梶原 進 氏 スペシャル・インタビュー 株式会社イズム 代表
2004年1月にオープンした “本当の音楽とは” をコンセプトに本格的な海外アーティストの音楽を提供する「大人のための新音楽空間」ライブスポット渋谷DUO。
オープンからちょうど3カ月が経つ現在、順調な滑り出しのようです。
その生みの親である株式会社イズム代表の梶原進氏にDUO誕生までの経緯と今後の展望などを伺いました。
梶原 進(かじわら・すすむ)
日本大学法学部卒業 米国UCLAにて音楽ビジネスを学ぶ
1979 株式会社第一プロダクション入社
1988.5 株式会社ニックス設立
1990.6 株式会社ニックスインターナショナルへ社名変更 代表取締役社長
1994.5 株式会社イズムへ社名変更 代表取締役社長
1998.5 株式会社イズム他イズムコミュニケーションズグループ代表取締役会長
グループ各社ではアーティスト、アニメ、コマーシャルの音楽制作、及びプロダクショ ン業務を行い実績を残す
2003年には松任谷由実、岡本真夜、2004年にはMISIAの海外アーティストによるカヴァーアルバムを制作し話題を呼ぶ
2003年8月に株式会社デュオ・ミュージック・エクスチェンジを設立
2004年渋谷にライブハウスduo Music Exchangeをオープン
duo MUSIC EXCHANGE >> http://www.musicexchange.com
—— そもそも、どんな経緯でDUOをオープンさせることになったんですか?
梶原:僕もよくクラプトンとか大きなコンサートを見に行くんだけど、やっぱり我々の年代は忙しいわけですよ。皆、それなりに。チケット自体も先行予約とかしてないから、行ってみるとびっくりするほど後ろの方の席だったり(笑)。おまけにコンサートが始まると、基本的に『ヴィジョン』でしかアーティストが見えない。肝心のアーティストは米粒みたいな大きさでしかない、これが現実ですよね。 更におまけに、コンサートが始まった瞬間からみんな立っちゃったりして……。そうすると、僕も立たなくちゃいけないのか、みたいな…。そういうことって、たぶん30代から上の世代は、みんな感じてるんじゃないでしょうか。
—— 座ってると見えないので、やっぱり立たざるをえない(笑)。長時間立って米粒を見ているっていうのは、体力的にはもちろん精神的にもつらいですよね〜…。
梶原:そうですよね。好きなアーティストをもっとちゃんと観れないの?ちゃんと音楽を聞けるような環境がなぜないの?って疑問に思ってたんですよ。 逆に言えば、ギャラも高いしニーズもあるから、大きな会場でやらないといけないし、っていうことなんだろうけど。だから、クラプトンとかマドンナとかビッグアーティストは、もちろん客のことを考えて、日本に長くいるわけにもいかないから、アリーナでやったり武道館でやらなくちゃいけないだろうと、それは理解できる。 でも、まぁ待てよ!と。 音楽ってそんな流行ものばかりじゃないよね。それほど旬ではないけど、音楽的には素晴らしい、とか…。音楽の判断の基準として「売れてる」とか「売れてない」とかいう判断の基準じゃなくて、自分なりの「いい」とか「悪い」とかそういう基準で見れないのかなぁと。 かつ自分たちがいいと思ったアーティストをもっと身近に、そしていい音で、ゆったりと酒の一杯でも飲みながら見られるっていうのがやっぱりどう考えても絶対必要だなって何年も前から考えていたんですよ。それで今回去年の夏ぐらいかな、ON AIR EASTが改築して、EAST自体が名前を変えてSHIBUYA O-EASTになって2階に上がって、1階が空いちゃうからっていうことになり、だったら僕がやろうかなと決めたわけです。意外に個人的な理由なんですよ。
—— その話というのは、向こうから声がかかったんですか?
梶原:そうですね、たまたま間接的に。
—— 他にもやりたかった方がいらっしゃったりしたんでしょうか?
梶原:色々な話があったらしいんですが、基本的に大家さんのケン・コーポレーションさんが1階もコンサート会場にしたいという意向があり、それでうちに決まったわけです。詳しくは知りませんが。
—— それだけの競合を差し置いて、梶原さんがあの場所を獲得できたっていうのは何かあったんですか?
