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榎本 和友 氏 スペシャル・インタビュー (株)ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役 /コーポレイト・エグゼクティブ社長

インタビュー スペシャルインタビュー

榎本 和友 氏
榎本 和友 氏

 低迷が叫ばれる音楽業界の中で、組織再編など大胆な改革を押し進め、業績も好調な株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(以下 SME)。改革の先頭を担っていた盛田昌夫氏の後を受け、代表取締役/コーポレイト・エグゼクティブ社長に榎本和友氏が就任されました。SMEの前身であるCBS・ソニー黎明期から同社を見続けた榎本氏に、今回の社長就任の経緯と今後のSMEの目指す方向性や、台頭著しい音楽配信ビジネスについてのスタンス、そしてご自身のキャリアまでお話を伺いました。

[2004年8月20日 / 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント本社にて]

 

プロフィール

榎本和友(えのもと・かずとも)

株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役/コーポレイト・ エグゼクティブ社長


1946年4月21日生。
1969年4月 シービーエス・ソニーレコード(株)入社。
同社東京第2営業所所長(1986年)、生産管理部部長(1990年)、SR制作管理本部本部長(1992年)、(株)ソニー・ミュージックコミュニケーションズ 代表取締役専務(1994年)等を経て、1995年、同社代表取締役社長に就任。以後、(株)ソニー・ミュージックエンタテインメント理事(1997年)、同社常務取締役(1999年)、コーポレイト・エグゼクティブ(2000年)等を歴任。2003年4月、(株)ソニー・カルチャーエンタテインメント設立とともに代表取締役に就任。2004年6月17日、(株)ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役/コーポレイト・エグゼクティブ社長に就任、現在に至る。

<Sony Music Onlilne Japan>
http://www.sonymusic.co.jp

 

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——まず最初にSME 社長就任への経緯をお話し願えればと思います。

榎本:正直言いまして、一番本人が驚いています。もともと岸さん(岸 栄司氏:元SME代表取締役 現SME 取締役)と前任の盛田さん(盛田昌夫氏:現ソニー(株) 業務執行役員常務)と一緒に組織の改革を手がけてきまして、その一環として組織を音楽事業系と独立事業系に分離し、私は去年の2月にソニー・カルチャーエンタテインメント(以下 SCU)という独立事業系の責任者になり、盛田さんはSMEの社長に就任しました。そして、盛田さんが頑張った結果、色々な意味でSMEが軌道に乗り、一部の会社を除いては業績が悪かったSCUも、おかげさまで大分業績が良くなりまして、「独立事業系も面白いビジネスだな」と思っていたんですね。ただ、盛田さんがソニーに戻るということになって、そのあとお声がかかったというのが経緯ですが、まったく予期していませんでした。いずれ盛田さんはソニーに戻る人だとは思っていましたが、SMEの業績も軌道に乗って、良い数字を残し始めていたので、もう少し彼がやるのかな? と個人的には思っていたんです。私も改革に携わっていましたので経緯を理解しているということと、まだ改革が完了しているわけではないので、経緯がわかる人間がもう少しやったほうがいいだろうということで私が指名されたのではないでしょうか。ですから、今までやってきたことをしっかり継承していくのが、私の最大のミッションです。

——ここ4、5年でSMEは大幅な改革をされて、分社化された時も業界内は驚いたのですが、その改革が一段落されて、現在は終盤に近いという認識なのでしょうか?

榎本:流れの速い世の中ですから、それに絶えず対応しなくてはならないと思っています。ただ、大きな意味でのファースト・ステップというか、丸山さん(丸山茂雄氏:前(株)ソニー・コンピュータエンタテインメント 取締役会長)の頃に始めた改革はほぼ最終段階ですから、仕上げというか今まで築いたものを「より強固にする」のが私の役割でしょう。ただ、時代が変わればまた着手しなくてはなりませんけどね。

——盛田前社長から継承される部分もあると思いますが、榎本さんが社長に就任されて、これからSMEはどこが一番変わるのでしょうか?

