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ライブハウス 岡山ペパーランド 能勢伊勢雄氏インタビュー

インタビュー フォーカス

岡山ペパーランド外観
岡山ペパーランド外観

日本に今のようなライブハウスのシーンが作られ始めた70年代初期に先陣を切ってライブハウスを設立し、現在も多くのアーティスト達の貴重な表現の場となっている老舗、岡山ペパーランドを経営する能勢伊勢雄さんに、最近の新型コロナウイルスの影響から見えてきた日本の音楽・文化的背景や、音楽の本質について、そして、真剣に音楽と向き合う表現者とライブハウスの関係性など伺いました。

1.ペパーランド設立の背景とアンダーグラウンド映画『ウォーホルEPI』からの影響

──まずは岡山ペパーランドについて、どんなライブハウスなのか教えてください。

能勢:岡山ペパーランドは、1974年に立ち上がってる店なんですよね。地方だと「ライブ」という言葉自体がまだ市民権を得ていない時代で、警察に営業届けを出しに行って、「これはフォーク喫茶か何かですか?」と聞かれてしまうような感じでした。「ちょっと違うけど…」と思っても、向こうにライブという概念がない。そういう時代からのスタートでした。

──ライブハウスという形式はそれまでにあったのでしょうか?

能勢:アシベ(銀座ACB)はありました。ロカビリーの。かまやつ・ひろしさんが出ているような。でも、そういったものとライブハウスは文化的に違うんですよね。例えば、クラブの前にディスコがありましたが、ディスコとクラブは違うでしょう? それと同じように、キャバレー的なものとライブハウスは根本的に違うんです。

ライブハウスが生まれてきたのは、やっぱり70年代初頭ですよね。おそらく現存している中ではペパーランドは2〜3番目ぐらいに古いと思います。ペパーランドより半年ぐらい前に京都の拾得という店がオープンしているのですが、拾得もおそらく運営は手探りだったと思います。

⻄荻窪の時代のロフトはペパーランドと同じぐらいで、新宿ロフトができるのはペパーより3年後。ですからペパーランドはかなり古いライブハウスです。しかも岡山という地方都市でしたから、東京以上にライブハウスという概念が伝わらない。そういった岡山でライブハウス文化のロールモデルを作り上げたのは、ペパーランドだと思って頂いて間違いないです。ロフトの平野悠さんも試行錯誤しながら運営されていたとご本人に聞いたことがあります。

──日本ではまだライブハウスという概念がない時代に、能勢さんの中でライブハウスのモデルはあったのでしょうか?

能勢:ペパーランドができる前の1960年代の話ですが、僕は映画を作っていた時期があって、それ以前は岡山大学とか色々な場所でアンダーグラウンド映画の上映会を企画していました。当時、アメリカでは新しい価値観の動きが始まっていました。金坂健二さんが『地下のアメリカ』(学芸書林 1967)などの著作を通じて、それまでのアメリカ社会にない新しい対抗文化を日本に紹介するんですが、その流れの中でアンダーグラウンド映画というものが生まれてきました。

そのときに僕はロナルド・ナメスの『ウォーホルEPI』というアンダーグラウンド映画に出会ったんです。その映画の中に今日言われているライブハウスの姿が映っていたんですよね。アンディ・ウォーホルのファクトリーの中に「Plastic Inevitable」というライブハウスみたいなものが作られていて、そこでベルベット・アンダーグラウンドが演奏していたりしていたんですね。その映像と出会って、「こういう場所をとにかく岡山に作らないと」と思って始めたのがペパーランドです。