梶原:ケン・コーポレーションの現場のトップの方にお会いした時に、海外のアーティストをこういう形で呼んで、まだ日本にないスタイルの会場にしていきたいんだっていう話をして、それが非常に評価していただけまして。それは日本のアーティストをブッキングすると、2階のEASTとバッティングしてしまうといった事情もあったんじゃないでしょうか。
—— 去年の夏、コンセプトを打ち出して、たった半年で一気に作っちゃったんですか?
梶原:そうですね、半年ですね。なぜかというと、12月の上旬ぐらいに消防と警察の検査をクリアしなければならなかったんです。上の階(SHIBUYA O-EAST)は12月の末にオープン予定だったんで、とにかく一緒にやらなきゃいけないっていう、既成条件があったんで慌てて作らざるを得なかったっていうのが事情かな。でも最終的には、こっちの方が先にできちゃったんですよね(笑)。
—— 実際に現地に建物を見に行って、これはいけるとすぐ判断できました?
梶原:見た時聞いていたものとは若干違っていたけど、あんまりそういうところでは意識はしなかったかな。まぁなんとかなるだろうと。中に2階を作っちゃえば、ある程度(スタンディングで約1000人前後、シーティングで300人ぐらい)は入るようなところにはできるな、と。とにかく作ろうという夢の方が先行していたから、物理的な話よりもそういう理想論的な話の方が頭の中の大半を占めてたんじゃないかな。
—— でもあれだけのハコですよね。そこから先の様々なことを考えると、どう考えても普通は半年ではキツイと思うんですが?
梶原:あんまり深く考えてなかったからできたんじゃないですか(笑)。
—— ほんとに何も考えずに?
梶原:うん、ほんとにあんまり考えてないでスタートしたからじゃないかな。海外のアーティストを呼ぶのは、そんなに難しくはないんじゃないかと。で、動いてみたら、僕が音楽業界長いからなのか洋楽とか著作権とか海外の出版をやってる人とか、そういう専門家たちがみんな協力してくれて。そのお陰でなんとか向こうでのエージェントも見つかったし、色々な人たちが協力してくれたおかげです。
—— 周囲がみんな協力してくれたんですね。コンセプトに対する賛同と同時に、梶原さんの人柄でしょうか。
梶原:とにかくみんなが単純に「そういうの見たいよな」って思ってくれたんでしょう。 さっき冒頭で言ったような、大人がゆったりと気軽に音楽を楽しめる環境っていうのが、もうそろそろ日本にもあってもいいじゃないかと。売れてるものとか旬なもの、ヒップホップとかレゲエとか、そのへんが結構今の主流じゃないですか。あとはアイドルでしょ。ブリトニーとか、ビヨンセとか。今の30代以上の世代には、ちょっと対応できない。しかも、それはそれでギャラがめちゃくちゃ高くて、来たときには武道館とかアリーナでしょ。そういうことを考えていくと、自分たちが望んでいるのはもうちょっと違う方向の音楽とかアーティストなんじゃないか、ジャンル的にも、もっとあるんじゃないかと。で、最初は自分の好きなリタ・クーリッジを呼ぼうとかクリストファー・クロスを呼ぼうとか、ロビー・デュプリーを呼ぼうとか、そういう濃いアーティストというか、大人の人たちがゆっくりくつろいで聞けるような、そんなアーティストこそ楽しんでもらえるんじゃない?っていうコンセプトのもと、ブッキングをはじめたのが去年の11月ぐらいからかな。
—— ところで、なぜジャミロクワイのJAY KAYがプロデュースなんですか?
梶原:JAY KAYは東京ドームでやったら、小さいところでもギグをやるとか、アーティストとユーザーとが身近なところでやりたいっていう意思がすごく強い人で、世界のどこでもいいから自分が納得できて身近でユーザーに触れられる場所「ライブハウス」を作りたい、探してるっていう話が聞こえてきた。じゃあうちとバッティングするじゃない、っていう話になって。それで僕がロンドンに行って、一緒にやらないか?と誘ったんです。で、ぜひやろう!ということになって、それから、会場のスピーカーをこうしようとか、内装・入り口・イメージをこういうふうにしていこうとか、インテリアに関してとか、音響とか照明システムとかにも全部意見を出してきて、図面も引きながら一緒に話し合って作ったんです。それが今のDUOなんですよ。
—— 最初、競合するかもしれなかったんで、仲間になっちゃったと?
