【DAWN】日本ライブエンターテインメント業界のイノベーター2名によるトークセッション 「ULTRA JAPAN」、「Kawaii」カルチャーの仕掛け人の二人が語る日本のライブエンターテインメントの未来<前編>
「DAWN Live Entertainment Summit 2017」第1部イベント業界を牽引するトップクリエイターによるトークセッション
<スピーカー>
小橋 賢児氏 ULTRA JAPANクリエティブディレクター
中川 悠介氏 アソビシステム株式会社 代表取締役
<モデレーター>
塩田 元規氏 株式会社アカツキ 代表取締役 CEO
日本のライブエンターテインメント業界を牽引するトッププレイヤーや有識者、そして業界の未来を担う若きプロデューサーたちが集まり、ライブエンターテインメントの未来について語る「DAWN」。トークセッションの第一部として、ULTRA JAPANクリエティブディレクター小橋 賢児氏とアソビシステム株式会社 代表取締役 中川 悠介氏を招き、日本のライブエンターテインメントの未来について語られた。
“ロケーションエンターテイメント”としてのイベント制作
塩田元規(以下 塩田):まず、小橋さんの取り組みをご紹介ください。
小橋賢児(以下 小橋):「ULTLA JAPAN」という3日間で12万人が集まるイベントをお台場でやっているのですが、そちらはご存じの方が多いと思いますので、今年5月にお台場の砂浜で東京の夜景をバックに開催した、未来型花火エンターテインメント「STAR ISLAND」についてお話したいと思います。
「ULTLA JAPAN」で出会った老舗の花火師さんと何か新しい可能性を探せないか、花火という伝統と今の時代の才能・テクノロジーと融合して未来を紡ごうということで、砂浜に260台のスピーカーを配置して、全てモノラルで1個ずつ音を出して屋外で3Dサウンド空間を作ったりしました。
花火とお客さんの間には距離があるじゃないですか。その空間を埋めるためにライティングとかファイヤーパフォーマンス、ウォーターパフォーマンスなどを取り入れて、「STAR ISLAND」という名の通り、お客さん1人1人が「STAR=星」になるようLEDのバンドを配って、光と音楽が完全にシンクロする演出をしました。
あと、100の花火の見方を啓蒙したいなと思っていまして、砂浜に置かれた巨大なベットやクッションの上で見られるエリア、ディナーを食べながら見られるエリア、子どもたちと遊びながら見られるエリアを作ったりしました。
「STAR ISLAND」は“花火のエンターテイメント”に見えると思うんですが、僕の中では“ロケーションエンターテイメント”だと思っています。僕は年間半々くらいで日本と海外を行き来していて、海外に行けば行くほど、日本の魅力に気付かされることがあるんです。すごくイケてる場所とかもったいない場所がいっぱいあるなっていつも思っているんです。
それこそ「ULTLA JAPAN」をお台場でやりたいと思ったのも、お台場って海外から来ると、羽田と成田の間の玄関口で、世界にアピールできる場所なのに、十何年前に流行った影響で、「イケてる場所じゃないよね」という固定観念がついてしまい、知っていても行かない場所になっていました。
海外に行くとそういう固定概念ってフラットになるんですよね。実際お台場に行くと、お台場から見る東京の摩天楼ってめちゃめちゃイケてるし、レインボーブリッジから見るお台場の景色も本当に素晴らしくて、「なんで世界に誇れるものを生かしきれてないんだろう?」と思ったんです。
イベントって、いきなり巨大なものはできないけど、1日2日であれば日常の中に非日常を作れるんですね。異空間に入ったような感覚を生むことによって、可能性を感じて欲しかったですし、この空間を最大限に生かす演出をすることで、東京という街に可能性を感じることは、結果自分の人生だったり、世界に可能性をもってもらえるんじゃないかなという思いでイベントを作りました。
塩田:今回は、お二人の共通点を考えてテーマを2つ上げているんですが、お二人とも単純にイベントをやるという定義をしてなくて文化までも作っていて、しかもグローバルと日本どちらもやられている。1つのイベントをやるのに、どういう可能性があるか考えて、「だからこのイベントをやるんだ」というのが小橋さんのスタイルですよね。
小橋:そうですね。なんでこういうイベントを作ったのかと聞かれると、僕はいつも世の中にある違和感を基にイベントを作るんですよね。「なんでこれができないんだろう?」「なんでこれが伝わらないんだろう?」とか、「なんでこうしなきゃいけないんだろう?」という固定概念に対しての違和感ですね。
僕の好きな言葉に「中道」というのがあるんですが、“両極を知ることによって真ん中の道を知ることができる”という意味で、1つのコミュニティーの中に入ってしまうと、その中での価値って勝手にできあがってしまうんですが、そのコミュニティーを外れることによって自分の考えを俯瞰して見ることができるんです。日本の中での固定観念を“なぜ”と。なぜこのロケーションを生かせてないのか? とか、こんな素晴らしい東京という街に住んでいるのに、東京はなぜイケてないと感じるのか? とか。
塩田:中にいると気付かないですよね。僕らが大学生の頃はお台場でのデートが良かったのに、この歳になると「あれ、なんでお台場なの?」という感覚で。
小橋:場所としての価値はまだまだあると思いますし、これはお台場に限ったことではなくて、こういった場所は日本全国にあるんです。何でもかんでも新しいものを作っていくんじゃなくて、すでにある価値をもう一度掘り起こして、新しい才能やその時代のものと紡いでいけば、さらに可能性が広がるという「気付きの場」を作りたいという思いはあります。
人が集まる場所が好きでイベントを始めた
塩田:では次に中川さんの取り組みを教えてください。
中川悠介(以下 中川):アソビシステムという会社を原宿でやっています。アーティスト・モデルマネジメントや、そこから始まるイベント制作だったり、場所作りを積極的に行っています。あと外国人向けのインバウンドもやっていて、竹下通りと明治通りがぶつかるところで観光案内所をやっていたりもしています。
塩田:アソビシステムはきゃりーぱみゅぱみゅが一番目立っているように見えますが、色々なことやっているんですね。
中川:ライフスタイル全般ですね。うちのモデルたちに紐付くブランドやサロンもやっていて、それを海外へもっていっています。
塩田:どういうきっかけで事業はスタートしたんですか?