榎本:何が変わるんでしょうね。盛田さんは、あの若さにして経営的感覚が優れていますし、レコード会社のトップとして素晴らしい仕事をしたと思います。彼とはアプローチの仕方がちょっと違うだけで、根ざしているものは私と同じだと感じています。また、よく会話もしていましたから、彼から会社を引き継ぐことに対して違和感はないです。ただSMEの社員は結構気が弱いですから、彼には「そんな厳しいこと言うとみんな驚くぞ」と言っていましたね(笑)。でも、それくらいリーダーシップを取ったからこそ、早く改革を進めることが出来たと感じますし、私が同じことをやろうとしたら時間がかかるかもしれません。一年振りにSMEに戻ってきて一番驚いたのは、シェアとプロフィットのバランスが取れるA&Rが育っていたことで、これはこの1年間で盛田さんがしっかり教育をした成果です。私が同じことをしても、ここまで徹底できなかったんじゃないかと思います。

——スピード的にですか?

榎本:スピードもそうですが、私がやるとどうしても荒くなるんですよ。悪く言えば私は物の捉え方が大雑把なんです。座右の銘は「着眼大局 着手小局」、大枠でとらえて実際には現実的な部分に手をつけるというのが自分のスタイルです。また、アプローチの仕方は、私の方が幾分のんびりしているといいますか、「じっくり型」なのかもしれませんね。

——新人アーティストの育成に対しても、じっくり取り組まれていくのでしょうか?

榎本:それは様々です。アーティストはそんなに簡単に育っていかないでしょうが、反面、最近はサイクルが短くなっていますから、昔のように長い時間をかけることもできません。でも、アーティストを育てて世に出していくには、それなりに時間をかけないと駄目だと思いますね。

——社長に就任されて約2ヶ月経ちましたが、社内の雰囲気など肌で感じられますか?

榎本:どうなんでしょう、少し緊張感が無くなってきているのではないかな、と心配になっているんです(笑)。でも能力のある人たちに任せておけばいいんじゃないかなと思っています。おかげさまで、現在SMEは売り上げ的に好調ですが、逆に油断といいますか、気の緩みが出てきてしまうと困ります。下半期に向けて目玉になる作品が一杯出てきますから、それをしっかり売らなくてはなりません。制作も営業もそこはよくわかっていますので、心配はしていませんけれど。

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——今までも様々な組織で指揮を執られた榎本社長ですが、このたびSMEという大組織の社長に就任されて、現場に任せる比重は高まっていますか?

榎本:高まっていますね。逆に言うと現場にも責任を負ってもらうわけです。今までのような組織だと我々トップマネジメントが責任を負ったわけです。もちろん今でも負いますが、現場に任せた以上、彼らに責任を負ってもらう代わりに自由度を与えないといけないですね。我々は「小さな政府」として現場にある程度舵取りを任せなくてはいけないと思います。とは言っても、グループ全体は大きな軍団ですから、それぞれがあっちへ行ったり、こっちへ行ったりされても困りますので、旗艦に乗っている船長としては、できるだけ同じ方向に行くようにしなくてはなりません。どこかに目標を決めておいて「ここへ行くぞ!」と言った時に、多少蛇行する人も早く行ってしまう人もいるかもしれませんが、自由度を与えているわけですから、それは仕方ないと思っています。

——活力の引き出し方が鍵でもありますね。

榎本:そうですね。大変生意気な言い方かもしれませんが、当社は三十数年歴史を重ねてきて、先達がヒットのメカニズム、ヒットができる構造を作り上げてきたんです。アーティストの育成から、A&Rがいい作品を作り、そこで出来てきたものをマネージメントしていく会社を作ったり、そういった仕組みはしっかり出来ていますから、その仕組みが時代に遅れないようにすることと、それを任せるに足る人たちをどう配置するかということは、私の大きな仕事だと思っています。それさえしっかりやれば、ある程度の確率でこの会社からヒットが出てくるという自信があります。逆に、そこを混沌とした組織にしたり、適応しない人間を置いてしまうと上手くいかないんじゃないかとも思っています。

