新しい聴き方をきっかけに、より音楽を楽しめる環境を作りたい — 「MIXTRAX」パイオニア 新規事業開発部 小柳新一氏、菅原啓太郎氏 インタビュー
DJ機器やカーオーディオで知られるパイオニアが、今年1月30日に、スマートフォン内の楽曲を自動的に選曲し楽曲をノンストップミックス再生する「MIXTRAX App」のAndroid版を提供開始した。
このアプリでも使用されている「MIXTRAX(ミックストラックス)」は、パイオニア独自の楽曲解析技術とミックス技術を使用した機能で、PC版/Mac版/iPhone版があり、同社カー製品の機能としても搭載されている。
これまでのパイオニアのイメージをくつがえすような柔軟な発想から生まれたこの機能を開発したのは、小柳新一氏(MLE事業開発室 室長)、菅原啓太郎氏(MLE事業開発室 グループリーダー)を始めとした新規事業開発部。どのような想いで開発に至ったのか、また、他企業も注目する独自の楽曲解析の仕組みや今後の取り組みなどを伺いました。
(取材・文・写真 Jiro Honda、Yuki Okita)
- 「自分専用のパーソナルDJがいたらいいな」という思いつきから開発がスタート
- 音楽との新しい出会いを演出する様々な仕掛け
- 音楽を楽しむ状況を作れれば、ビジネスになる余地が出てくる
- 提供しているのは「音楽を自由に聴ける環境」
「自分専用のパーソナルDJがいたらいいな」という思いつきから開発がスタート
——「MIXTRAX」はどのようなサービスでしょうか?
小柳:音楽を心地よく繋いで自動再生するというのが「MIXTRAX」の特徴的な機能です。パソコンやスマートフォンに入っている音楽から、テンポや似た特徴のある曲を自動的に選曲してDJのように再生するもので、独自の楽曲解析技術とミックス技術が使われています。
——“第4の聴き方”というキーワードがあるようですが、これはどういった考え方ですか?
菅原:少し前まではCDやMD、カセットで音楽を聴いていましたよね。それがある時からファイルミュージックに変わって、何千曲、何万曲を一つのデバイスで保有できるようになりました。そうすると、ずっと再生していても何日もかかってしまいますし、全ての音楽は聴き切れません。じゃあもっといい聴き方はないか? と考えたときに、一つのヒントとなったのがDJです。ユーザーの持っている楽曲を自動で選曲して多くの楽曲を心地よく楽しむことができる、自分専用のパーソナルDJみたいな機能があったらいいなというところから、ノンストップミックス再生につながりました。この聴き方を、今までのノーマル・リピート・シャッフル再生のように、誰もが当たり前のように使えて楽しめるものだけど、シャッフル再生よりもっと気持ちよく、新しい聴き方なんだという意味を込めて、3つ聴き方の次にある“第4の聴き方”というキーワードで提案することにしました。
「MIXTRAX」コンセプトビデオ
——構想はいつ頃からあったんでしょうか?
