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第172回 ミュージシャン 浅倉大介氏 インタビュー【後半】

インタビュー リレーインタビュー

浅倉大介氏
浅倉大介氏

今回の「Musicman’s RELAY」はヤマハミュージックジャパン 小島高則さんのご紹介で、ミュージシャンの浅倉大介さんのご登場です。

中学時代にシンセサイザーの魅力にとりつかれ、探求を続けた浅倉さんは、高校時代からヤマハの電子楽器開発に従事しつつ、1987年からはTM NETWORKのマニピュレーター、のちにサポートキーボーディストを務められました。

平行して1991年にソロデビュー、翌年には貴水博之とのユニット・accessを結成しスターダムへ。また、作家としてもT.M.Revolution、藤井隆など数多くのアーティストに楽曲提供&プロデュースし、作った楽曲は750曲以上に及びます。

そんな浅倉さんにシンセサイザーの出会いから、ヤマハ伝説のデバッカー時代、そして先日行われたaccess無観客ライブまでじっくり伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

プロフィール
浅倉 大介(あさくら・だいすけ)


1991年デビュー。ソロアーティストとして、またaccess、Icemanとユニットとしても活動。2017年には小室哲哉氏とPANDORAを結成。コンピュータ、シンセサイザーなどのデジタルメディアへの積極的かつ斬新なアプローチが高い評価を受けている。

T.M.Revolution・藤井隆など他アーティストの作曲・編曲、プロデュース活 動も多岐にわたり、デジタルサウンド・クリエイター、キーボーディストとして柔軟な活動を展開している。

2020年に入ってから自身のソロプロジェクト「DA METAVERSE」での楽曲の連続配信やaccessとしても配信シングルを続けてリリース中。9月からは宇都宮隆氏、木根尚登氏とともに「tribute live SPIN OFF T-Mue-needs」ツアーに出演。また10月からはaccessのホールツアー「access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR」もスタートする。


 

▼前半はこちらから!
第172回 ミュージシャン 浅倉大介氏 インタビュー【前半】

シンセの音に負けない声=貴水博之氏との出会いとaccess結成

──当時のTMのステージはどんな感じでしたか?

浅倉:すごかったと思います。ちょうどシンセがデジタル化して、照明もデジタル化されていって、照明と音楽の同期がかけられるようになっていたので、相当伝説のコンサートだったんじゃないでしょうか。ライトと音楽がシンクするという光と音のエンターテイメントの、日本では第一人者だったんじゃないですか? TM NETWORKは。

──時代の先端を走っていたんですね。

浅倉:その後、「RHYTHM RED」「EXPO」というツアーで、サポートとして葛城哲哉さんと阿部薫さんと一緒にステージに立ったり、同時に自分もソロのアルバムを作ったりしていたんですが、2枚目のソロアルバムのゲストボーカルの中に貴水博之君がいたんです。3枚目にはT.M.Revolutionの西川貴教君もゲストボーカルで参加していて、そこからユニットだったり、プロデュースだったりが生まれて今につながっています。

──サポートとソロを平行してなさっていたんですね。

浅倉:そうですね。プロデュースものとユニットものと自分のソロは、それぞれ出口はみんな違うなと思っていました。

──accessは浅倉さんと貴水さんのビジュアルも相まって、非常に華やかな印象があります。

浅倉:個人的に当時は90年代の音を作るのが面白くて夢中になっていた上に、うれしいことにレコード会社だったり事務所だったりが作ってくれるイメージやビジュアルが、時代とマッチしたのかなと思います。僕は「ビジュアルをこうしよう」って、そこまで言わない方なんですが「この音だったらこういう風にやればいいんじゃない?」みたいなアドバイスをいろいろな方がしてくれたんですよね。

──accessというユニットのアイデアは、浅倉さん自身から出てきたものなんですか?

