第170回 シンセサイザープログラマー/プロデューサー 松武秀樹氏【後半】
特に1977年~1982年にかけてYMOの作品に参加、ワールド・ツアーを含めたライブにも帯同し、“第4のYMO”と呼ばれたのは誰もが知るところです。1981年には自身のユニットであるロジック・システムをスタートさせ、数多くのアルバムをリリース。また、日本シンセサイザープロフェッショナルアーツやMPNなど多くの音楽関連団体での活動を通じて、ミュージシャンやプログラマーの地位向上、よりよい環境作りに尽力され、4月からは京都のα-stationにて新番組「Logic Radio」をスタートさせる松武さんにシンセサイザーとの出会いから現在取り組まれているプロジェクトまで、じっくり伺いました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)
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第170回 シンセサイザープログラマー/プロデューサー 松武秀樹氏【前半】
矢野誠との出会いからポップスの世界へ
──冨田先生のところには何年ぐらいいたんですか?
松武:2年半ぐらいですかね。インターパックに投資をしていた会社の社長さんから「松武君、冨田先生と同じ機械を買ってあげるから、君が稼いできなさい」と言われて、ビックリしました(笑)。
──2年半でモーグは扱えるようにはなったんですか?
松武:なりました。当時、音楽業界でシンセを持っている方って数えるぐらいしかいなかったんじゃないかな。5、6人いたかいないか。それもミニモーグとか小さいものばかりで、モーグⅢのような大型のシンセは誰も持ってなかったはずです。それで新型(モーグⅢc)がきました。今も現役バリバリですよ。
──シンセってそんなに長持ちするものなんですか?
松武:ちゃんとメンテして、変な場所に置かない限り大丈夫です。ただ接触不良とかがあるのでときどき電気を入れてやらないと駄目ですけど。レコーディングスタジオのアナログ卓もガリったりするじゃないですか? あれと同じです。
──でも松武さん用に買ってくれたわけですから、すごいですよね。
松武:買ってくれたはいいですけど、どうやって稼いだらいいんだろう…って、不安でしたよ(笑)。
──ちなみにどうやって稼いでいったんですか?
松武:最初のうちはCM会社の人とかに、「モーグを購入したので、まずはお試しで結構ですから使ってください」みたいな感じで売り込みました。それで使っていただいて、「2回目からはお金をもらいます」みたいな(笑)。
──初回無料(笑)。
松武:初回無料(笑)。だって海のものとも山のものともつかないようなシンセサイザーじゃないですか。そうこうしているうちに、段々と「松武ってやつが、とんでもない楽器でなにかやっているぞ」という話が広まっていったんですよね。
──ちなみにあのタンスって持ち運びできるんですか?
松武:持ち運びできますよ。3つに分かれるので。冨田先生が持っていたのも4つに分かれるので簡単に持っていけます。うしろはワイヤリングをするだけなので。
──そうやってCMの現場やスタジオにも持っていくんですか?
松武:持っていきます。それであるときに作曲家・アレンジャーの矢野誠さんから突然電話がかかってきて「モーグ使いたいんだけど、いいですかね?」という話になって(笑)。その現場が南佳孝さんのデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』で、そこでモーグを使いたいと。僕がスタジオに行ったときにはいませんでしたけど、バックバンドはキャラメル・ママですよ。今考えてみると、とんでもないメンバーがバッキングをしていて、確か松本隆さんがプロデューサーでシンセを担当しました。
──それはおいくつの頃ですか?
松武:23、4のころだったと思います。
──若いですね!
松武:いやいや(笑)。それで矢野誠さんにシンセを使っていただいたことをきっかけに、色々な方とお仕事させて頂くようになりました。その後、矢野顕子さんの3枚目の『ト・キ・メ・キ』というアルバムをニューヨークでレコーディングすることになったんですが、その直前にローランドのMC-8という自動演奏機、シークエンサーが出てきたんですよ。テンキーで打つことで、自動演奏をしてくれる装置ですね。それを購入したことで矢野さんが「ピアノとシークエンサーだけで曲をやりたい」ということになって。『ト・キ・メ・キ』の中に入っている「ヨ・ロ・コ・ビ」は、ベートーヴェンの第九ですけども、それをやったんですね。そうしたら大ウケして、色々な方々に「こんなことができるんだね!」みたいに言われましたね。
──やはり松武さんにとっても思い出深い録音ですか?