——一時期SMEはソニーのコントロールを受けて、大変なのでは? と勝手に想像していたのですが、最近はそのイメージが払拭されている気がしますが…。

榎本:正直言って、それはなかったんですよ。最初に当社はCBSでもない、ソニーでもないというジョイント・ベンチャー[CBS・ソニー]として、独自の風土の中で若い社員が勢いよく仕事をしていたわけですが、資本の系列がソニーに落ち着いた時にも、ソニーが音楽ビジネスに口を出してきたなんてことはありません。さすがに三十数年前のCBS・ソニー時代のような活力は少し失われていたかもしれませんが、それは社員の年齢が上がってきたり、それに伴ってコストも上がってきたことがネックになっていたので、人事面や組織、報酬制度も含めて、ここ何年かで見直しをしていたわけです。むしろソニーからの情報が側にあって、IT関連など他のレコードメーカーさんよりも一早く情報が入ってきますから、メリットに感じていました。もちろんブランド力もメリットでした。 ソニーの経営陣も「ソフト・ビジネスはSMEに任せておけば大丈夫」とわかっています。今、出井さん(出井伸之氏:ソニー(株) 会長 兼 グループCEO)や、安藤さん(安藤国威氏:ソニー(株) 社長)を当社の取締役に迎えていることも、我々のビジネスを理解していただくために我々が望んだことです。取締役会ではA&R担当がプレゼンをするのですが、そこで「こういう社員がやっているんだな」「こういう生業なんだな」ということをわかってもらい始めています。

——盛田さんでなければ成し得なかった改革が一段落して、これからはその改革を基礎に、実りを刈り取ろうという時に榎本さんは社長に就任されたわけですね。

榎本:大きく言えばそうかもしれませんけどね。5年近く改革を進める中で、構造を変えたりと色々ありましたが、一段落して気持ちも落ち着いて、その中で成果も出てきているので、これから「果実」をもっと実らせて、どのように収穫していくか? というところに来ているかもしれません。

 

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——現在、音楽配信が注目されていますが、榎本社長はこのビジネスをどのように捉えられているんでしょうか?

榎本:やはりアップルのiPodが音楽配信の世界を変えているんだと思うんです。「本当に来たな」と感じ始めています。レコード会社は、配信ビジネスにおいても、次のアーティストと新しい音楽を生み出せるような収益構造にしなければなりません。そのためには第一にレコード会社が配信ビジネスの主体になるべきです。しかし欧米は殆どレコード会社に権利関係が集約されているのに対して、日本は非常に複雑です。レコード会社の収益構造も今まではパッケージに集約されていましたが、それが配信となると音楽業界以外からも参入しやすくなりますし、権利も分かれているので、結局分散して次の音楽を作るどころではなくなってしまうという状況も生まれかねないわけです。ですから、そういった状況にならないように直販でやっていくのが基本スタイルです。そこから先は様々なバリエーションが出てくると思いますが、その前の段階まではしっかりやっていきたいと思っています。

——レコード会社の使命は、いい音楽を作り続けることですものね。

榎本:そうですね。それがレコード会社最大のミッションです。それがユーザーに一番喜んでもらえることですし、音楽自体が作れなくなってしまったら本当に不幸なことだと思います。SMEのような大きなレコード会社という組織があるから、世の中に色々な音楽が普及していくのでしょうし、無論インディーズもありますが、やはりレコード会社という仕組みがないと大きく広げていくのは無理ですよね。アーティストも生活があるわけですから、きちっとした収益が上がらないと困りますしね。そのためには大きく売ってくれる組織がないと駄目ですから。

——パッケージから配信に移り変わろうが、レコード会社は音楽を作り続け、収益を上げ続けなくてはならないということですね。

榎本:そういう仕組みの中でやるべきだと思っていますので、配信ビジネスについても、bitmusicで直販しているのです。日本は欧米にはない「貸レコード業」というものがありましたから、今までの配信ビジネスは黎明期のような状況だったわけですが、iPodに代表されるポータブル端末の出現によって、次のステップに入っていくと思います。一方で著作権についてユーザーに啓蒙活動をしなくてはいけませんから、色々なことを同時にやらなくてはならないですね。また、ノン・パッケージビジネスの普及によってパッケージの売り上げがどんどん減少していくかどうかは、もう一度しっかり検証する必要があると思います。

——現在、音楽産業全体としては下降線を辿っていますが、もう一度音楽業界・音楽文化を復活させる秘策のようなものはお持ちでしょうか?