浅倉:2枚目のソロアルバムに貴水君がゲストで来たときに、とにかく声がすごかったんですよ。僕がシンセサイザーの曲を作ると、音圧がすごくて音数も多いですし、そんな中で彼のように飛びぬけて聴こえてくるボーカルって、そんなにいないなと思ったんですね。それで「何か一緒にできたらいいな」と思って声をかけたときの勢いで「ユニットにしてやってみようか」と。“access”なんて言葉はその当時は全然マイナーな言葉でしたけど、今はどこのホームページを見ても「アクセスはこちら」ってなってますよね(笑)。

──当時はマイナーな言葉だったんですね。

浅倉:「accessってどういう意味ですか?」ってよく聞かれました。「何かと何かがつながって、ファンの方と一緒にコミュニケーションをしながら作っていけたらいいな」という想いを込めてつけた名前だったんです。僕の先輩のTM NETWORKもまだインターネットがなかった時代に“ネットワーク”なんていうユニット名がついていたりして、今はもうネットワーク上でアクセスをするのが当たり前な時代になったんですが、先輩を見つつちょっと先取りできたかな? なんて思います。

──浅倉さんがこれまで作った曲は750曲にものぼるそうですね。

浅倉:ありがたいことですね。全部聴いたら何日かかるんだみたいな感じですよね。

──お答えが難しいのは承知で伺いますが、その750曲の中でも印象に残っている作品はなんでしょうか?

浅倉:そうですね…例えば、accessの「DECADE & XXX」という曲は、6分の曲なんですが「2分半で書けた曲」なんですよ(笑)。そういう勢いで書けちゃったという曲は記憶の中ですごく覚えていたりしますね。

──6分の曲を2分半で?

浅倉:2分半ワーッと弾いて、もう間奏まで一気に弾いて曲ができあがっちゃいました。あと藤井隆さんの「ナンダカンダ」とかは、いまだに歌ってくださったりしていますし、小室さんから「あの曲があったから藤井隆さんは紅白に出て大ヒットしたんだよ」なんて言われましたね。あと、T.M.Revolutionの曲もいまだに色々な方々がカバーして歌ってくださいますし、そういう曲はやはり印象に残りますよね。

また、自分で作ったインストもすごく記憶に残っています。2004年に1年で7枚のソロアルバム(『Quantum Mechanics Rainbow -可変量子の理による音の虹-~「量子の虹」シリーズ~』)を作ったときがあって、今思えば「なに無茶をしているんだ」みたいな感じなんですけど(笑)、それは虹の7色をテーマに、シンセサイザーで作ったオーケストレーションの曲を1枚に1楽章ずつ収録して、続けて7枚を聴くと、1つの組曲になる作品なんですが、この仕事でかなり寿命が縮んだと思います(笑)。床で寝ていると、ときどきスタッフが見にきて「顔が茶色いけど大丈夫?」とか言われて(笑)。

──(笑)。すごい創作意欲ですね。

浅倉:それこそレコーディングスタジオに機材を持って行って、限られた時間の中でやらないといけない作業が、ちょっとずつ自分のマイホームスタジオで作れるようになった時期でした。今までレコーディングエンジニアや、レコーディングアシスタントが必要だったものが、全部コンピュータ化されて、もっと言ってしまうと今はAI化されているんですが、1人でいくらでも時間をかけられるようになったんです。

この状態って、ものを作っている人間にとって、キリがなくなってしまうんですよね。それこそスタジオだった頃は「もういいんじゃない? できたんじゃない?」って誰かが言ってくれたりしたんですが、ひとりっきりでやっていると、「もっといいのが出るはず」と思って終わりがないんですよね。プラモデルみたいに「説明書の最後までいったら完成です」みたいだったらいいんですけどね。

──本当に終わらないですよね。

浅倉:そうなんです。デジタル化で自分のスタジオを自由に使えるようになったのはありがたいんですけどね。

──人に気をつかわずに済みますしね。

浅倉:そうそう(笑)。「鶴の恩返し」のように誰にも見られずに作業して(笑)。

 

どれだけ広くインプットできるかが大事

──浅倉さんは、今も生活のほとんどを音楽に捧げているような状態なのでしょうか?

浅倉:もちろん音楽が大部分を占めますけど、長くやっていると「インプットをどのくらい広げられるか?」ということも大切だなと思いますね。技術がすごい勢いで動いていた頃って、1入ってくれば10ぐらいのものを形にして出せたんですが、やっぱりそれが当たり前になってくると、聴く側も作る側も、どれだけ広くインプットできるかが、今は大事かなって思ったりしています。

──浅倉さんは、そのインプットをどのように広げているんですか?

浅倉:今はサブスクだったり、HuluやNetflixにディズニープラスと、みんないろいろなものを当たり前に観たり聴いたりしているわけじゃないですか。僕もそのノリで吸収をしないといけないですし、それプラスアルファ、なにか驚くものがないと、聴いてくれる人には伝わらないです。あと個人的には犬を飼っているので、犬を連れてあえてアウトドアに出て自然に触れたり、カメラを持って彗星や天の川の写真を撮ったり、自分にしか見つけられないシーンを音にできたら、ちょっと新しく感じてもらえるのかな? なんて思っています。

──犬はずっと飼われているんですか?