松武:ええ。それで77年の大みそかに、今は新しくなった西武劇場にタンス(Moog IIIc)とMC-8と、矢野さんのピアノだけを入れて、僕は矢野さんの後ろでシンセを操作して「ヨ・ロ・コ・ビ」を演奏したんです。客はみんな、口を開けたまま「ハァ……」って感じでした(笑)。
──それはお客さんもビックリしますよね(笑)。
松武:その矢野顕子さんのことも含めて偶然が偶然をつないでいったんですよね。矢野さんとの演奏をきっかけに、坂本龍一さんと出会って1978年に『千のナイフ』の録音が始まり、それをきっかけにYMOが始まる。
──全ての出来事が濃密に繋がっていますね。
松武:冨田先生のところに行かなかったら、こういうことにならなかったですし、、親父には本当に感謝ですね。
シンセサイザーの未来とは
──やはり松武さんのキャリアの中でもYMOとの出会いは大きなものでしたか?
松武:そうですね。矢野誠さんとの出会いから、松任谷由実さんも含め才能溢れる方々と仕事ができるようになったのはとても大きかったのですが、やはりYMOとの出会い、特に細野晴臣さんは憧れの人でしたので、一緒に仕事ができたのはすごくうれしかったです。
日本のミュージシャンを深く知るようになったのは、冨田先生のところに入ってからなんですよね。その頃はまだ若手のミュージシャンというのがあまりいなくて、スタジオミュージシャンがほとんどでした。いわゆる職業ミュージシャンと言いますか、その場で譜面を渡されてすぐに演奏をしちゃうというね。
──そこにシンセサイザーが徐々に入ってきて、マニュピレーターがスタジオに出入りするようになって。
松武:僕はマニピュレーターという言葉があんまり好きじゃないんですよ。あれってもともとは電話の交換手からきているんです。だからどちらかというと、タンス(Moog IIIc)をどう繋ぐかとか、そういったことをするのがマニピュレーションというかマニピュレーターであってね。
──つまり、クリエイティブな雰囲気は一切ない?
松武:そう、ないんです。こことここを繋ぐ。ここからこれはこっちに繋ぐみたいな。日本語で何と言えば良かったのかなって今でも思います(笑)。
──シンセサイザー奏者とか?
松武:まあ、そうですね。
──ただ、いつの間にかマニピュレーターという言葉をあまり聞かなくなって、プログラマーって呼ばれるようになりましたよね。
松武:でも、またマニピュレーションをする人って増えてきていて、最近はライブの現場ってプログラマーがいないんですよ。つまりシンセの音色を作るのは、アレンジャーなりキーボードの人がほとんどやっちゃうので、そこで音を作るということはなくて、もっとトータルに全てを制御する。例えば、映像と音とライト全部をコントロールする人がいるんですよ。どんな大きなコンサートでも。だからそれがどちらかというとマニピュレーターになっている。彼らはシンセの音色はほとんど作らない。もちろん作る人もいるかもしれないですけど、新しい分野の仕事の呼び方になっているような気がします。
──完全な技術者ですね。
松武:そうですね。
──昔のライブの現場には親方に怒鳴られている若い少年技師とかいましたよね。まさに職人的な世界で。
松武:いましたね(笑)。そういうのが今はないですよね。僕はYMOでワールドツアーもやらせてもらって、トラブルも含めて色々な経験をさせてもらいましたが、やっぱり機械の進化とともに楽になる一方、そういった経験ができないのはいいことなのかな?って思うんですよね。今は便利になりすぎちゃって、危険なことがあんまりないような気がするんです。いきなり停電になるとかは別の話ですけど。
──YMOのワールドツアーの頃は大変なことだらけだったんでしょうしね。
松武:逆にいうとそこに魅力を感じて、みんなライブを観に行くんだと僕は思うんですけどね。だからYMOの5年間が、僕のその次の活動にいろいろな形でヒントを与えてくれたと思いますね。
──松武さんはシンセサイザーに関して常にトップランナーという印象があります。
松武:いやいや(笑)。僕よりトップの方はたくさんいらっしゃいますけど、シンセサイザーって完成していない楽器なんですよ。どの機種もみんな完成していなくて、まだ発展途上なわけです。ですから僕が生きている間に、今ある状況下でどこまで突き詰めた音作りができるかということをずっと続けてきているんですよね。
──シンセは今も進化を続けているんですか?