榎本:今のところこれといった妙案はありませんが、まだ業界全体の無駄なコストがありますし、メーカー同士でコラボレートするなど、できるだけコストを絞り込んで業績を上げるという方法論はあると思います。今後は業界の枠や会社の枠を越えて、協力しなければならない場面がたくさんあるでしょうね。ただ音楽業界が不況だと言われますが、そんなに滅茶苦茶減っているのかなと思うんですよ。パッケージはピーク時に6000億円売り上げましたが、現在の4000億円というのは91、2年と同じくらいなんですよね。93年以降の大量にミリオンヒットが出た時代はややマーケットの膨張という意味で異常だったのだと思います。その当時、一般社会はバブルではなかったんですが、音楽業界はバブルでしたね。これは私の推論ですが、結局、この数年間で消えていった2000億円の半分くらいは流通在庫だったと思うんです。例えば全国三十数営業所に在庫を持っていた卸業者さんも、今は3カ所、4カ所に集約しているわけです。その間に外資の攻勢などがあって流通在庫が拡大し、あるところから流通在庫の整理が始まってだんだん減少していったというのが現状でしょう。ですから配信が伸びて、パッケージが2000億に極端に落ち込むかといったら、必ずしもそうはならないと私は思っています。これは希望的観測かもしれませんし(笑)、もちろん減少することを前提にした経営をしますが、そんなに悲観するものでもないのでは、と思いますよ。

——例えば、購買層の年齢も10年前と比べると明らかに変化してきていますよね?

榎本:私は団塊の世代の初期に属しますが、この世代は生活にも余裕が出てきて「音楽をもう一度楽しみたい」という人が一杯いるはずです。人口比率を見てもたくさんいらっしゃって、そういうエルダー層にどうやってもう一度音楽を楽しんでもらうかというマーケティングの仕方もあるわけです。ただ、こんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、彼らがレコード店に通うかというとすごく疑問なんですよ。これからは、私と同世代の方々がパソコンを使って、NET上でパッケージを購入する機会も多くなってくると思いますから、エルダー層に向けた商品企画が必要になるでしょうね。

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——現在、他のレコード会社との交流はあるのでしょうか?

榎本:この業界は、競争しているわりにメーカー同士の仲がいいですからね(笑)。でも不思議と会社同士が一緒になるという話はありませんね。各社が持っているカルチャーが違いますから難しいのかもしれません。日本は資本の関係で別ですが、海の向こうではソニーBMGという会社が誕生しまして、少なくともBMGファンハウスさんはソニーの資本が半分入った会社の傘下になったわけです。今のところ日本のSMEが直接影響を受けることはありませんが、今後なんらかのコラボレーションができるかもしれないですね。

——社長に就任されて、お忙しい日々だと思われますが、現場に出て行かれる機会はありますか?

榎本:さすがにスタジオには行きませんが、ライブに行ってアーティストに挨拶することはありますね。あとは制作スタッフと月に一回集まって情報交換をしながら、会食をしています。ただ、現場に出ていって指示を出すようなことはありません。現場は若いトップ達に任せたわけですから、彼らが自由にできるようにしなければいけませんから。そこは兄貴分として北川さん(北川直樹氏:SME コーポレイト・エグゼクティブ)が本当にマメに動いてくれていますので、彼を中心に回ってくれればいいわけです。IT関連は秦さん(秦 幸雄氏:SME コーポレイト・エグゼクティブ)に任せています。

——北川さんは大変人望の厚い方と伺っております。

榎本:そうですね。北川さんは良くやってくれていますよ。彼が現在のような立場になったので、今度は現場の中で兄貴分になれるような人が育っていくと、次の世代の人がトップになれるでしょうし、そういう循環を絶やさないようにしたいですね。制作は感性の勝負ですから、若い人たちの力が必要です。一方エルダー層に対しては野中さん(野中規雄氏)が代表取締役のソニー・ミュージックダイレクトという会社で、比較的ベテランのスタッフが制作に携わっています。これがやっと上手い具合に回り始めているところなんです。こういう循環を壊さないようにしていくことが1つのテーマになってくると思います。

——このMusicman-NETは音楽業界を目指している人が多く見ているのですが、そういった人や実際に「SMEで働きたい!」と思っている人に何かアドバイスを頂きたいのですが。

榎本:そのように当社を熱く思ってくれる方々は非常に大切だと思っています。ですから、そういった方々にはできるだけ門戸を開きたいですね。当社は新卒者も採用していますが、中途入社の方もいます。新卒者と中途入社の社員を分け隔てすることもありませんので、ご縁があればと思います。我々も常に新しい力を必要としていますから。

 

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——ここからは、榎本社長ご自身のことをお伺いしたいのですが、いつ音楽業界を目指そうと思われたのですか?