菅原:2007年頃から基礎アイデアはあって、社内の技術発表会に自主研枠というのがあるんですが、社員が自由に研究発表できる場があるんですね。そこで若い人たちが集まって、「MIXTRAX」の原型みたいなので遊んでいたんですね。
——随分早い時期から開発を始めていたんですね。
菅原:元々製品としてではなく、純粋に“こういうのがあったらいいね”とか、“こういう聴き方って楽しいよね”、という発想でスタートしたら社内の色んな方から声をかけて頂いて、その中に楽曲解析をしている部隊がいまして、そこの解析情報とDJのような聴き方というコンセプトを組み合わせて、技術的にフルオートで再生するようなものができるんじゃないかというところから「MIXTRAX」は始まりました。
小柳:そこから正式に新規事業開発部になり、アプリをリリースするまでには5年以上かかっているんですよ。お金を出して商品を買ってもらうわけですから、損益分岐点はどこだとか、色んな議論がありました。
菅原:今、弊社のカー製品の差別化機能として「MIXTRAX」機能が搭載されていまして、PC版Mac版iPhone版があり、今年1月末にAndroid版を出したんですが、最初に製品化してから2年くらい経つんですね。この2年の間にノンストップミックスとか「MIXTRAX」の機能自体の精度がだいぶ上がってきていまして、ようやく聴けるようになってきました。今後もどんどん進化させていく予定です。
音楽との新しい出会いを演出する様々な仕掛け
——Tech系のニュースサイトで高評価ですよね。あまりに心地よく再生されるので「神アプリ」という表現もされていました。
小柳:本当にありがたいお話です。そう言ってくださる方が最近になって出てき始めました。Android版が出て、ダウンロード数が急激に増えたんですよ。そういった高評価とともに、ノンストップミックスを実現するには、最初に保存している全楽曲の解析が必要なんですが、ものすごく時間がかかるんです。そこに関してのご意見も同時に来ているような状態で、そういった部分を一個一個クリアしている最中です。ビジネスモデルとして落とし込めるように皆さんのご意見やご要望をお伺いしている段階ですね。
「MIXTRAX」デモ音源
——ネット上ではユーザーが「こう使ったらいいよ」とか、楽しんで使っている記事が見受けられます。「さすがパイオニア」みたいな意見もあったり。
菅原:DJの人たちってアーティストなので、我々も自動でアーティストと同じ事が出来るとは思っていないんですね。DJのエッセンス、要素が入った新しい聴き方として提案できればと思っています。曲もクラブの曲じゃなくていいんですよ。演歌でもいいし、J-POPとか、そういう1つの聴き方として、シーンに合わせて使ってもらえればいいかなと思っています。
昔は「これって何ですか?」と聞かれたときに、「オートDJです」と言うのが一番伝わりやすかったんですが、その言い方をすると、DJのイメージが先行してしまうので、今は「メドレー再生」と言っています。「MIXTRAX」が曲順も選んでくれて、聞き所を自動で出してくれて、あとは心地よく繋いでメドレーで再生してくれますよと。
——そういった聴き方ですと、自分のライブラリに入っている曲でも、新しい発見があるかもしれないですね。
小柳:楽曲の解析で、ビートだけじゃなく音の特徴やジャンルも含めて膨大なデータを取って選曲しているんです。そうすると、リストの中に入っていても今まで聴かなかった曲が出てきたりして、よく聴いてみるとすごくいいアレンジで、自分の中で評価が高まったり、色々発見があると思います。
音楽ライブラリが少なくても問題なし! iTunesの試聴曲も自動で再生
——楽曲と純粋に向き合うようなところがありますよね。先入観なく楽曲に出会うことができる。また、iTunesの試聴曲と音楽ライブラリを自動でミックスする「Magic Mix」機能は面白いですね。
菅原:そうですね。元々「MIXTRAX」を使うと、自分の持っている曲でも過去の曲に出会う。そこに発見があって、それが知らない曲でも同じアルゴリズムで出会って気に入ってくれたら、という想いから、「Magic Mix」という機能を作ったんですが、今のMagic Mixって、解析情報から純粋に曲調が似ているものを選んでしまうんですね。