松武:日々進化しています。ですから、例えば、冨田先生が考えていたことが人工知能できちんと解析、分析ができて、それができあがったときに冨田シンセサイザーが完成するかもしれません。そして、僕が考えていることは松武秀樹のシンセサイザーと、これからは個人個人のものができあがるかもしれないんですよ。
──冨田モデル、松武モデルみたいな。
松武:そういう可能性はあると思いますね。まあ、生楽器じゃないので、蓄積させる要素としてどういうものが必要なのかわかりませんが、少なくともYMOにおける松武秀樹は多分こういうことを考えて音を作っていたということは、分析しようとすればできるわけですよね。作品として過去のものは残っていますし、それがモーグのタンスで作ったか、アープで作ったか、ヤマハで作ったのか分析できるわけでね。
──シンセサイザーはその機種ごとの音色が全て価値を持っていますよね。
松武:そうです。音が全部違いますから。プロフェット5があれだけ根強い人気なのは、あれにしか出せない音があるからなんです。それをみんながわかっているんですよね。
──シンセによる音楽の可能性はまだ無限にあるとお考えですか?
松武:無限というか、こればっかりはわからないと思いますよ。でも、僕は何十年もやってきて、自分のやりたい方向はなんとなくコントロールできるようになってきたかなと思っています。色々なメーカーのものがたくさん出てきていて、情報も溢れているんですが、自分がやりたいものというのは昔からそんなに変わっていなくて、色々な方法を試しましたけど、結局は基にある電気の不思議とか、マジックみたいなものに戻るんですよね。
──例えばバイオリンなら「この音がいい」というのは大体決まっていて、今さら新しいストラディヴァリウスのバイオリンは出てこないわけじゃないですか? でもシンセは新たな手法なりがいくらでもできる可能性はありますよね。
松武:そうですね。完成された楽器って、それを作る製造元はそのクオリティーを維持しないといけないですし、演奏をする人はその楽器に合う技量を手に入れなきゃいけない。シンセを演奏する僕らはその両方をやらないといけないんですよ。技量も手に入れなきゃいけないですし、新しい音に対してきちんと勉強していかないといけない。
今、デジタルシンセサイザーにおいて日本のメーカーも含めやっていることは、アナログシンセをデジタルでどこまで再現ができるかということなんですよ。アナログシンセの回路はお金がかかるからもう作れない。だからデジタルの技術でどこまでアナログシンセに迫れるかという。一部、昔の回路で部品を今のもので代用して作っているところもあるんですが、そういう意味では、僕らが生きているうちにはデジタルシンセサイザーは完成しないでしょうね。
後輩が安心して仕事ができる音楽業界にしたい
──松武さんは日本シンセサイザープロフェッショナルアーツの代表理事、演奏家権利処理合同機構MPN 副理事長としても活動されていらっしゃいますよね。
松武:やはり僕らのあとに続いてきてくれる人たちの指標をきちんと示しておかないといけないのかなと思っているんです。僕らがこの業界に入ったときに、先輩はたくさんいましたけども、まあ、自分たちさえよければいい、あとはお前たちで適当にやってみたいな感じでしたから(笑)。それはちょっと無責任だと思うんです。やっぱり先輩は後輩をきちんと引っ張って、安心してこの業界で仕事ができるようにしていかないといけないと思います。
日本シンセサイザープロフェッショナルアーツでは、マニピュレーションをする人たちや、シンセアーティストになっていく人も含めて、大事にしていかないといけないと思いますし、MPNは、色々なジャンルのミュージシャンの集まりの団体なので、そういった方々と共存共栄しつつ、新しい権利を取得しようと活動しています。
──新しい権利にはどのようなものがあるんでしょうか?
