

—— デフスターにいらっしゃった大堀さんもいっしょに移られたんですよね。ほかには?

吉田:そうです。デフスターからはプロモーションチーフだった大堀(正典氏)と黒岩(利之氏)、それと僕の3人ですね。あとソニーからはIT関連の田渕(元SME Network 田渕悟氏)と、ゾンバレコーズにいたA&Rの野本の計5人ですね。

—— デフスターのアーティストはそのままですよね。

吉田:ええ、もちろん契約がありますから。チームだけの異動ですね。

—— 将来的にはアーティストの移籍もありうるのでしょうか。

吉田:いえ、それに頼っちゃうとだめですから。それよりも新しいチームで新しいものをゼロから作っていかないと。そうでないと信頼していただけないですよね。今までも(ワーナーには)ソニーからの歴々が何人も来ては辞めて…してるわけですから。ある意味食い散らかしてるみたいな感じがありますからね(笑)。新しく来た人が新しい売上を作っていかないと。

—— ソニー時代に若き日の吉田さんが非常に影響を受けた先輩とか目標にしてる方はいらっしゃいますか。

吉田:そうですねぇ。稲垣さんを筆頭に濃い方が多かったので…まあそういう人は全部もうソニーにはいないですけどね(笑)。まず稲垣さんですよね、それから塔本さん(元ワーナーミュージック・ジャパン エグゼクティブ・ヴァイス・プレジデント/現プラティア・エンタテインメント株式会社 代表取締役社長 塔本一馬氏)もそうですし、Viewsicの加藤さん(株式会社エスエムイー・ティーヴィ 代表取締役社長 加藤哲夫氏)とか…稲垣さんの一連の方針を受け継がれてる教え子の方たちですね。僕はたぶんその一番下の世代ですから。僕が入社したころは、エピック・ソニーの色とCBSソニーの色と2つあったんですよ。エピック・ソニーは丸山さん(丸山茂雄氏)、CBSソニーは稲垣さんですよね。稲垣さんはわりと体育会系なんですよ。僕らは社内にいると怒られまくって、「会社にいるな、外に出ろ」って言われて。デフスターでもそのポリシーはありましたよ。僕は自分が教わってきたことを部下にそのまま伝えましたから。

—— これから音楽業界に入りたいとか転職しようとか思ってる人もたくさんこれを読んでると思うんですが、そもそも吉田さんがまずソニーに入られた経緯は?レコード会社に入ろうと思って受けたんですか。

吉田:いや、全然違うんですよ。とくに音楽関係に行きたかったわけじゃなくて、いろんな企業を受けたなかで、たまたま入っただけなんです。音楽関連の会社はほかはなにも受けてないんです。

—— ご自身が音楽やってたとか、どうしても音楽関係の仕事をしたかったとか、そういうわけでは…

吉田:まったくないですね。

—— 慶応大学経済学部卒ですよね。ほかにもいろんな会社に受かったんじゃないですか。

吉田:いや、それがあんまり受からなかったんですよ(笑)。のんびりしてたからですかね。

—— そうだったんですか。じゃあいわゆる普通の大学生が普通の就職活動の一環としてCBSソニーを受けたと。

吉田:そうです。だから自分がそうだったんで、その後新入社員の面接してても、いかに音楽が好きかとか、DJやってたとかバンドやってたとか、そういう話をするのがすごい多いんですよ。そういうのはまっさきに外してましたね(笑)。そんなのはべつに求めなくていいと思ってたんで。

—— 吉田さんはソニー時代にTプロジェクトを発足させて、そこからヒットストーリーが始まるわけですよね。ソニーはいろいろなレーベルやプロジェクトをたちあげた中で、Tプロジェクトだけが大成功したように見えたんですが…ご自身ではいかがですか。

吉田:僕は自信満々でしたよ。素材さえよければ絶対当たると思ってた。それまで販促宣伝を何年もやっていて、いろんなメディアの札はいっぱい自分のなかに持ってたんですよ。ラジオ、テレビ、雑誌、新聞もね、ヒットを作るときに使う札ですね。でも当時、僕らは何の発言力もなくて、ただ制作からきたもの、会社の押しものを持っていくだけの仕事だったんですよ。それがTプロジェクトでは自分で企画して素材を吟味できるようになりましたから。