梶原:そうですね。彼は世界レベルでそういう所を探していたのですが、たまたま、日本でそういうことをやるよといったら、ぜひ協力するよって言ってくれて。結構忙しい人だし、お金持ちなんで、なんでこういうことにわざわざ協力してくれるの、なんのメリットがあるのかなとも思いましたが、会場のビデオや音なんかを送ったらすごく気に入ってくれて。たぶん今年の冬か来年ぐらいに、ジャミロクワイが世界ツアーをやるんですが、そのときは必ず出演してくれると約束してくれています。
—— そうした経緯があって、実際にDUOのオープンに至ったわけですが、様々な苦労がきっとあると思うのですが…。
梶原:外部から見ると、DUOってどう見えますか?
—— スケジュール通りに煩雑なオペレーションをこなしていくのはものすごく大変なんだろうな、という想像ぐらいはつくんですが…。
梶原:実際にスタートしてみて気づいたんですが、これってなかなか日本にない珍しいスタイルだなと…。つまり自分の独自の判断で、招聘・制作・興行も宣伝もして、チケッティングもしていくっていう。そこが昔でいうと、小さなキャバレーみたいなもんですよね。ブエナビスタじゃないけど、キューバとか戦後アメリカにあったような。つまり小屋に親父がいて、オーナーとしての立場でアーティストのギャラの交渉から何から何まで全てやって、そのときの飲食と入場チケット売り上げて、なんぼ儲かったかっていうところで物事が終わっていく。…まるで昔の「芝居小屋」や「キャバレー」みたいだな、と思ったんですよ。単純にハコ貸ししているところとは基本的に考え方が全然違うでしょう。
—— つまりイベンターと劇場主とプロモーターとショー自体のディレクションから宣伝まで自分でやってるわけですよね。他にはないんですかね?
梶原:ないでしょう。世界的にもないんじゃないかな。昔のキャバレーだってそこまでやってなくて、誰かがその箱に売り込みに来るわけじゃない。それで、オーディションやって、よかったら出してやるよっていうことで。で、そこは飲食とかチケット入場料とかで儲けて終わりじゃない。そこに、うちは毎回アーティストが来るたびに映像も撮ってDVDまで発売しようっていう……とんでもないおまけまでついちゃった感じなんでね。けっこう複雑ですよ、これ。やっぱり今からでもやめといた方がいいかもしんないな(笑)
—— オープンしてから、この3ヶ月間を振り返ってみてどうですか?
梶原:そうですね、3月はカーラ・ボノフ(Karla Bonoff)とかはチケットがソールドアウトになったし、2月はスウィートボックス(SWEETBOX)、K-CI & JOJOも完全にチケットが売り切れて非常に評判がよかったですね。お陰様でお客さん達に高い評価をいただいています。環境、立地のよさも含めて、すごくいい音楽が聞けたって喜んでもらえてます。それにも増して評価が高かったのはアーティスト側。うちは音響システムだけで7,600万円使っちゃってるんだけど、通常あのぐらいの小屋だったら1,000万〜2,000万ぐらいの音響システムらしいんですよ。そこに、JBLのVERTECSシリーズっていう、上から釣って音の位置を動かせるスピーカーを入れたんですが、これが音がめちゃくちゃよくって。それで、クリストファー・クロスと彼のエンジニアが、最初に日本のちっちゃな小屋だと聞いていたので、あまり期待していなかったようなんですが、絶賛してくれまして、ここの音響システムは最高だ、ぜひまたここに来たい、と言ってくれて。クリストファー・クロスなんかはアメリカに戻ってから、みんなにその良さを伝えてあげるよって言ってくれまして、実際にナタリー・コールとかマイケル・マクドナルドとかに「今度DUOっていうのが日本にできて、めっちゃくちゃ音がいいから今度そこでやれば」って言ってくれた瞬間に、全米でDUOの名前が、ガーって広がっていったんです。だから、今はすごく楽ですね。電話で「DUOです」って言うだけで、各エージェントはみんな知ってくれてますから。
—— クリストファー・クロスがDUOの広報マンとして働いてくれたんですね。
梶原:そうみたいなんですよ。クリストファー・クロスが所属しているエージェントで、ウィリアムモーリスっていうところがあって、そこが全米最大というよりは、ほとんどの著名アーティストがそこに所属してるんです。で、そこに直で情報が入っていったので、こちらとしてはすごく楽になった。それもね、全然意図していたわけじゃなかったから。たまたま、音響をヒビノさんに発注したら、「だったらこれがいいですね」って提案されたのが7,600万のやつだった(笑)。
—— ふっかけられたわけじゃなくて?(笑)
梶原:そうかもしれないね(笑)。あとから、これって武道館クラスでも対応できるような音が出せますよって話をされて。最初はちょっと頭にきてたんだけど、結果としてはよかったんですよ(笑)。
—— うれしい誤算でしたね(笑)。
梶原:来日したアーティスト達はありがたいことに「また来年も是非DUOに呼んでくれ」ってみんな言ってくれるんです。
—— ライフワークになりそうですね、これは……。
梶原:うん……ライフワークですね。あまりにも大変ですけどね。
—— 実際には、どんなトラブルが起こったんですか?