中川:元々は人が集まる場所が好きで、高校生の頃は文化祭が大好きで実行委員長をやってみたり、人をいっぱい集めるのが好きでした。クラブイベントも好きだったので、自分たちで始めて、そこに人を呼ぶにはマネジメントが必要になったという感じですね。
小橋:僕も一緒です。元々裏原やその辺りの先輩がイベントやDJをやっているのをずっと見ていて、自分でやってはいなかったですが、その場が好きだったんですね。俳優を27歳までやって、休業して、世界中を旅して色々なフェスに行ったときに感じたことが、様々な境遇の人が、例えば音楽イベントだったら“音楽”っていうキーワードを通じて気付きのきっかけを作っているなということで、落ち込んでいる人がそこに行ったら、人の笑顔や考え方だったり、新しいエモーショナルなものに触れることで変わるじゃないですか。イベントが人生の機転になっているのってすごく素敵だなと思ったんですよね。
それで日本に帰ってきてから、最初は自分でイベントなんて作れなかったので、まずは自分の誕生日をイベント化するところから始めました。「人にもてなされるんじゃなくて自分でもてなす」というテーマで、きちんとフライヤーを作って、良い場所も借りて、装飾なんて当時お金もなかったですから問屋街に行って、自分たちで風船とか買って飾り付けたりしました(笑)。
ルールと共存していきながら新しいかたちを作っていく
塩田:お二人ともプロデューサーという立場でもの作り、コンテンツ作りをされていると思いますが、最近感じる変化はありますか?
中川:固定概念って日本では強くて、例えばイベントをやるならイベンターがいてレーベルがあって、決まったルールがあるじゃないですか。それはそれで大事な部分もあるんですが、それにはまり過ぎてしまっていて、当たり前の業務になっていることが多いなと感じています。クラブというジャンルもそうですし、昼間のコンサートというジャンルもそうですし、全て固定概念の中のルーティンワークになっています。
最近だと夜の使い方もそうなんですよね。例えば、もう少し遅くライブがスタートすればお客さんがもっと入るのになと思っても、会場側が「この時間を越えたら延長料金がかかります」とか、くだらない理由で色々なことが制限されちゃっていますよね。
塩田:確かに夜とか僕自身の行動を見ても大体ルーティンな遊びしか行けてないですし、土日だけの時間に集約されちゃうのはもったいないですよね。
中川:僕は今、自民党の時間市場創出(ナイトタイムエコノミー)推進議員連盟に参加させてもらって、そこでも話しているんですが、僕も小橋さんも最近出てきた人たちも、すでに色々なルールが決まってしまっている中でやっているんですね。そのルールを壊すわけではないですが、そのルールと共存していきながら新しいかたちを作っていくことが必要だと感じていますね。
塩田:今日のこの場もそうですが、違う業種の方々とゼロベースで新しいものを作っていく必要があるということでしょうか。
中川:そうですね。例えば僕らも最初は「なんでDeNAがSHOWROOMのような事業を始めるんだろう」とか半信半疑になりますが、でも話してみれば共通点もあって、目指す方向性は同じじゃないですか。そういうことがもっともっと起こってこないとなと思いますね。
IT業界とエンタメ業界には意外と断絶がある
小橋:逆に塩田さんに聞きたいのが、今まではゲーム業界の一線でやってきた中で、今このタイミングでエンターテイメントに行く理由はなにかあるんですか?
