アーティストの世界展開「“こうするんだ”という意志をもって」「まずやらなければ始まらない」、アソビシステム中川悠介氏 × ワーナーミュージック鈴木竜馬氏 対談
2014年2月に2度目のワールド・ツアーを成功、7月には3rdアルバム「ピカピカふぁんたじん」を世界4大陸でCD同時発売したきゃりーぱみゅぱみゅ。9月13日〜15日の期間、東京・代官山エリア一帯で開催されたカンファレンス+音楽フェスティバル「THE BIG PARADE 2014」の最終日にて、彼女を中心としたプロジェクトを仕掛けた2人、きゃりーの所属事務所であるアソビシステム代表取締役社長 中川悠介氏と、レコード会社のワーナーミュージック・ジャパン unBORDEレーベル・ヘッド 鈴木竜馬氏の対談が実現した。(Musicman-NET編集部)
- 「日本で作るそのままのものを海外に持っていって挑戦」(中川)
- 海外での盛り上がり、日本へフィードバックに尽力
- 2人で世界中のワーナーミュージックへ
- 海外進出は、音楽だけじゃなく、ファッションも、食も、日本のカルチャー自体を伝えていくことが大事
「日本で作るそのままのものを海外に持っていって挑戦」(中川)
アソビシステムの主催するイベント「ASOBINITE!!!」で出会った両氏。きゃりーは当時高校3年生で、未成年でも楽しめる昼間開催のクラブイベント「TAKENOKO!!!」でDJを始めたばかりの頃だった。中川氏から紹介を受けたことについて「中田プロデュースのサウンド面はもちろん、ブログ上の彼女のセンスがぶっちぎりに面白かった。その子が音楽に携わりたいということだったので、最初に声をかけてもらったときにすぐ二つ返事で答えさせてもらった」と鈴木氏。
中川氏には、最初から海外でしかけていく思いがあった。「中田ヤスタカの作り出すサウンドが海外でうけるというか日本で作っているものを海外へ持っていくことにすごくこだわっていた。日本語の歌詞のまま、日本で作るそのままのものを海外に持っていって挑戦していくということに興味があった。外国の人が原宿に来たときに感じるオリジナリティだったり、ファッション性に注目してもらえてるなと昔から思っていた」と中川氏。「ワーナーミュージックは外資であり、世界にネットワークがある。きゃりーを日本だけにとどまらず、海外で色々なことを仕掛けていきたい」と鈴木氏。きゃりーぱみゅぱみゅを中心としたプロジェクトは、レーベルとマネジメントを両輪として展開していく。
海外での盛り上がり、日本へフィードバックに尽力
「なんやかんやで半年くらい、タイミングも全部含めてお互いの中で考えた」と鈴木氏。きゃりーの楽曲は日本でのCDリリースはもちろん、iTunesでは当時最多となる23カ国配信を行った。デビュー・ミニアルバムのタイトル「もしもし原宿」は、海外を意識して“原宿”をキーワードに、きゃりーと中田ヤスタカが発案したもの。「新人の立ち上げというロー・バジェットで、何でインパクトをつけるかを考え、世に問えるだけの映像作品をきっちりと作りこんだ」というリードトラック「PONPONPON」は、YouTubeにフル尺で公開した。
「当時はYouTubeにフル尺で出しちゃうとダウンロード数に影響が出るんじゃないかと賛否両論があった。きゃりーの音楽が知られてない今、これを出していかなければ意味がないというのがチーム共通で意識していた部分」と中川氏。その後、リンプ・ビズキットのボーカル、フレッド・ダーストがtwitterでYouTubeリンクを紹介するなどもあって世界から視聴者数が増え、きゃりーぱみゅぱみゅの存在が広まっていった。
2012年7月に出演した「ジャパン・エキスポ」(フランス・パリで開催)で、中川氏は日本のポップカルチャーに特化した現地の番組でPVやライブ映像を流すなど半年前からが仕込んでいった。それが、ジャパン・エキスポの成功、そしてきゃりー単独のライブで8000人を動員することに繋がった。
鈴木氏は、その盛り上がりを日本へフィードバックすることに尽力した。民放各局に相談し、そこに共有してくれた朝の情報番組「ZIP!」「めざましテレビ」に同行してもらい、日本にその事実を伝えていった。「流れとして作業できたことが先のリリースにも繋がっていく。メディアを使った役割分担でいうと、両輪で回したなと実感できるポイントの1つでした」と鈴木氏。
2012年1月には、ケイティ・ペリー(当時1410万人のフォロワー)によるツイートなど、海外から反応があるというかつてではなかった現象も起きる。「驚くべきことで嬉しいことだと思いつつ、きゃりーがちゃんと自分で発信できていることの結果かなと思う。自分のファッションだったりライフスタイルをミュージック・ビデオで自由に発信できている」と中川氏は語る。同年のYouTube再生回数は邦楽最上位となった。