でも、ユーザーさんの感覚として、好きな範囲の1個外側の曲に出会いたいはずなんですよね。そこに慣れたら、また1個外みたいな感じで、徐々にその人の音楽知識が増えていき、新しいジャンルが好きになったりとか。6月くらいに出るAndroidのアップデート版にもMagic Mixの機能を入れるんですが、そちらはちゃんとその人の好きなエリアの1個外、好きだけど知らなかった、買ってなかった、というような曲が選曲されるようになっています。
小柳:自分が今聴いている曲から興味を繋げていくということなんですよ。聴いている曲が起点になるレコメンドを、ノンストップでタイムラグなしにどんどん繋げていくと、音楽を聴く時間が増えるだろうと思います。6月にアップデートするAndroid版では、「あの時に買わなかったけど聴きたかった曲だ」みたいな曲がフッと流れてくるんです。自分の手元に置いておきたいと思ったときに、即購入できる仕組みもあるので、思わず購入してしまう。そういう仕掛けをどんどん増やしていきたいですね。
リズムやビートだけじゃない、楽器の特徴まで細かく解析したメタデータ
——「MIXTRAX」には独自の楽曲解析技術が使われているそうですね。
小柳:リズムやビートだけじゃなく、例えばピアノの音とかラッパの音とか、特徴的な波形を持つもののデータも取っているんですね。そうすると楽器繋がりでミックスができたりするんですよ。リズムパターンを解析しつつ、その中にある特徴をいくつかパラメーターでも取っています。
菅原:最初にDJの方にヒアリングをしに行って、「次の曲はどうやって選んでいるんですか?」と聞いたときに、彼らはアーティストなので感覚的に答えるんですね。「バッと思いついたもので選んでいる」とかそんな感じなんですよ。会話の中で“音密度”というキーワードがあったんですが、それを我々なりに解釈して色んなことを試したんですね。
今のJ-POPトップ20くらいをDJ風に並び変えてもらって、その結果を研究したり、当時の楽曲解析に当てはめたり、DJの感覚の物理パラメーターみたいなものを算出したり、いろいろ試しました。説明しづらいところでもあるんですが、パラメーターやBPM、キー情報だけじゃない色んな要素が「MIXTRAX」にエッセンスとして入っているんです。
——このような技術やデータベースは、既にビジネスとして他のサービスでの利用などのやりとりはされているのでしょうか?
小柳:そうですね。ノンストップミックスを作るためのメタデータ、いわゆる楽曲解析データは、ある程度自動的に解析するようになっているんですが、皆さんに使って頂いたおかげで、かなりの量が蓄積されてきているんですね。そのメタデータそのものを面白いと言って下さる方もいらっしゃいます。全くのオートなので、人海戦術でやっている人たちから見ても面白いみたいなんですよ。そういった方々の保有するデータと我々のデータを合わせると、何か違うレコメンドができるんじゃないか? と新しい発想をしてくださるいくつかの企業さんと現在、お話させていただいています。
——アプローチの違いで各社独自のメタデータを生成していますし、それ自体に価値が生まれてきていますね。
小柳:そういった面からも新しい事業に発展させていきたいと思っています。
——パイオニアさんも、Gracenote(グレースノート)やThe Echo Nest(エコーネスト)のように、先進の音楽データベース事業に積極的に取り組んでいることを業界のみなさんにもぜひ知って頂きたいですね。
菅原:今のところは、そういう引き合いもあって、「MIXTRAX」を面白いと言ってくださる方、メタデータに興味がある方、コンテンツプロバイダの方、メタデータ業者の方、そういう方々とお話をし始めていて、音楽を聴く環境が変わろうとしている中、プレーヤーとして私たちが入りたいという思いは強いです。来年くらいにはもう1つ新しい音楽の聴き方が提案できていたら上出来ですね。
音楽を楽しむ状況を作れれば、ビジネスになる余地が出てくる
——先日の「Music Hack Day Tokyo」ではスポンサーをされていましたけど、APIを解放されていたんですか?
