「これからライブ・コンサートに携わるみなさんは、音楽の一番重要な部分を担う人たちでもある」 ミュージシャン 高野寛氏「ライブ・エンタテインメント論」特別講座 採録

インタビュー スペシャルインタビュー

高野寛氏

コンサートプロモーターズ協会(ACPC)と東京工科大学メディア学部が提携して開講している寄附講座「ライブ・エンタテインメント論」。前回紹介した音楽プロデューサー 松任谷正隆氏の講座に続き、アーティスト 高野 寛氏の講座が12月16日に行われた。高橋幸宏プロデュースによるシングル「See You Again」でデビューし、昨年25周年を迎えた高野氏。長い音楽生活の中で感じた変化や、ライブ・エンタテイメントについてミュージシャンの立場から語った。

また、ライブも随所に行われ、デビュー曲「See You Again」や、サントリー GREEN DA・KA・RAのCM曲、25周年記念アルバム『TRIO』から「Dog Year, Good Year」、さらにくるり「ワンダーフォーゲル」のカヴァーなど8曲を披露した。

  1. YMO高橋幸宏さんの一言で宅録野郎からミュージシャンに
  2. 20世紀はJ-POPとCDの時代
  3. 多様化するライブ・エンタテイメント
  4. 「音楽ファンである気持ちをずっと持ち続けて欲しいなと思っています」
  5. 「ミュージシャンには小さな頃からの経験は重要?」「どのようにモチベーションを維持しているの?」

 

YMO高橋幸宏さんの一言で宅録野郎からミュージシャンに

 みなさん、こんにちは。高野寛といいます。今日は、ライブ・エンタテイメントについて僕の立場から色々話をしようと思っています。

 改めて自己紹介します。僕は1988年、26年前にソロ・シンガーとしてデビューしました。今はミュージシャンとして活動する傍ら、京都精華大学のポピュラーカルチャー学部音楽コースで先生をやっています。ただ、こっちはまだ2年目なので駆け出しです。ちなみに、ポピュラーカルチャー学部音楽コースは、基本的に音楽全般にまつわる仕事を学べるところです。僕が受け持っている授業はソングライティング、作詞作曲です。

 僕自身は大阪芸術大学の芸術計画学科、その中の音響コースに入りました。僕は大学に入るまでプロのミュージシャンになるつもりはあまりなくて、楽器が好きだったので、楽器の設計をやれたらいいなと漠然とした気持ちで大学に入りました。

 高校時代から宅録とバンドはずっと続けていたんですが、ある時自分が作った宅録の音源がコンテストに合格して、僕の師匠であるYMOのドラマーの高橋幸宏さんから「高野君、歌ってみたらいいんじゃないの?」と一言アドバイスをもらって、そこで初めて日本語の歌を作り始めました。それが大学3年生のときで、今に至るという感じです。

 本当に色んな偶然が重なって、ひとつひとつの出会いの中で今ここにいるんだなと感じています。多分僕がもう少し遅く生まれて、みんなくらいの年齢だとしたら、僕は自分で歌おうと思わないでボカロをやっていたかもしれない。

 今でこそ、こうやってギターを持って楽に歌えるようになりましたが、元々は宅録野郎なので、ライブは苦手な方で、「機材があれば色んな音が出せるのに」と悩んでいたタイプです。デビューしてからステージを重ね、弾き語りもするようになって、やっとシンガー・ソングライターとしての自分が固まったと思っています。。

 これには大きなきっかけがひとつありました。それはみんなが生まれた頃の出来事、阪神淡路大震災でした。阪神淡路大震災のときに、ニュースでしきりに「ライフラインが途絶えた」ということを言っていたんですよ。僕はそれでライフラインという言葉を初めて聞いたんですね。つまりガスとか電気とか水道とか生活に必要な動線が途絶えてしまう。だから電気もつけられずロウソクで寒い中凍えて過ごさなきゃいけない。僕はそのとき、電気がなくなるとライブができないなとふと思いました。じゃあ停電してもライブができるようなミュージシャンになろうと強く思ったんですね。その時から本気で弾き語りをするようになりました。それから20年経ちましたが、やはりあの時決意して良かったなと今でも思います。

 

20世紀はJ-POPとCDの時代

高野寛氏「ライブ・エンタテインメント論」特別講座

 僕がデビューした当時はアナログからCDへの移行が本格的に始まった頃で、8センチのCDシングル―こういう形のものはあまり見たことがないですよね―そしてアルバムもアナログ盤が少しだけど売られていました。その後CDが普及して一気にJ-POPが花咲きました。