梶原:実際にやってみたら、やっぱり全然知らなかったことが色々あって。一番驚いたのは、機材の運搬の問題ですね。彼らは200種類ぐらいの機材を持ってくるんですが、そのカーゴ代だけで、最初に呼んだクリストファー・クロスが400ナン10万でした!アメリカから日本に持ってくる機材の運搬料だけで。で、もう全然売り上げに見合わないから、どうしようみたいなことでちょっとメゲていたら、JALが協力してくれたんですよ。で、今はJALが正式なスポンサーになってくれて、カーゴ代金の問題は片づいたんです。それだけじゃなくて、JALは非常に協力してくれて、販売から機内誌での宣伝等もやってくれて、これがすごく助かっていますね。加えて、オフィシャルクライアントに、三菱モーターズ、サントリー、KDDIが付いてくれました。DUOのコンセプトをみんな気に入ってくれて、是非応援したいという話になって。
—— 大人達に待ち望まれていた場所だったわけですね。
梶原:たまたま各企業の担当のトップで決裁権を持ってる部長クラスの人たちが、だいたい僕と同じぐらいの歳なんですよ。それで、みんなそういう音楽がすごく好きで、そういう小屋ができるなら応援するよって言ってくださって。本当に嬉しいことですね。
—— ところで海外との交渉は誰がやってるんですか?
梶原:僕がやってます。
—— 梶原さんって英語がバッチリなんですか?
梶原:まあ、ほぼ。
—— 全部、ご自分で交渉できちゃう?
>梶原:そうですね、全部自分でやってますけどね。
—— 大学はアメリカで行かれたと聞いていますが?
梶原:はい。大学は向こうです。そういうのもあって、できてるんでしょうね。
—— もし全部通訳をたててたら、どうなりますか?
梶原:ああ、それはもう全然無理ですよ。毎日夜中の3時に電話だから。ナッシュビルのエージェントと。これどうする、ギャラいくら出せるとか、3日を6日にのばしてこうしようとか、一日2回のコンサートを1回にしてギャラの単価を下げようよとか、日々あるじゃないですか、そういう話が。それ全部英語でやんないといけないですから。
—— アメリカの学校に行ったというキャリアがあればこそですね。
梶原:そうかもしれないですね。それと、アメリカ人の性格知ってるから。普通の日本の企業だと、気が狂っちゃいそうなことが起こっても、まぁ僕はそんなこともあるだろうな、みたいな感じで。その辺のアメリカの契約とか、人間関係の対応はもしかしたら得意かもしれないですね。クリストファー・クロスもすごい神経質だって聞いてたから、コンサートに来る前に先に自宅行って、リラックスして一緒に話したり。で、一回会っていたから、日本に来たときも全くノープロブレムでした。
—— 海外のアーティストってすごいわがままだったりなどという噂も聞きますが?
梶原:そういう話も聞きますが、全部が全部そうじゃないですよ。
—— じゃあ今のところ、わがままを言う人はいないんですか?