──ペパーランドは、アンディ・ウォーホルのファクトリーから来ているんですね。若い頃に映像や色々なところから影響を受けるということは本当に大事ですよね。

能勢:そうですね。そういう可能性も今、閉じられそうになっていますよね。新型コロナウイルスの影響でミニシアターの運営が難しくなっています。

『ウォーホルEPI』もアンダーグラウンド映画ですから、当時も今も、一般劇場で公開されるような映画ではないわけですね。映画作家が制作予算の限界もある中で個人的に作った映像をなんとか世界中に観てもらえるようにディストリビュートしたいというアンダーグラウンド映画の上映運動みたいなものを、東京だったら「イメージフォーラム」が作り上げるんですよね。渋谷のイメージフォーラムのかわなか・のぶひろさんも若い頃に僕と一緒に上映運動をやっていたんですよ。

かわなかさんから「京都で上映会があるから、能勢、フィルム持って映しにきてくれんか」と言われて駆けつけたりしていました。このような活動が現在の「イメージフォーラム」のスタートです。このような形で、単館系の映画館つまり、ミニシアターができあがっていったんです。

2.世界に一番早く反応するメディア=音楽とその感染力

──現在のような状況のとき、音楽が一番先にクローズしていく印象があるんですが、能勢さんはどのようにお考えですか?

能勢:それは音楽が一番早く世界と反応しているメディアだからです。例えば、映画は撮影して作品を作りあげてディストリビュートしてと…、普通に3年はかかかるじゃないですか。長いものになったら10年越しの大作とか、そういった言葉が使われるぐらいでね。でも、音楽は発想から完成までが、すごく早いメディアなわけです。

──音楽は作られてすぐに世に出て行きますね。

能勢:ええ。映画はそんな調子にはいかないですよね。

──世界一早いメディアとしての音楽が作られていき、広がっていく中で、何かあると次々とシャットダウンされるまでに至るというのは、どういった人間の心理なのでしょうか?

能勢:僕は「パラマーケット・スペクタル」という言葉をずっと使っていて、ペパーランドでもその言葉を打ち出しています。例えばメインマーケットというのはチャートのベストテンで、それは一瞬にして書き換えられていくのが音楽の世界です。だから翌週になったらランキング3位の楽曲がトップに入れ替わっていたりとか、いきなりランク外になってしまったり。そういったメインマーケットは、並行してあるアンダーグラウンドなパラマーケットからの侵食に常に怯えている側面もあって、それぐらい新しい楽曲が生まれ続け、それがメインマーケットのランキングを作り変えてしまっています。その反応が一番早く起きているのが音楽ですね。

──他の文化的なもののランキングも含めても、音楽が一番早いということですね。

能勢:そう思います!!ミュージシャンに宿る感覚的なものは言語化されるよりももっと前のものですし、映画が映像化するよりも、もっと早く、直接的に社会を映し出す鏡として紐付いています。非常にプリミティブな、原始的な感覚だから、それはやっぱりどのメディアより早いですね。それ故に一番早くクローズさせられていきます。だから、音楽が信頼できるのですよ。

──そして、現在のような緊急事態になると、その衝動を抑圧する方向になりがちだと。

能勢:そう。それで、「3密」がどうのって言ったりしてるけど、あの「3密」の中心点がコロナ感染ということでしょう? あの3つの輪が交差してるポイントが危ないというね。しかし、コロナに感染する可能性が一番高い真ん中の重なりこそが、実は音楽がこれまで行なってきていることですよ。しかも文化や音楽は実態があるようで、無いものですから、ある意味コロナ的ですよね。

──なるほど。

能勢:だから音楽は人を変えていく力があるし、それから人に感染させていく力もあるし、「3密」というのは、実は音楽にとって最も理想的な状態のことですよ。だから、密接だとか、濃厚な接触を避けなきゃいけないというけど、実は文化が育ってきたところは濃厚接触以外の何者でもないんです。ヨーロッパのカフェやクラブで小説家や哲学者と刺激し合った「サロン文化」にしても、人と人が濃厚に出会っていくことによって、次の新しい文化が生まれてきました。文化はその歴史じゃないですか。だから「3密」の真ん中のコロナ感染危険領域こそが、音楽が誕生し、生きてきたことの逆説的な証明だし、文化もそこで生きています。