松武:ご承知のように、ウェブキャスティングの権利って今は無茶苦茶になっているんですよ。ウェブ上に勝手に音源を上げられて、僕らには一銭も入らないで、違う人が儲かっているという形が常態化しています。そこはきちんとしなければいけないですよね。ヨーロッパではそのことについてはすごく議論をして、ある程度は法律化されている部分もあります。
先日、フランスの有名なシンセサイザー奏者ジャン・ミッシェル・ジャールに会って、そんな話をさせてもらったんですが、彼もそういうことをすごくよく考えているんですよね。彼のような人には「食べていけないミュージシャンを助ける」という気持ちが常にある。だから分配の多いミュージシャンがお金を後輩に回して、その人たちを上に上げる、そういう活動を積極的にやっているんですよね。それは日本と圧倒的に違います。日本は「CDが世界でいちばん売れている国だ!」みたいなことを未だに言っているんですから(笑)。
──(笑)。
松武:そういうところも含めて、やっぱり若い人たちが少しでも活動しやすいようにと思って色々やっているんですけどね。例えば、全員はちょっと無理かもしれないですけど、最終ミキシングをしたエンジニアには著作隣接権があると思うんです。つまり、商品にしてみんなが気持ちよく聴けるようにする技術というのは、やっぱり実演だと思っているんです。
──なるほど。
松武:僕が今、いちばん主張をしているのがその部分で、それを近々きちんと具体化できるようにしたいです。実はプログラマーもそうだったんですよ。芸団協(日本芸能実演家団体協議会)に入会をするときに、著作権法に「実演とは?」という項目ががたくさんあって、「詠唱し、舞い、歌い…」とか色々書いてある一番最後に「その他の方法」というのがあるんですね。「その他の方法で、演じるものを実演家と言う」と書いてあるんです。
──つまりプログラマーは「その他の方法」だったんですね。
松武:その他だったんです。実演というのは口から声を出すとか、手でギターを弾くとかなら分かりやすいんですが、僕なんかの場合、もちろんキーボードは触っているんですが、プログラムをしてスタートボタンを押したら演奏から離れてしまうわけですよね。つまり、プログラムというのはなんなのかきちんと説明できないと実演としては認めないということだったので、芸団協の役員の方々にスタジオへ来ていただいて、「今から打ち込みやります」と言って、8人分の演奏をそこで打ち込んでボタンを押すと、ドラムが鳴るは、ベースが鳴るは、コードが鳴るはで、みんな「あー、これですかプログラムって」と(笑)。
──そして「これは実演だ」と。
松武:そう、これが実演ですとね。そういう風にやって見せないと理解してもらえなかったんですよね。
シンセサイザーの響きの探求に再び戻る
──最後になりますが、松武さんの最近の活動についてお伺いしたいのですが。
松武:山口美央子という80年代初頭にデビューしたアーティストがいまして、デビュー作からアルバム3枚(『夢飛行』『Nirvana』『月姫』)に僕がシンセサイザーで参加したんですが、ここ数年の和モノ人気もあり、アナログでしか出ていなかったものですから、海外の熱心なファンから僕のところへ「CDでリリースしないのか?」という声が多く届いていたんですよ。
実は、2017年2月にソニーミュージックダイレクトから僕の仕事をまとめた『ロジック・クロニクル』というCD5枚組を出したときに、そこに山口の作品を入れたかったんですが、権利関係がクリアできなくて収録できなかったんです。そして、僕の方から原盤会社に持ちかけまして、弊社のレーベル(pinewaves)からCDをリリースすることになったんです。
──反応はいかがでしたか?