榎本:元々楽器の演奏はしなかったのですが、音楽は学生時代から好きでよく聴いていたので、レコード会社に入りたいと思ったんです。私はビートルズやカレッジ・ポップスが好きでした。大学の就職課へ行ってみたら、CBS・ソニーの募集があったんです。まさにCBSとソニーがレコード会社を作るという時期で、「面白そうだから受けてみよう」と応募したんです。それで「何故この会社を志望するのか」「何がしたいのか」をレポートで提出する際、学生時代に自分たちで同好会を作った経験をふまえつつCBS・ソニーという新しい会社でやってみたいと書いたら、運良く受かりました。CBS・ソニーも会社が出来たばかりで、これから作っていくという時期でしたから。漠然とレコード会社に入りたいと思っていたので、本当に巡り合わせがよかったんですね。一年卒業が早かったらこの会社には巡り会っていないでしょうし、一年遅かったら今度は入り辛かったと思います。学科試験は出来た記憶がないのですが(笑)。

——何の同好会を作られたのですか?

榎本:ヨットの同好会です。同じ大学に進学した高校時代の友人と一緒に遊んでいて、体育会に入る気力はないけれど同好会なら自分たちでやってもいいだろうという話になったんですね。それで、ヨット雑誌「舵」の編集長と面識があるという、仲間の中でヨット経験のある体育会崩れの男と一緒に編集長に会いに行ったんです。その方は大学卒業後に仲間うちでヨットを購入したらしいんですが、「そのヨットは材木座の浜辺に埋まっているから、それを掘り起こして使うのならいい」と譲ってくださって、早速現場を見に行ったら本当に船体半分が埋まっているんですよ(笑)。ヨットと言ってもボートに帆をかけたディンギーでした。唯一ヨット経験のある男を中心に、それを掘り起こしてペンキを塗り直してやり始めたんです。ヨットは格好いいですから人が集まってくるんですが、お金がかかるので資金集めのために赤坂プリンスでよくダンパ(ダンス・パーティー)をやりました。仕切りの得意な人間がいて(笑)、税務署と交渉したりするわけです。当時は加山雄三が人気で湘南ブームでしたから、ヨット同好会がダンパをすると人が大勢集まるので、ダンパをやるたびにすごく収入があって、そんなに高くはないのですが「Y15」というヨットが買えました。ただ、ノルマを課せられてチケットを売り歩いたりしていましたけど。

——ヨットがどんどん増えていったわけですか。すごいですね。

榎本:増えていきましたね。それと共に新入部員もどんどん入ってきました。その同好会は今も続いていますが、最近は運営が大変みたいですね。

——まだヨットの神通力というのは衰えていないんですかね?

榎本:昔ほどでもないんじゃないですかね (笑)。ただ、その同好会での経験が面白かったので、CBS・ソニーを受けたんですよ。

——レコード会社に入ったら、やりたいことは何かあったのですか?

榎本:あんまりなかったです(笑)。今は偉そうに「君は何がやりたいの?」なんて聞いていますが。私は楽器をやったこともないし、音楽をやっている人はハイソサエティ(早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラ)やライトミュージック(慶応ライトミュージック・ソサイティー)の出身で、そういう方々が制作をやるわけです。ですから「まずは営業かな?」と思ったのですが、実際に営業が長くなってしまいましたね。

——ダンス・パーティーのチケットを売るように営業もバッチリだったのですか?

榎本:それとこれとはちょっと違いますよ(笑)。

——今まで長い会社員生活の中で、会社を辞めようかなと思ったことはないんですか?

榎本:入社3年目くらいに思いましたね。私の実家は下町の商家で、祖母と母親が細々と商売をしていて、かたや父親はサラリーマンでした。ですから、サラリーマン生活と商人の生活の両方がわかる、つまりお給料の生活と日銭の生活がわかるということですね。小さい時にお店のシャッターを閉めると、祖母と母親がお金を数えていて、「今日は売上が幾らで、明日問屋さんに幾ら支払わないといけないのにお金が足りない」と話をしている中に父親も加わって一緒に悩んでいる姿を見ながら育ったわけです。会社では支払いなどメーカーの論理でレコード店とお付き合いしますが、私としてはレコード店のご主人や奥さんや従業員さんの気持ちもわかる。でもそこに理解を示してしまうと、会社の仕事ができなくなってしまうというジレンマが出てきて「辞めようかな。でも、どこへ行っても同じなのかな」と悩んでいたんです。そんな時に父親に相談をしたら、「辞めるのはいいが、明日急に辞めても生活できないぞ。辞めるんだったら、お金を貯めるなり準備してから辞めなければ駄目だ」と言われまして、そんな中途半端な気持ちで半年くらい過ぎた頃に結婚しましたので、結局辞められなくなってしまいましたね(笑)。そこから先は割り切って働きましたが、商人とサラリーマンの生活を両方見てきたのは、自分の中で貴重な経験だったと今は思いますね。