確かに今、コロナでたくさんの死者が出たり、苦しんでいる人がいる状況ですから仕方ないですが、こんな発言は不謹慎ですが、本来、「3密」は人間の一番正しい姿です。ソーシャル・ディスタンス重視ではなくて、人ともっと近い形で話したり、人に影響を与えていくとか、そういうものが文化のあり方だったし、音楽のあり方だというのは忘れてはならない。

コロナ感染防止のため避けなくてはいけない「3密」こそが実は文化を実態として作ってきたものです。音楽は「3密」と非常によく似ているのです。だからペパーランドの YouTube の配信サイトの名前は、コロナウイルスの感染力を超える「魔力的な力を持つ音楽の感染」という意味を込めて、配信チャンネル名を『MUSICK INFLUENCER』(MUSICK=Music と Magick の造語)と名付けました。この配信(https://m.youtube.com/user/xxxpepperland1974)を始めたのもペパーランドは、いきなりクラウド・ファンディングに頼るのではなく、この状況に対して「音楽で何が出来るか?」「アーティストに表現できる場として何ができるか?」ということを試みた後からでも遅くないと考えています。YouTube の登録者数 1,000 人 & 視聴時間 4,000 時間の壁をクリアできたらスーパーチャットという投げ銭の機能を獲得し、アーティストに出演料を充当でき、表現者を経済的に守っていく仕組みを息子の能勢遊神を中心にしてクルーを組んで実践しています。無観客でありながら演者と観客は画面越しにチャットでのコメントでつながり、リアルタイムでのフィードバックしながら観客との一体感を形成しています。通常のライブとはまた違った感覚です。

ライブ配信の様子(撮影:池本正人)

ライブ配信の様子(撮影:池本正人)

──まさに音楽は感染するものなんだと!!!!

能勢:そう!!!! 僕のフェイスブックのページ(https://www.facebook.com/profile.php?id=1281164938)に「ディストピアの到来を音楽が告げている」という内容のポストパンデミックの文章『ポスト・パンデミックに向けて!!!』をアップしています。このテキストは昨年11月に実施した4時間の「能勢伊勢雄音楽レクチャー『音楽が予感させる未来』」を開催した内容を受けてのものです。また、レクチャーを聴きに来られた内田徹さんが、「今のデストピアを予言していたようなレクチャーだった」と言って彼のフェイスブックにあげてくれたアンサー・テキストをシェアしています。そしてレクチャーの記録映像を残してくれてた皿井淳介監督の作品を、順次、整理してYouTubeに上げていこうとしています。あと⻑年の盟友:宇川直宏さんが主宰するDOMMUNEでの『新・音楽の解読-ダダ/インダストリアル/神秘主義/ハウス/ドローンまで、誰も知らない音楽史-』(DU BOOKS刊 2013)の話もそこにUPしていきます。この関連で『ウォーホル EPI』も早送りで見えるようにします。

3.文化を終わらせないために 〜諸外国と日本の文化的価値観の違い

──今回も新型コロナウイルスの件でも、なぜドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国と日本では文化や音楽に対して国の対応が違うのか議論されていますが、この件に関して能勢さんはどうお考えですか?

能勢:日本では文化よりも生活を維持する経済が第一みたいな価値観が常にあります。だから命が第一で、次が生活で、それを支えるものがお金という経済。そして、そういう枠組みのずっと外で、無視されて来たのが「文化」ということでしょうね…。それはもう明らかですよ。

──音楽は遊びであり贅沢みたいなことになっていますね。

能勢:そう。今、命が一番大事でその次が、と下へ降りて行くのですが、逆に下から上へ上がっていってみたら、文化のしもべが経済で、一番最後が命なんですよね。つまり本当に表現をやっている人は、命がけでやっていますよ。それが見えないから、一番遊びごとのように文化を捉えてしまっています。