小柳:前回は後から知ったもので、解放はしていなかったんですが、今後は積極的にああいった場で解放していきたいと思っています。私たちが持っている技術を公開して何か新しいものを作って貰えるといいのかなと。
——僕らは先日「Music Hack Day Tokyo」のアフターインタビューをしたんですが、その中でITと音楽はもはや同じ表現の方法だという話がありました。「MIXTRAX」もまさに新しい音楽の表現方法をITで実践しているなと思います。
小柳:そう言っていただけるとありがたいです。私たちは最先端に動いていらっしゃる方々のご意見とか要望を取り入れながら動いています。ビジネスのやり方も、今までは今後のことをはっきり決めてから動くというのが、常識というか定説だったと思うんですが、今は違うんじゃないかなという気持ちがものすごくあります。まずはやってみて、みんなが楽しめることができあがってきたら、そこで改めて考えるというか。先ほど言ったように、APIを公開してしまうとかは、これまでは考えられなかった発想ですから。
ただ、我々は企業人ですから「パイオニアとしてどうするんだ」という判断は最終的にはしなくてはいけないですし、どこで投資回収しているんだとか散々言われるんですが、その前に使ってもらえてデファクトになるかどうかが重要ですし、いつかは芽が出るようにと思っています。
——今の音楽業界は、前向きにワクワクすることを産み出すというより、いかにサバイブできるかの袋小路に入り込んでしまっている気がします。
小柳:そうですよね。Spotifyが今年あたり日本でもスタートするという話もあって、業界も動くと思うんですが、そんなときに「何が一番大切か」というところでいうと、基本的な所で、ユーザーが本当に楽しいと思うサービスが提供できているか、だと思います。そうすると必ず、ビジネスになる余地が出てくるわけです。そういう状況をまずは作ってあげることが大切ですよね。「誰が儲かるか」という話だけをしていても、その状況は作れないですし、「じゃあどうする?」という話を、レコード会社も、ハードウェアメーカーも、プロバイダも、音楽に関わる全ての人たちですればいいと思うんですね。
——では、アライアンスも積極的に行っていく考えですか?
小柳:そうですね。私はストリーミング型の音楽は日本で定着すると思うんですよ。でも今は垣根が高すぎるんですよね。パイオニアだけではできませんので、他社さんとも協力していきたいですね。やはりちゃんと聴く環境というか、ユーザーのことを考えてやりきれていないと感じるので、私はそこを何とかしたいです。
菅原:音楽産業の中だけでアライアンスを組むのではなくて、ターゲットを絞らずに広げていきたいですね。今まで音楽を聴いていなかった人が、聴くようになったら音楽業界も嬉しいですし、アーティストさんも嬉しい。「MIXTRAX」がその枠を広げるような、新たな一役を担えればいいですよね。
「MIXTRAX」の活用方法をご紹介
提供しているのは「音楽を自由に聴ける環境」
小柳:「MIXTRAX」みたいないいアプリがあると、音楽聴く時間が増えますよ(笑)。もう一つ、海外ではバンドの演奏がすぐ聴けたり、街中で音が鳴っているという状況があるじゃないですか。日本ももっとオープンになっていかないといけないですし、音楽に普通に触れられる、敷居の低いものにしてないといけないでしょうね。
——新しい音楽サービスに取り組んでいらっしゃる方は、やはりみなさん「街で音楽が鳴る状況を増やしたい」とおっしゃっていますよね。
小柳:やっぱりそうですか。本当にそう思います。それも別の新規企画として我々でやりたいですね。
どんどん音楽がデジタルになって、簡単に音楽を聴けるようになりましたが、音楽の価値って変わらないと思うんです。やっぱり自分の好きな音楽はいつでも聴きたいですし、その利便性は確保しつつ、音楽にいつも接していられる環境作りをもう1回最初からやる必要がありますよね。「音楽ってこんなに楽しいんだ」ということを伝えなくちゃいけないという思いがすごく強いんです。だから、音楽に触れている時間がもっともっと多くなってほしいですし、「MIXTRAX」がその一つのきっかけになったらいいと思います。
——パイオニアさんは昔から新しい領域にチャレンジしていく印象があります。
小柳:パイオニア=開拓者という社名もあって、開拓しないといけないというメンタルは、入社以来埋め込まれるわけです。世界初を作れということをずっと言っていたり、人と違うような発想を、というのはずっとありました。
パイオニアってハードウェアメーカーのイメージがあると思うんですが、我々が提供しているのは「音楽を自由に聴ける環境」だと思うんですね。中でもこの「MIXTRAX」は非常にユーザーに近いところにあります。そうするとハードウェアありきじゃなくても、今みたいにアプリでもいいじゃないかと思いつつやっているんですよね。
僕たちの本当の夢はもうちょっと大きくて、誰でも全世界の人が自由自在に音楽を楽しめるものがパイオニアで作れたらいいなと思ってやっています。ユーザーの方に音楽を楽しく聴いていただける環境作りのお手伝いができればいいな、と。それに尽きますね。