—— 商品開発から口を出せたと。やっとやりたいことができたんですね。10年以上販促関係にいらっしゃったんですか。

吉田:そうですね。地方もやりましたし、いろいろやりました。そっちは完璧でしたから、Tプロジェクトではあとはいい素材さえ見つかれば必ずヒットすると思っていました。それがthe brilliant greenです。

—— なるほど。それから平井堅ですか。

吉田:そうですね。平井堅はすでにデビューはしてたんですけど、ブレイクはしてなくて、もう一度ストーリーを作るところからやり直そうと思って。

—— デビューから関わってらしたんですか。

吉田:ええ、平井は元々ほかの部署のアーティストのひとりとして関わってたんですが、Tプロジェクトに持ってきて、もう一度いちからやっていったんです。

—— デフスターのアーティストといえば研音さんとのつながりもありますよね。今回の事に関して児玉さん(株式会社研音 代表取締役社長 児玉英毅氏)はなにか仰ってますか。

吉田:けっこう心配していただいたんですが、最終的には僕が決めたことでしたから、それなら頑張りなさいと言っていただきました。ありがたい話です。

—— 株式会社デフスターレコーズ設立というのは、Tプロジェクトが独立したというか、分社化という形でしたよね。なにか環境の変化はありましたか。

吉田:そうですね。やっぱりTプロジェクトはソニーのなかのいちレーベルで、ましてや立ち上げたときは2人でしたから、やっぱりひとつのカンパニーとなるとモチベーションもあがりますし、責任の重さは感じましたね。

—— デフスターは2人からの立ち上げだったんですか。

吉田:いえ、Tプロジェクトは最初2人だったんです。それがだんだん人数も増えて、デフスターになったんです。

—— CHEMISTRYはデフスターになってからですか。

吉田:そうですね。

—— たたでさえいいアーティストがいたのに、分社されてさらにすごいアーティストが加わったという感じですか。

吉田:そうですね。

—— たまたまいいアーティストが重なっただけです、っていう話ではないと思うのですが、どうやって3連発のヒットが生まれたのでしょうか。

吉田:やっぱりデフスターができる前のTプロジェクトで、the brilliant green、そして平井堅というヒットが生まれて、そこで成功体験として僕がなにを体験したかというと、当時のR&Bをめぐるシーンのいろんな人脈、自分がそれまで持っていなかった人脈をアーティストによってさらに拡げてもらったんです。

—— 成功したからできてくる人脈というのがあるんですよね。

吉田:ありますね。それらを自分たちの人脈にしたことですね。一気に自分たちの札が拡がったんで、それをそのままCHEMISTRYにばっと使えたんです。そのころにはもうレーベル自体にブランドというか、信用度があったんで、レーベルとしてプロモーションもできたし、デフスターがやる新人という認識もしてもらえましたね。

スペシャル07吉田敬2

—— 洋楽はワーナーで初めて取り扱われるんですよね。

吉田:そうですね。でもまあ全部いっぺんにはできないんで、まずは邦楽を底上げしてから洋楽、と思ってますけどね。

—— 楽しみですね。邦楽は既に何か用意されているものがあるんですか。

吉田:いえ、もう今血眼になってやってますよ。とくに新人を捜してラインナップをそろえているところで、契約には至ってないんですけど。と同時に、内部の再編、チームのスタッフィングをやっています。

—— チーム再編やキャスティングに対して稲垣さんから指示があったりするんですか。

吉田:いえ、当面は自由にやってくれと最初に言われてるんで、まず自分でモデルケースみたいなものを作って、それを上にあげて意見を聞こうかなと思っています。「この人はこうで」って、あんまり先入観をもってやってしまうと自由な組み立てはできないと思うんで。

—— ワーナーのプロパーの方々からの受けはいいですか(笑)?感触として。

吉田:どうなんでしょうねぇ。それはわかりませんねぇ。僕が同じ立場だったらね、相当怪訝な感じだとは思いますけどね。実績はあるけど、何をしてくれるんだろうって思うでしょうね。だからそれをひたすら待たれてるというか、望まれているんだと思います。だから早いうちになにか形にして見せないと。反応もわかりませんしね。しゃべるだけならいくらでもできますから。