僕は「ポストパンデミックに向けて」という文章の中で、寺山修司の俳句の話を引用しているんですね。それは事故死するボクサーの話なのですが、やっぱりボクサーは交通事故で死にたくないでしょう。リングの上で打ちのめされて死ぬなら本望だろうけど。人間の生き方の中にはそういうものがあります。それを失ってしまったら、文化というものはわからなくなります。ということは、今回のコロナの件もそうですが、命をかけてでも守りたいものがあれば、それは存続できます。どんなものでも。ライブハウスなり、劇場空間なり、文化施設を運営しているものが「文化的存在」であろうとしていたかどうか?ということが今、問われているのだと思います。大切なのは、どこに軸足を置いているかなんですよね。

──覚悟を問われていると?

能勢:誤解してほしくないのですが、ライブハウスにもお金儲けを目的として運営されているところもあります。それを僕は批判するつもりはありません。音楽には多様な面があるわけだから全然問題じゃない。生きるとか死ぬとか、あるいは人がウイルスに感染して死ぬとか、それって絶対的なものなのですよ。死という絶対的なものを前にしては、「死ぬことは避けなければいけませんよね」という以外の回答しかないわけです。しかし、このような状況の中でもバンドが「出演したい」とか、もしくは「延期させて欲しい」とか、あるいは「今回中止させて欲しい」とかの対応が生じるわけです。絶対的なものを前にして、それらの判断は全て全面的に正しいし、表現をしたいと言って決行しようとすることも正しいわけです。そのどちらも間違いではない。それはなぜかというと絶対的なものを前にしての判断だからです。言葉を変えて言えば「死」という、もう選択の余地のないものを前にしてのことだから。それはどちらも正しいのです。豊島圭介監督の映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は三島の死を賭けても示さなければならないことがこの世界にあることを伝える内容でした。それは日本の文学が連綿と伝えてきた日本人の「魂」が近代社会の中で消滅しようとする危機です。ちょうどパンデミックとシンクロして公開されたこともなにかの因縁を感じずにはいられませんね。

──音楽に限らず、今はどちらかがもう一方を激しく批判することも見受けられますよね。また、言いたいことが言えなくなってきたと言いますか、忖度という言葉が何年か前から流行ってますが、それが増大してきているような息苦しさも正直感じます。

能勢:そうなってくると大事になるのは、生き方の問題が見えてきます。それは人に強制できないですからね。ただ、社会がヒステリックになっている一面もある。僕がフェイスブックにあげている「ポストパンデミックに向けて」という文章の最後に稲垣足穂の「死は自然界の不定定数が決めるものだ」という話を書いていますが、死ぬことは自然界の定まった定数ではなくて、不定定数が決めていくものだと言った稲垣足穂のような感覚で生きていればいいと僕は考えています。

それをストレートに書くと、「あいつ頭おかしい」と言われるだけなので、「決して命を粗末にするわけではないが…」みたいなグジグジした文章になってるんですけどね…。

──今は大変苦しい時期ですが、みんな一人一人が自分の生き方を見つめ直す時期なのかなとも思ったりします。

能勢:そうですね。ペパーランドがインターネットでライブ配信をするのは、表現する人との関係でやっています。アーティストがネット配信でやりたいと言ったらそれにも対応するし、どうしてもペパーランドの現場で生のライブをやりたいと言うならそれはそれで受ける、ということですよ。今コンビニがレジの前に透明ビニールを垂らして営業しているとニュースで見ましたが、あれを一番最初にやったのはペパーランドなんですよ。

2020年4月3日 モンスター・ロシモフ

2020年4月3日 モンスター・ロシモフ

──感染に関する注意はできる限りのことは払ってきたということですね。

能勢:もちろんです。46年前の開店以来、表現する、表現したい人達に寄り添って来たし、社会の中で生かされてきた、と思っています。だからその原点を失うつもりはない。だからこそ、インターネット配信もやる、ということなんですよ。安全だから配信をやるんじゃないんですよ。表現者とともにペパーランドも社会的に生かされきたし、生きてきた責務を果たすつもりです。もちろん「3密」に気を使い過ぎるくらい配慮して。

