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『真夏の夜のジャズ』 〜伊藤八十八氏 「卒業」記念パーティー 潜入リポート

インタビュー スペシャルインタビュー

伊藤八十八氏
伊藤八十八氏

 日本が世界に誇るプロデューサーであり、現在は株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(以下SME) 録音グループ本部長、そしてJazzレーベル「Eighty-Eight’s」のプロデューサーである伊藤八十八氏がSMEグループを定年退職されるにあたり、”卒業”記念パーティー「真夏の夜のジャズ」が、去る2006年8月8日、六本木スウィート・ベイジル(STB139)にて行われた(この日は氏の60才の誕生日でもある)。Musicman-NETではこの日の模様をスペシャル・レポートとしてお伝えする。

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 会場である六本木スウィート・ベイジルを多くの来場客が埋め尽くす中(「この業界は案内を出しても返事がなくて、当日いきなり来るような人が多いから、人数が読めなかった(笑)」と伊藤氏)、伊藤氏がデビューのきっかけを作ったナニワエキスプレスの力強い演奏でパーティーがスタート。そこにパーティーの司会でもある坂田 明氏が歌とサックスで加わり、会場中を盛り上げた。当初出席の予定がなかった渡辺貞夫氏も急遽駆けつけ、伊藤氏の長年の功績を称え、楽器が手元になかった渡辺氏が坂田氏のアルトサックスを借り、ソロを吹く(!)、嬉しいサプライズに会場が沸き立つ。

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 SME 代表取締役 / コーポレイト・エグゼクティブ社長 榎本和友氏が「是非、88才まで現役で」と乾杯の音頭をとり、再びライブに突入。伊藤氏が尊敬していたという故 野口久光氏についてのトークや、ニューヨークからロン・カーターを始め、錚々たるメンバーからのお祝いコメント上映などを挟みつつ、日野皓正氏、小曽根真氏、伊東たけし氏、鳥山雄司氏など伊藤氏と縁のある豪華アーティスト達が、伊藤氏が組み合わせを決めた即席バンドという形で、続々と登場。ケイコ・リーやマリーンの熱唱ともども、想いのこもった演奏を繰り広げた。ライブの大トリは、「それまで4ビートものしかやっていなかったのですが、彼らに出会ったときは衝撃を受けた」と伊藤氏が語るT-SQUARE。歴代メンバーも交え、伊藤氏との想い出に寄り添うように、幅広い選曲で演奏し、代表曲『TRUTH』で締めくくった。

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 最後に伊藤氏は、「皆様のおかげで、今日無事に定年を迎えることができました。本当にありがとうございます。37年間レコード業界に身を置きまして、素晴らしいミュージシャンに出会えたこと、そして、素晴らしいスタッフの方々にお目にかかれたことが、私の一番の財産です。今後もプロデュース活動を続けていきたいと思っておりますので、これからも力添えのほどをよろしくお願いします」と挨拶。

 ケイコ・リーの情熱的な弾き語りと松木恒秀氏の優しいギターのもとで、白いタキシードを身にまとった伊藤氏が、還暦の赤いちゃんちゃんこならぬ、赤いスポットライトを浴びる姿は感動的だった。その後、奥様から花束を手渡され、来場者からの万雷の拍手が取り囲む中を、一歩一歩踏みしめるように退場された。

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 パーティの間中、伊藤氏は絶えず舞台袖に立ち、繰り広げられる演奏を熱い眼差しで見つめているのがとても印象的だった。会場内はすべての出演者の愛情で満たされ、伊藤氏の暖かく優しい人柄と、音楽に対する情熱をひしひしと感じるような極上のジャズナイトとなった。

 ライブでは現在手掛けられている新人アーティストたちの紹介も忘れなかった伊藤氏。SMEを離れられ、今後はもっと大きなフィールドでのご活躍を期待したい。

※Musicman-NETでは、後日、伊藤八十八氏のインタビューを公開予定です。そちらもお楽しみに! 

>>伊藤八十八氏のインタビューはこちら!<<

伊藤八十八(いとうやそはち)


 1946年岐阜県生まれ。早稲田大学在学中、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブに在籍、その頃からJAZZに傾倒する。大学卒業後、入社した日本フォノグラムにて洋楽ポピュラー編成部に8年間所属し、ポール・モーリア、ニュー・シーカーズ、スコット・ウォーカーなどのポピュラー・アーティストを担当。また、イースト・ウィンド・レーベルを設立し、ザ・グレート・ジャズ・トリオ、渡辺貞夫、日野晧正らのプロデュースを手掛ける他、ジョー・サンプルなどのアルバム「ザ・スリー」では、ダイレクト・カッティングを行うなど、オーディオ・ファイルな作品を多数世に送り出す。1978年にCBS/SONYへ入社。当初は洋楽企画制作部に所属し、マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポートといったJAZZ系のアーティスト、一方ではザ・スクエア、マリーン、笠井紀美子等、国内のJAZZ/FUSION系アーティストのプロデュースを担当する。その後、邦楽制作部門へ移り、久保田利伸、大滝詠一、松田聖子を始め数多くのJ-POPアーティスト達の制作部門を担当する。
 95年に洋楽部門に復帰し、レガシー&ジャズとアジア・マーケティング部を担当。コンピレーション・アルバムMAXシリーズの企画に携わる一方、ケイコ・リー、TOKU等を育成。また、Puffyやラルク・アンシエルといった国内アーティストのアジア戦略を計画推進する。なお、99年より録音グループ本部長を兼務し、次世代のSACD(スーパー・オーディオCD)の開発やSMEの新スタジオ(乃木坂)設計、管理に携わる。現在に至るまでのアルバム・プロデュース作品は、国内外を合わせ約350点。洋楽編成時代に担当した作品は約3,000点を超える。

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