——零細企業の経営者としては、その商店主の思いを是非SMEの社員の方々に伝えていっていただきたいですね(笑)。

榎本:ビジネスの基本の考え方からいくと、汗を流した分だけ分け前を得るべきなのに、世の中は汗を流した人たちの分け前が少なくて、あまり流していない人が利益を多く得る仕組みになってしまうんですが、ビジネスをやっていく時にはそこがベースだと思っています。相手の気持ちをどれだけ考えてビジネスができるかということはとても大切で、相手の気持ちを考えて仕事をすると、長い目で見ると信頼を得ることができるような気がします。ルート・セールスは特に相手の立場に立って仕事をしないと長続きしませんからね。

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——経歴を拝見致しますと、管理・営業畑として実に順調なご出世ですよね。

榎本:そんなことないですよ(笑)。「実に順調」かどうかわかりませんが、最初は営業をやっていて、その後、販売推進という管理部門に異動したり、色々なことがとても面白かったですね。特に目から鱗が落ちたのは制作管理のセクションに行った時です。制作管理という名前が付くくらいですから、商品にするまでの一連の流れを担当するわけですが、総務や人事を除いたレコード会社の管理機構が全部集まっていて、そこの責任者になった時に制作担当とも親しくなりましたし、彼らがどういうことをしているのか、どういった仕組みで1枚のレコードができるのか、本当に勉強になりました。それから、ソニー・ミュージックコミュニケーションズ(以下 SMC)では常務取締役として、会社を作っていくことを勉強させてもらいました。SMCはレコード・ジャケットの前工程の製版会社として設立されたのですが、上手くいっていなかったんです。そこでの課題は、「この会社は何で食っている会社なのか?」ということを明確にすることでした。SMCは事業を広げすぎていたので、「この会社の根幹は何なのか?」ということをとことんディスカッションして、製版・デザインの分野でもう一回再生しようと決意したんですね。その結果、集約と合理化ができましたし、グループの仕事も増えてきて、大きな商いのできる企業になりました。

——会社を経営するという観点から見ると、SMCでの経験もやはり大きかったわけですね。

榎本:大きかったですね。先ほども言いましたが、「何がこの会社のへそなのか?」ということをしっかり認識しなくては駄目だということを教わりましたね。

——リーダーがしっかり目標を与えないと駄目だということですね。

榎本:そうですね。みんなの意識をそこへ寄せないといけませんね。いくら優秀な人が集まっても、それぞれバラバラなことをしていたらまとまらない、ということです。

——ここまでお話を伺ってきますと、入社されてからの榎本社長の30年間は大変充実していらっしゃいますね。

榎本:本当に楽しい会社ですね。いい会社に巡り会えたと今でも思っています。入社時は滅茶苦茶忙しくて、毎晩夜遅くまで働いたあとに同期と飲みに行ったりしていましたし、会社は上り調子でしたから、こんなに楽しい会社はないです。これは私のロマンなんですが、自分が楽しく仕事をしてこられたので、次の世代の人たちにこの会社の楽しさを伝えていきたいという気持ちがあるんです。そうすることが業績に繋がるのではないか、と思っているんですよ。

——そういう雰囲気だと業績も自然と付いていきますものね。

榎本:もちろん、時代も変わっていますから昔のようにはいかないですが、少しでもそういうものを次の世代に伝えていくことが、私のサラリーマン生活の仕上げといいますか、夢なんです。私も若い時から仕事を任されて、わからないながらも何とか見よう見まねでやってきました。ですから、あまり日々の細かいことに口を出さず任せていくことが、結果として若い人たちのやりがいを生み、次の世代を育てることになるだろうし、会社に対するロイヤリティーも生み出していくと思います。私自身は経営的なクリエイティビティーがある方ではないので、それぞれの人たちと協力し合って上手く会社を盛り上げていきたいですね。

——本日はお忙しい中ありがとうございました。SMEの益々のご発展をお祈りしております。