—— 実はみんなじーっと見てるんでしょうからね(笑)。

吉田:そうですね、視線はもう、体中で感じますね(笑)。

—— クリエイティブな部分にも携わりつつ、社長業となると毎日会議があったりしますよね。生活は変わりましたか。

吉田:変わりましたね。やっぱり朝が早くなりました。

—— 今まで遅かったんですか。

吉田:僕はデフスターの中では早かったんですけど、ソニーの時よりは1時間半くらい早いかな。

—— 具体的には何時ですか。

吉田:10時には会議やってますからね。

—— 10時に会議…普通の会社みたいですね(笑)。

吉田:そうですね。分刻みのスケジュールの時もありますし。まあ今は来たばっかりだからね。でも現場で外に行かなくちゃいけない人はできるだけ日中には会議しない方がいいと思いますから。ゴールデンタイムは外で、人と会う時間にあてないと。会議もなにかを生み出す建設的なものばかりじゃないですし(笑)。

—— 吉田さんの場合、まだ現役の現場人間でしょうから、今までどおり夜のおつきあいとかもあって大変でしょうね。

吉田:それはやっぱりそういうのがないとだめですね。僕もプレイヤー型の人間なので、そこが弱まっちゃうと意味がないと言うか…。

—— そうすると人の倍やらないとだめですね(笑)。

吉田:ほんとに二足のわらじでね。

—— 寝る暇ないですね(笑)。お酒は強いんですか。

吉田:まあほどほどに。でも稲垣さんなんて本当にそういうタイプだと思いますよ。超人的というか。そういうのを下で見てましたからね、すごいと思います。

—— 稲垣さんはなにがあっても一晩寝れば元気になっちゃいそうですよね(笑)。体力だけではなく、精神的にもタフというか。

吉田:夜にご一緒すると、遅い時間に「お疲れさまでした」って別れても、稲垣さんは朝の9時半とかにもう会社に来てますから。若い奴はそれより遅くは行けないので、もうみんな這ってでも会社に行ってましたね(笑)。

—— 稲垣さんはスーパーマンなんですかね。じゃあ吉田さんが来られたことによってまたそのバリバリの体育会系が復活するわけですね(笑)。

吉田:そうですね。そうあるべきだと思いますけどね。

—— ワーナーに来られてから社員に対しての所信表明をする機会はあったんですか。

吉田:一度就任直後に話す機会を設けてもらいました。さっきも言ったように、自分が体験した成功体験というのは、こういうビジネスにとってはすごく自信になるし大事なので、それを一緒に共有できるようにがんばりましょうと言いました。僕はこれまでthe brilliant greenからCHEMISTRYまで、アーティストと近い距離で、無のところから、まさにゼロから150万枚になる経緯を3回も見ることができたので、そういう成功体験を新しいスタッフと一緒にやりましょうと。

—— ライバルというか、目標にしている、意識している人はいらっしゃいますか。

吉田:それはいないんですけど、当面の目標というか、どこのお客さんをとろうか、何処を乗り越えていこうかということになると、SMEグループになりますね。 僕らの仕事ってやっぱり鮮度が大切だと思うんですよ。同じくらいのクオリティだったらやっぱり鮮度がいいほうが買われるのが当たり前ですよね。野菜でも果物でも。僕らは生身のアーティストを扱ってますから、鮮度というのには絶対勝てないんです。どこかを狙うときに、鮮度が落ちてきて、もうそろそろ食えるなというときに、そこの客をとっちゃうという考え方なんです。これはマーケティングによってヒットを作るときの理屈なんですが、何事も明確に敵を見据えてやるべきですから。マーケティングも経営もそうかもしれない。そこを目標にして、そこを超えられるようにしたいですね。

—— 非常にシンプルな目標ですね。

吉田:顔が見えますからね。顔が見えた方がいいですからね。

—— そのほうが実現しやすいですね。敵の正体も知ってることだし。では最後に、これは言っておきたいということがありましたらお願いします。

吉田:今は一日も早く金の卵、原石を見つけて、第2、第3のthe brilliant green、平井堅、CHEMISTRYをこの風土で作りたいですね。そして220人の全社員と成功体験を共有できるようにしたいですね。3年と言わず1年でやるつもりで。3年と思ってるとできないと思うので。自分のなかでは自分のケツを叩きながらね。今までも自分で自分を追い込んいったときのほうが結果が出せているので、緊張感をもってやっていきたいですね。

—— 御活躍を期待しております。今日はありがとうございました。

[2003年8月26日 青山・ワーナーミュージック・ジャパンにて]