 今年CDを買った人? 結構みんな買っているね。一枚も買ってないという人は? それでも3分の1くらいは買ってないか。

 多分、これだけの比率でCDを買っている人がいるのは、メディアを学んでいる大学ならではなのかなと思います。僕の感触だと、一般的な20代の人たちは今はほとんどCDを買わないという気がしています。

 僕が26年間活動してきて、どのように音楽が変わったのか。やっぱり20世紀はJ-POPの時代、そしてCDの時代でした。僕らミュージシャンはまずCDをリリースして詞曲を世の中に聴いてもらって、その新曲を披露するかたちでライブツアーをやるという流れが以前はありました。ところが、その後にiPodが発売されて、インターネットが普及してみんながCDを聴かなくなってきた。

 音楽をチェックする時って何から情報を得ますか? YouTube? ブログとかツイッター? どちらにしてもネットの情報がすごく強いと思います。僕自身そうですが、インターネットで新しい音楽を知って、試聴して、いいなと思ったらライブに足を運んで、その後にCDを買うという順序になってきていますね。

 ちなみに家にテレビがない人いますか? テレビに出ているミュージシャンもすごく多いですけど、以前に比べると音楽番組も減ってきました。僕のまわりのミュージシャンたちは特にそうなんですけど、ライブが中心になってきているのが実感として強くありますね。

高野寛氏「ライブ・エンタテインメント論」特別講座
ライブの様子。デビュー曲「See You Again」や、サントリー GREEN DA・KA・RAのCM曲などを披露した

 

多様化するライブ・エンタテイメント

 僕が今年(注:講演は2014年12月16日)リリースした25周年記念のアルバムはブラジルで録音してきました。その予告編を流したいと思います。

 僕のオフィシャルサイトには色んなアイコンを並べてあります。Twitter、Facebook、Instagram、SoundCloud、YouTube、これはnoteっていうSNSです。

 Twitterのアカウントを持っている人? これはほぼ100%だね。Facebookをやっている人? これもかなりの比率。Instagramをやっている人? これはだいぶ少なくなる。SoundCloudで何か発表している人? これはかなりのマイノリティー。YouTubeのアカウント持っている人? 意外といるね。noteを知っている人? 意外といない(笑)。

 まあそんな感じで、自分でも混乱するぐらい色んなことをSNSで発表しています。これは今のインターネット中心の時代にはミュージシャンとしては欠かせないことで、みんなやっていますね。

 SNSは時代とともにどんどん変わっていくので気が抜けないですね。数年前までMySpaceというSNSがミューシャンの間では結構主流で、海外にツアーに行くと、海外のミュージシャンからメールアドレスのかわりにMySpaceのアカウントを聞かれました。それほどMySpaceは流行っていたのに、あっという間に使われなくなってしまいました。mixiもありましたけど、みんなの世代ではもう廃れていたのかな。そんなふうに移り変わりが激しいところがインターネットの世界の怖さですよね。FacebookやTwitterも来年あたりどうなっているか分からないくらいですね。でも、そういう中に僕らは漂っているというか、SNSで繋がっている人がたくさんいて、不思議な時代だと思います。

 僕は今、25周年記念のアコースティックツアーをやっています。あと2本を残すのみなんですけれども、例えばカフェやギャラリー、レストランもまわりました。他には幼稚園、岩手県盛岡の大慈清水御休み処、これは古民家ですね。滋賀県旧大津公会堂は昭和4年に建てられた古い公会堂、奈良県の法徳寺というお寺。このように色んな会場でライブをやっています。こういうことができるようになったのは、まさにインターネットのおかげなんですね。あとは機材が小さく高性能になって、音響施設がない場所でもスペースがあればどこでもできるようになりました。

 みなさんが今勉強しているライブ・エンタテイメントの世界というのは、アーティストがいてイベンターというライブをブッキングする人たちがいて、会場があって、そこから発信される情報で人が集まってくるのが基本的な仕組みです。だけど、今の時代はインターネットでアーティストが自分でライブの情報を発信して、ライブ会場じゃないようなところに人を集めることができる。昔だったらフライヤーや口コミしか広める手立てがなかった。中にはバンドの車に機材を積み込んで、音響機器も全部自分たちでセッティングしてツアーをやっている強者も結構いますね。マスメディアで取り上げられるほど大きなムーブメントにはなっていないけれど、ライブのスタイルが多様化しているという意味ではすごく面白い時期だなと僕は思っています。