松武:往年のファンや、海外の新しいファンに大変喜んでもらえまして、トークショーやミニライブをやる中で、僕から山口に「新しいアルバムを作らない?」と提案して、1983年に出した『月姫』の続編のような形で、35年ぶりのアルバム『トキサカシマ』を僕のプロデュースで昨年1月にリリースしました。
──35年ぶりはすごいですね(笑)。
松武:でも声は衰えていないどころか、逆に艶が出てきたと言いますか、すごくいいんですよ。それで『トキサカシマ』も大変好評で、山口は今ライブをしたり本格的に活動を再開したんですが、彼女が作曲家として数多くのアーティストに提供した曲たちと、先ほどの3枚のアルバムから選んだ曲のセルフカバーをしたアルバム『FLOMA』を昨年夏にリリースしました。これも僕のプロデュースです。
──山口さんの3枚のアルバムには「和風三部作」と呼ばれる曲が収録されていますが、琵琶や琴といった和楽器をシンセでやっているわけですか?
松武:ええ。山口が海外で受ける理由というのは、日本人独特の響きとリズムがあるからなんですね。また、35年ぶりのアルバムも含めて、僕もシンセサイザーの響きをもう一度追求してみようと思ったんです。
──松武さんも初期のころから、日本の伝統的な音を意識されていたそうですね。
松武:これも冨田先生の話に戻っちゃうのですが、やはり日本人なんだから日本の中で聴ける音、例えば鐘の音など、ああいった音はいっぱい倍音が混ざっているから、よく聴いて、どういった音が入っているのかを分析すると、いい音が作れると言われたんです。「倍音成分なんかわかる能力持ってないですよ…」と思っていたんですが(笑)、冨田先生が言っていた設計図ってそういうことなんですよね。
ロジック・システムのアルバムにも、シンセで作った“ししおどし”の「コーン!」っていう音が入っていて、それを外国の人が聴くと「このファンタスティックな音は何だ?」って言うんですよね。それで“ししおどし”の写真を見せると「おおー、この音か!」みたいなね。だからやっぱり日本人のミュージシャンとして、シンセで作れる音っていうのはもっとたくさんあるような気がしているので、それを山口のアルバムや、僕のアルバムで今後、表現していきたいなと思っています。あと、近々MIDIオルゴールをリリースするんですよ。
──オルゴール…ですか?
松武:「CANADEON PW40」というんですが、これはMIDIデータをケーブルやBluetoothで飛ばして、櫛歯を遠隔操作するオルゴールなんです。出る音はあくまでもオルゴールの音で電子音ではなく、また、瞬時に曲目を変えることもできます。
──すぐ曲が変えられるのは良いですよね。
松武:昔のオルゴールのイメージで言うと、例えば「エリーゼのために」とかそういった曲を想像しますが、「CANADEON PW40」はYMOを演奏させることもできます (笑)。MIDIデータが作れれば、あるいはキーボードを弾ければこのオルゴールに演奏させることができますからね。どちらもできない方は「CANADEON PW40」用に用意するMIDIデータを利用頂く方法も考えています。MIDIですから横にリズムボックスを置いて同期させたり、ボーカロイドに歌わせたりできます。また、山口にもこのオルゴール用のオリジナル曲を制作してもらっています。
──よく考えるとオルゴールってシンセサイザーの先祖みたいな感じですよね。だから松武さんがやるというのは何となく分かりますし、面白いなと思いました。
松武:そうなんですよ。シンセサイザーとオルゴールって共通点がたくさんあって、どちらも独特な響きがあって魅力的なんですよね。ですから最近はこういったものにも力を入れています。
「CANADEON PW40」のメカ(仕組み)は他では製作できないものですし、MIDIピアノのようにホテルのラウンジなど業務用としても適しているので、きちんと普及させていければなと思っています。夏頃から販売していく予定です。