塩田:僕らは創業したときから、ゲームだけの会社と定義したことはなくて、人が生まれてから死ぬまでの全ての時間をカラフルにしていくというミッションがあるんです。
「ライブエンターテイメント」って、“生の”っていうことだと思うんですが、我々のゲームはデジタルでコンテンツを提供していくと、デジタルコンテンツの価値はだんだん無料化して、いつでも見れるものになっていくという現実があって、そのときに“実際行かなきゃいけない”ということが価値になっていくんじゃないかなと思ったんです。
かつIT業界とエンタメ業界って断絶があるなと思っていて、意外とお互いを知らないじゃないですか? ですから、外の業界、エンタメ業界に我々のITやテクノロジーが入ったらもっと変わるんじゃないかなと思っているのがベースですね。
小橋:それこそシリコンバレーに行ったら、Googleのチームがずっとバーニングマンにいたり、Appleの人もいたり、ITとイベントが紐付いているんですよね。
塩田:来年は一緒にバーニングマン行こうって言っていますもんね(笑)。
小橋: Googleのホリデーロゴも、ラリー・ペイジ達がバーナー(バーニングマンに参加する人)で、バーニングマンに行っているよというのを社員に伝えるためにバーニングマンのロゴを入れたのが始まりだったりするんですね。
バーニングマンのルールは「Give and Give」で、見返りを求めない。素晴らしい才能を持った人が無償で音楽を提供する、音楽を提供できない人が何を提供するかといったら、笑顔で踊ることも「Give」なんですよ。それで循環する「街」なんです。
バーニングマンの面白いところは、あらゆる企業がステージを組んだりするけど、一切広告が禁止なんですよ。なぜそれをやるかというと、一緒に作り上げるプロセスだったり、その体験を通じて未来で何かをしてくれるんじゃないかという、未来に対しての投資なんですよね。
塩田:リターンがあるわけではない、人類に対しての投資ですよね。こうゆう思想が日本でも増えるといいですよね。
小橋:バーニングマンのもう1つのルールに「傍観者になるな」というのがあって、全ての者が表現者になるっていうことで、それこそ普通の格好をしていくと逆に地味で目立っちゃう。みんな自分の表現でド派手な格好をしていますからね。
もともとITを創った人たちって、「人類とは何か?」という思想から始まっているんじゃないかと思うんですよ。ただ、今は情報の中でビジネスモデルが見えたらビジネス化できちゃうじゃないですか。エンターテイメントを創る上で、人間の根幹とはなにかを肌で感じて旅して触れあって、自分とは全然違う感覚のコミュニティーにいくことは大事だなと思っています。
塩田:それは重要ですよね。共同体験を得て垣根がない人間関係が生まれて新しい何かを創って行くという。
「今やらないとダメだな」とYouTubeで感じた
塩田:海外と日本という話をしてきましたが、中川さんは日本発かつグローバルな難しいものを成功させてきましたよね。そのときはどんなことを考えていたんですか?
中川:今まできゃりーぱみゅぱみゅのワールドツアーを3回やらせてもらったんですが、初めて行ったときは本当に何もわからなかったので、自分たちで、手探りでやったんですよね。初めて紅白に出た次の年の2月に決行して。日本の常識でいうと、もう少し日本で結果を出してからというのもあったんですが、今やらないとダメだなってYouTubeで感じたんですよ。
きゃりーはYouTuberが流行る前に『PONPONPON』のPVをフル尺でアップしたことによって、それをケイティー・ペリーが「可愛い」とつぶやいてくれたり、リンキン・パークがつぶやいてくれたり、海外が反応してくれた結果、広がっていったんですよね。
当時「YouTubeって何だろう?」という意識があったんですが、そこで反応を見られたことによって、今日、動画をUPしたものが世界中に広がるという速度を感じたんですよね。ですから「やるなら今だろう」と思ってワールドツアーをやったんですが、そのときは本当に手探りで、自分たちで荷物を抱えて行ったので、入国するのも大変でした。
塩田:そもそも海外にファンがいたんですか?
中川:確信はなかったんですが「いるな」と思ったので、とりあえず行ってみるしかないと。
塩田:なぜ海外でファンを獲得できたんだと思いますか?
中川:そもそも僕たちは原宿にずっと居て、「原宿のカルチャーや原宿に居る子たちは海外に向いているな」と思っていました。実は日本独特の音楽の感覚、色彩感覚なんかは、海外から見ると新鮮で、増田セバスチャンなんかまさにそれで、彼が創るものは外国人からの反応が良いんですね。彼がやっていることは世の中に出ている物をまとめたり、自分たちの持っている感覚を出すことなんですが、それを外国の方は認めてくれていると感じています。
最初からきゃりーのPVに増田セバスチャンを使って、中田ヤスタカの音楽と全部合わせて“メイドインジャパン”で海外に行ってみたいと思っていました。だから、海外に行っていちいち全てを英語訳する必要はないし、そこは自分たち独自のやり方でやっていきたいなという思いがあったんです。
▼後半は 12月19日公開