 先ほど少しお話しましたが、20世紀はやはりCDありきだったんですね。ミュージシャンはCDを出すことが一番重要な使命で、それが最大の収入源になっていましたし、CDがなければ音楽業界は成り立ちませんでした。今はそこが一番変わったところで、僕自身は今ライブがないと成り立たないと思っています。例えば、CDショップ経由のCDの売上よりも、ライブ会場の物販CD、手売りの方が多いアーティストがかなりいるというのが2014年の実情です。だから、これからライブ・コンサートに携わっていこうとしているみなさんは、音楽の一番重要な部分を担っていく人たちでもあると思うので、そのことは是非知っておいてほしいと思います。

 中には以前よりCDが売れなくなったことを嘆くベテランのアーティストの方々もいるんですが、僕自身はそのようには捉えていなくて、もともと音楽というのは、レコードが発明される以前は、本当にその場だけのもの、記録できないもの、残らないものだったんですね。時間と場所を共有しないと体験できない儚いもの。だからこそ素晴らしい芸術だったんですが、それがレコードが発明されたことで、繰り返し、どこでも聴けることになったわけです。

 その歴史はたかだか100年ちょっとのもので、今は100年前に戻ったという考えで僕はいて。これから、色々な予測があるんですが、CDというものがどこまで続くかは正直分からないです。日本はまだCDが生き残っている方で、欧米だとほぼアナログ盤とダウンロードが主流になってきているらしいですが、もしかして日本も数年後はそうなっているかもしれません。CDを出したら「珍しいね」みたいな時代が来るかもしれないですね。

 

「音楽ファンである気持ちをずっと持ち続けて欲しいなと思っています」

高野寛氏「ライブ・エンタテインメント論」特別講座

 最後に、みなさんが音楽の仕事をしようと思っているのと同時に、音楽ファンだと思うんですけど、音楽好きな方にお願いといったら変かな…是非憶えておいて欲しいことがあります。さっきから何度も言っているように、僕らの活動というのはもちろんファンに支えられているわけですね。そのファンは、今は主にインターネットで情報を集めている。僕らからするとフィードバックがあるとすごく嬉しいんですね。例えば、ライブが終わった後のTwitterの感想ももちろんですし、iTunesやAmazonのレビュー、Facebookのいいねボタン、そういったものがたくさん返ってくるとやっぱり手応えを感じます。それはライブをやったときの拍手や歓声をもらったのに近い感覚かもしれません。

 みなさんのそういったフィードバックが循環して、ネットの繋がりを深めて、盛り上げていって、そこから活動が次に繋がっていくので、せっかくみなさん音楽の仕事を志しているのならば、ただ漠然とネットを見るだけではなくて、是非気に入ったものに対してどんどん自分からフィードバックして、好きなアーティストをひいきしてみてください。ほんのちょっとした一手間です。選挙と同じで、一人一人のそんな積み重ねでアーティストが支えられているということを是非憶えておいてください。

 あともう一つ、アーティストもスタッフも同じなんですが、できるだけいい音楽にたくさん触れて、できるだけたくさん感動して下さい。やはりいい音を知っている人、いい耳を持っている人というのはいい仕事ができます。耳のいいスタッフに支えられて、いいミュージシャンが育ちますし、一流のものを作れる。それはCDでもステージでも一緒です。そういう音楽ファンである気持ちをずっと持ち続けて欲しいなと思っています。

 25年以上ミュージシャンをやってきて痛感しているのは、音楽の仕事というのは割に合わないです、ある意味(笑)。同じ時間働くんだったら、他にいい仕事があるんじゃないかと(笑)。例えば、コンサートのスタッフだったら朝早く会場入りして、設営して、遅くまで時間を掛けて撤収する。そして次のコンサートに向けてそれを片付けている。その労働時間はとても長いですよね。それはミュージシャンも同じで、ステージに立っている時間以外も、普段からずっと曲のことを考えていたりします。でも、なんでそんなしんどいことを続けられるのかというと、それはやっぱり、音楽が楽しいからなんですね。時間とかお金に換えられない何かが、音楽にはあるからやっていけているんだと思います。

 音楽の仕事に携わる人にも色々な人がいて、お金儲けのために音楽をやっている人もいるかもしれませんが、長く続けるということを目指すのであれば、音楽が好きであるという気持ちを一番中心に持って、それを忘れないでいれば、いい出会いがあって、いい仕事ができるんじゃないかなと思っています。

高野寛氏「ライブ・エンタテインメント論」特別講座

 

「ミュージシャンには小さな頃からの経験は重要?」「どのようにモチベーションを維持しているの?」

高野寛氏「ライブ・エンタテインメント論」特別講座

学生:高野先生は幼少の頃より音によく触れていたとお聞きしましたが、やはりミュージシャンには小さな頃からの経験は重要でしょうか?