I’m so in love with her but she also makes me feel HIGH: http://t.co/WIldXYwf
— KATY PERRY (@katyperry) 2012, 1月 22
2人で世界中のワーナーミュージックへ
2013年2月には初のワールド・ツアー「100% KPP WORLD TOUR」を13都市・全19公演で開催する。中川氏は「元々ライブやイベントをやっている会社。なんとかなるか精神というのが大きかった。2012年にすごく話題になって、紅白にも出て、この次にどうなっていくんだろうと思われているときに、どうしてもこのタイミングでワールド・ツアーをさせてあげたかった」と語る。金銭的にリスクを負うことや、プロモーターも各国で別々など、困難な状況ではあったが開催へ踏み込んだ。
「マネジメントとしてまずブッキングのリスクを負ってくれる。そこに対してワーナー各国の宣伝マンだったり、A&Rをそこに呼び込む。もっと言えば、各国のメディアまで呼び込めたら呼び込む。それと日本のメディアも仕込みながら、出すという意識を持って伝えることをきっちりやろう」と鈴木氏。また、中川氏と2人で世界中のワーナーの社員たちに会いに行ったことにも触れて「各国ワーナーのトップA&Rが気にして、公演を見に来てくれたことも大きかった」と続けた。
中川氏はヨーロッパからツアーを始めることにこだわっていた。「アジアへ行く前にヨーロッパで挑戦して、そのフィードバックをアジアへ持って行くことによってのアジアでの広がり方が全然違う。アジアの人も日本を見ている。でも、日本の先に、ヨーロッパ・アメリカを見ているというのをすごく感じていて、ヨーロッパでもアメリカでも売れているきゃりーがついに台湾に来るぞというときの台湾の熱気はすごく感じた」と振り返る。
各エリアで日本のメディアへフィードバックができた結果、日本にいる人も「きゃりーが海外で売れている」と意識させることに成功。さらにそれがまたアジアへ「世界中できゃりーがうけている」と伝わっていくことに繋がっていく。アソビシステムとワーナーが両輪となって開催したこのツアーは2万8000人を動員し、成功を収めた。
2014年2月には2度目のワールド・ツアーを開催。「海外でリリースをするというのが大前提のツアーだった」と鈴木氏。「1回目行って勢いを感じてたものの、きゃりーぱみゅぱみゅのフォロワーが世界中に安定して広がっていきたいという思いもありつつやったツアー。各国のイベンターに投げたとき、すぐに是非やらせてほしいと返事があって、すごく良い状況だなと思った」と中川氏。きゃりー本人もステージで各国の言葉で挨拶するなど、海外でうけていることを実感したという。
海外進出は、音楽だけじゃなく、ファッションも、食も、日本のカルチャー自体を伝えていくことが大事
2014年7月9日には、3rdアルバム「ピカピカふぁんたじん」を世界4大陸、15カ国でCD同時発売を敢行。「全世界的にCDというマーケットで言えば日本も含めて確実にダウンサイジングしている中で、CDというモノとして出すことにどう意味を持たせるか。有名アーティストがそれなりに各国でCDを出しているということで言うと、ステータスも含めて1回そこにチャレンジしたいなという思いがあった」と鈴木氏。そこには並行輸入したCDが、ライブ会場で売れていたことも後押ししたようだ。
鈴木氏は、意志を持って行動することの大切さを語る。海外展開の好結果について「1つ言えることは、リスクはお互いで張れるところは張る。サポートし合うということがうまくいけたかなということ。それと、ダイレクトに何かをやる。なったら良いなじゃない、意志をもって何かをやらないとなかなか動かない」と断言する。
中川氏は「SNSが強化されたことで日本でやっていることがダイレクトに世界へ伝わっていると感じる。メディアの人に、海外も日本も同時にやって大変じゃないですか?と訊かれることがあるが、大変かどうかじゃなく、今やらないと温度感が伝わらないということはすごく意識している。今日本でやっていて、日本でうけていることが今世界に伝わっているんだったら、今行かないとだめじゃないかというのが原点にある」と語った。
中川氏は他社に所属するアーティスト、他の業界など、垣根を越えて一緒にやっていくことの大切さも感じている。「日本で売ることは大事だけど、海外へ行くときに、やっぱり日本もまとまって、きゃりーだけじゃなく他のアーティストもいて、音楽だけじゃなく、ファッションも、食も、日本のカルチャー自体を伝えていくことが大事」。
海外進出を考えている人たちへ向けて、中川氏は実感を込めて「とりあえずやってみなきゃ始まらない」と力強く語った。