梶原:今のところいないですね。まぁ多少はありましたけどね、別に解決できるわがままですから。 食事なんかも、渋谷の街にご飯を食べに行ったりしてますよ。
—— クリストファー・クロスやカーラ・ボノフが渋谷で牛丼とか食べていたりして(笑)。
梶原:ハハハ。本人たちもそっちのが楽しそうですよ(笑)。
—— みんな自然にやってるんですね〜。
梶原:そこらへんはあまり深く考えてないんですよ。そこがまぁアメリカっぽいかもしれないね。通常日本の企業だったら、完璧にケアして、それが結局のところアーティストのわがまま放題に繋がちゃったんだろうけど……。日本に来るアーティストに対しては、できるだけ普通の接し方をしよう、と。今までの日本のイベンターの接し方っていうのは、おこがましい言い方かもしれないけど、ちょっと丁重すぎたんじゃないかなって僕は思ってましたから。もうちょっと、人間なんだから、人間らしく…ホテル全部貸し切っちゃうとかっていうのはおかしいな、と。他人に会ったっていいじゃないか、みたいなね。
—— チケットの販売のシステムはどういう窓口があるんですか。
梶原:それはもう全部完璧ですよ。e+、ローソン、ぴあ、それから直売、全部やってます。 ぴあやe+もいろんな部分で協力してくれてます。媒体に関しては、主体がTBS、これもほんとにテレビのスポットを当ててくれてるし、それから後援がJ-WAVE。たぶん業界の人でJ-WAVE聞いている人は知ってると思いますけど、DUOって言わない日は一日もないぐらいたくさんプロモーションしてくれてますよ。ほんとにJ-WAVEには感謝していますね。それ以外にも今後LF(ニッポン放送)とかインターFMとか色んな人たちが協力してくれたり、あとは、金曜6時から7時の間にFM横浜とBAY FMとNACK5が3局同時中継の「OLEっち」(パーソナリティは赤坂泰彦氏)っていう番組があるんですよ。それが今すごい評判で。それを今度5月からDUOで公開放送やることになってるんですよ。関東エリアにはすごい威力があるというか、浸透するんじゃないかな。 それ以外にも新聞とかパブリシティとかも色んな手を使ってやっています。それなりの宣伝費は使っていますが。
—— 今後のビジネスとしての見通しはどうですか?
梶原:DUOで一番大切にしなくちゃいけないのは、金儲けとかってことではなくて、長くやり続けたいっていう部分と、冒頭に言った、いい音楽を身近で聞かせたいということです。今は最初だからみんな来てくれると思うんですが、これを2年、3年、10年って考えていくと、各アーティストもリピートになってくる。で、また今年も来ました、来年も来ますみたいな。そうすると、やっぱりアーティストの環境とか、ユーザーに対しての音楽の環境、それをきっちり作っておかないと、嫌がられたり、もう来ませんって言われたり、ユーザーももう見たくないてことになってしまう。こないだ3月にロビー・デュプリーが来たときに彼がすごくいいことを言ってくれたんですよ。何かっていうと、「私達アーティストは、DUOを応援します。なぜならばDUOは音楽を応援してくれているから」って。みんなから拍手が起きたんだけど。まさにうちは、そういうふうな会場になりたいな、と。ほんとにいいことを言ってくれまして、と後でロビー・デュプリー氏に挨拶に行きましたけどね。音響の問題とかシステムの問題とか運営の問題も含めて、来た人が会場に入ったところから、いい環境の中で音楽が聞けて、リラックスして、すごく楽しく帰っていき、そしてまた来たいなって思えるようなそういう会場作りを目指せば、きっと5年10年20年ずっとやっていけるんじゃないかと。そうなればビジネスとしても成功を収めていけるんじゃないかと思いますね。まずビジネスが最初にきて、アーティストの採算分岐がどうのっていうのが、いま我々の業界の現状じゃないですか。 まずは、音楽を共感してもらうような環境作りからはじめて、そこへユーザーの人たちが共感してくれて、そこからリピーターの人たちが増えて、DUOにもっと行ってあげようとか応援してあげようとかそういう人たちが増えていく。我々はあくまでも、音楽を愛する人たちのための環境をDUOで作ったんです。ここを徹底していかなければなと思っていますね。うまくいえたかどうかわからないけど、そんな気持ちで続けていければと思ってます。
—— いずれ梶原さんが、キョードー東京を作った永島達司さん (*1)みたいな立場になる日も近いかもしれませんね。
本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
DUO誕生から3か月。アーティストとの一体感を持てる距離感、そして時間を大切にしながら好きな人とお酒を楽しめる音楽空間を————そんな梶原氏の思い描いたコンセプトが見事に形となった「DUO MUSIC EXCHANGE」。その陰では、梶原氏自らが企画から制作を行い、アーティストのケアまでも行うという信じられないほどのハードワークをこともなげにさらりとこなしている姿には、正直驚きを禁じ得ません。「音楽を愛する人たち」に向けながらも、ご自身が「本当の音楽」を追求するひたむきな姿勢、何よりも音楽に対する情熱があったからこそ可能なのかもしれません。今後のDUOのますますの発展を予感させる、氏の心意気がひしひしと伝わってくるお話でした。
(*1)
永島達司 :ビートルズを初めて日本に来日させた伝説の呼び屋「タツ・ナガシマ」
参考文献「ヤァ!ヤァ!ヤァ! ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯 」野地秩嘉【著】
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