高野:そうですね。他のスポーツなんかでも一緒だけど、大人になってからいきなりやろうとすると時間もかかりますよね。中には20歳からキーボードを弾き始めて一流のプレイヤーになったという人の話も聞きます。だけど、特に耳の訓練みたいなことは小さいうちにやった方がいいみたいですね。僕は幼稚園の時に、音楽教室に1年間だけ通っていたんだけれど、その時に和音の聞き分けみたいなことをやったのが役に立ったなと今でも思いますね。だけど、早いか遅いかではなく、その後の努力に関わってくるから一概には言えないですね。

学生:印象に残る音楽を作るとき、作曲から発表までどのくらいの時間がかかるのでしょうか? また、高野さんはどのような心境で音楽を作っていますか?

高野:曲が出来上がるときの気持ちとかきっかけは、本当に様々です。先ほど「Dog Year, Good Year.」という曲を歌いましたが、それは“ドッグイヤー”という言葉(移り変わりの速い月日、という意味のIT用語)を聞いたときに意味を知って、そこからインスパイアされて作った曲なんですね。「虹の都へ」は、最初にスキーウェアのCMソングの依頼がきたんです。それで、とりあえず16小節作ってくださいと。「新しいスキーウェアに紫外線を遮る機能があるので、太陽という言葉を入れてほしい」という注文がありました。そういう、完全に職業作家みたいな形で、依頼を受けて作ったんですね。そうしたら思いがけず良い曲になったので、それがシングルにまでなったといういきさつがあります(笑)。曲のでき方というのは本当に様々ですね。他にも10年以上前に作った曲を、急に最近思い出して、仕上げてアルバムに入れるということもありしました。僕はそういう風に色んな作り方をします。

学生:私は何かを作ったりするときは、それを楽しんでくれたり、喜んでくれる人のことを考えてモチベーションを保っています。ですが、期間が長いとか逆に短時間で終えないといけないときにモチベーションを保てないことが多くあります。高野さんはどのようにモチベーションを維持していますか?

高野:期間が短いというのは、例えば課題の提出が迫っているとかそういうことだよね(笑)。僕はいつも学生を見ていて大変そうだなと思っているんですけど、そこはやっぱりプロとアマチュアの違いがあって、プロになるということは、与えられた課題を期限の中でこなすことが最低限のルールなんです。それができないと次の仕事は来ません。なので、それこそ必死でやりますね。寝ないでやることもあります。モチベーションは、先ほどの話と重なるんですけど、音楽に関わることはすごく好きなので、大変でも、しんどくても、楽しいという感覚がどこかにあります。一所懸命に頑張って、物事が上手くいったときの喜び、よく頑張ったからこんなに上手く結果が出たんだと。それが次に繋がるということかもしれないですね。あとは繰り返しやっていると、だんだん早くできるようになります。例えば今日の授業は実はすごく不慣れな現場です。僕のやっているソング・ライティングの授業は講義じゃなくて実習なんです。こういう大勢の人の前で長時間話すことにそんなに慣れていなんです。結構練習してきたつもりだったんですけどね、時間が余ってしまいました(笑)。

学生:私の父親も大阪芸大出身でして、成功した人は、学生時代から努力の仕方とか本気度が周りの学生と全然違っていたと聞きました。高野さん自身は学生時代はどのように過ごされていましたか? 例えば作品をたくさん見るとか、オーディションをたくさん受けてみるとか、そういった努力や活動はされてましたか?

高野:僕は浪人して大阪芸大へ進んだんですね。その時はまだミュージシャンになろうとは思っていなかったから、1年間ギター絶ちをしたんです。そうしたら、本当に弾きたくて弾きたくてしょうがなくて、代わりにレコードをいっぱい買うようになって(笑)、結局意味がありませんでした。でも逆に自分がどれだけギターや音楽が好きかを再確認したんです。だから、本気度というか、好きという気持ちはやっぱり隠せない。大学時代もずっと練習していたし、曲を作っていました。その入り込み具合は他の子と違っていたかもしれません。僕よりギターが上手い人も何人かいたんですけど、その人達はプロにはならなかったですね。だから努力というよりは、そういう部分が自然と出てきたという感じがしています。

学生:高野さんはご自身の曲を作る以外に、他の方へ楽曲提供をしていますが、楽曲を提供する場合、特にどのような点に注意して作られますか?

高野:その人の声を頭の中にイメージしますね。二枚目の人から依頼が来たら、そういう詞を書きます。僕はそういう意味ではいまだに照れがあって、自分の曲だとあまり格好つけられないというのがあるんですけど、一度、キムタクが歌ったらどうなるかとシミュレーションして曲を作ったことがありますね。イメージする人の声とか、キャラとか、作りたいことによって変わってきますね。