ペパーランドは大きな箱に比べると維持する経費は少ないですが、コロナの影響度合いは変わりません。どの音楽業界や業種の方々が受けている影響も同じですが、箱を運営している人としてどこに主軸を置くかが重要です。「ペパーランドは存続しないといけない」という命題も僕は持っていません。本当に表現をやってきた人たちが「大事な場所」だと思ったら、人間の世だから必ず存続します。

──表現者たちが必要としてくれる限りは続くと。

能勢:そう。だから、存続は全然心配していない。まあ、ペパーランドがなくなるんだったら、なくなったときは、人が必要としていなかったからなくなっただけであって、そういうペパーランドはなくなればいいんですよ。また代わりの箱を後からみんなが作ればいい。本当に人が必要としていれば、人間の共同性のなかで必ず存続すると信じて来ました。

──ただ、ヨーロッパ諸国では国として文化や音楽産業を守っていこうという強い意志を感じます。

能勢:例えば、ドイツ連邦議会は、アーティストへの補償金額もすぐに決定して出したという経緯がありますけど、声明としても、「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」であることを述べ、コロナでダメージを受けた社会を復興するのは文化だということを伝えている。経済中心主義から文化による社会の復興を見据えていますよね。文化が生命力の基盤になっている、コロナにより疲弊した経済状態から立ち上がるため人に生命力を一番与えてくれるものは文化だということをはっきりドイツは述べています。

──ドイツ外務省はデヴィッド・ボウイが亡くなったときに「壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」と発表したという話からも、音楽の力をはっきり認識しているようですね。

能勢:ベルリンの壁はラジオ文化から壊れたんですよね。電波は国をまたぎますからね。ベルリンの壁が崩壊したときは、海賊ラジオがものすごく機能した。海上の、国が管理出来ない水域から電波を飛ばしたんです。そういう動きが、自分の中の生きるプライドを生み出し、原点を作りあげた。

日本の問題は、音楽にしても、成り立つ経済の規模からしか見ていない。本気で音楽のことを考えてない。そうすると、維持費が捻出できないというようなところから色々な文化を殺してしまう。戦時下に「非常事態」と声高に叫び「文化」をないがしろにした歴史の再来かもしれない。だから、今は評価されずとも、ここは覚悟を決めて、毅然としていればいいのではないかという感じです。社会の中で必要だったら残る。必要なものは必要だから。音楽もそうです!!!

能勢伊勢雄 氏

提供:二期リゾート

能勢 伊勢雄 Nose Iseo

1947年生まれ。写真家。前衛映像作家。音楽・美術評論家(批評)。現代美術展企画等。さまざまな表現の交錯する場として、1974年に老舗 Live House「PEPPERLAND」を設立。松岡正剛氏のオブジェクトマガジン『遊』に70年代から参画。阿木譲編集の『ロック・マガジン』の編集やライターを務めた。⻑年にわたる脱領域的、学際的なすべてが、岡山市・倉敷市連携文化事業『スペクタクル能勢伊勢雄 1968-2004』展にて、広く紹介された。展覧会では水戶芸術館『X-COLOR グラフィティ in Japan』企画、大分県立美術館『OPAM×能勢伊勢雄 シアター・イン・ミュージアム』企画・監修・出品…多数。出版物は『新・音楽の解読 -ダダ/インダストリアル/神秘主義/ハウス/ドローンまで、誰も知らない音楽史-』(DU BOOKS)、『スペクタル能勢伊勢雄 1968-2004』(和光出版)、写真集『ISEO NOSE:MORPHOLOGY 能勢伊勢雄:形態学』(赤々舎)…多数。2018年福武教育文化財団より「福武文化賞」受賞。2019年慶應義塾大学アート・センターに作品収蔵。

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