浅倉:そうですね。最初はゴールデンレトリバーのアニーちゃんとアルちゃんという2匹、そのあとにジョン君というバーニーズマウンテンドッグを育てて、その子達はもうお星様になっちゃいましたけど、今はベルカというゴールデンの女の子がいます。人間と一緒でコロナ太りしちゃって大変なんですけど(笑)。いや本当に犬は学べますよ。特に音楽をやっている人間はね。言葉がいらなくて、すべてが気持ちだけですから。犬の本とかを見ると「忠誠心」とかいう言葉になっちゃうんですが、言葉を使わないコミュニケーションでいかに信頼し合えるかみたいなところは、本当に人間よりもストレートですよね。

──まさに魂と魂で触れ合う。

浅倉:本当に。目がちょっと合うだけですべてがわかる。それこそ子犬の頃に、シンセサイザーをかじられても怒らないぐらい、寛大な心でいないとね(笑)。アナログシンセサイザーの木の部分とか、歯型ついてたりします。

──(笑)。毎日散歩に?

浅倉:そうですね、深夜の2時3時くらいに行きます。あと世の中がデジタルカメラに変わってから、とても面白いツールだなと思うようになって、最初は一眼レフを買って「こんなにきれいにものって撮れるんだ」と思いましたね。

それで、自分の家の犬を撮ったりとか、植物を撮ったり、自然の景色を撮りに行ったりしているうちに、だんだんと望遠カメラもつけて「あ、月も撮れるんだ」と(笑)。それを延長したら「月のクレーターを見られるんだ」となり、天体望遠鏡にカメラをつけたら土星の輪が肉眼で見られることがわかって、本当に感動しました。本当にとんでもない距離から光が届いているんだと実感すると、鳥肌が立つ想いです。それからは、天の川を撮りに富士山の5合目まで行ったり、彗星が本当に明るく見えるときにはどこか場所を探して撮りに行ったりしています。

──めちゃくちゃアクティブですね。

浅倉:デジタル機材って、コンピューターもそうなんですけど、すぐに結果が出せるのが面白いですね。なぜ昔のカメラにハマらなかったというと、現像に出して待たないといけないじゃないですか。今のレコーディング環境もそうなんですが、思ったらすぐ音に、形にできる。カメラ環境のデジタル化もすごく面白くて、それにハマり出したら「宇宙って何?」みたいなところまで考えるようになって、結果、量子力学の本とか読み出しちゃう始末です。それはそれでまた面白くて。

──そういうすべてから音楽を作るインスピレーションを得られているということですね。

浅倉:配信でやっている曲は自分の脳内空間を音にしています。曲のタイトルも「量子のもつれ」とか、量子力学の最先端のキーワードをつけたり(笑)、とことんマニアックにやっています。

 

MOOGシンセサイザーの音を継承する責任

──浅倉さんはMOOGをお持ちですよね。

浅倉:はい。松武さんが持っていらっしゃるMOOGのモジュラーシンセサイザー、通称「タンス」と呼ばれているものですね。僕がシンセを始めるきっかけになった、YMOで使われていたそのタンスを、松武さんが目の前で操作して聴かせてくれたんですが、それがとんでもなく豊かな音だったんです。オシレーターの音ひとつ聴いても、音のレンジが今まで聴いたことのある音よりも低い音、高い音を持っていて、聴いているだけで「音ってこんなに広がりがあるんだ」と思ったんですね。

それである日、MOOGのホームページを見ていたら、「キース・エマーソンがカスタマイズしたモジュラ―シンセを世界に5台だけ復刻します」みたいなニュースがあったんですよ。そこには値段も書いてなければスペックも書いてなくて、「気になる人はメールしてください」って(笑)。

──怖いですね(笑)。

浅倉:で、メールしました(笑)。

──(笑)。

浅倉:それでやりとりを繰り返したんですが、面白かったですよ。「デジタルシンセサイザーを知り尽くした耳を初心に戻してくれるものはこれしかないんだろうな」と思ったんですよね。「これは持つべきものだ」と。それで思い切って購入しました。

──MOOGは音楽制作に活用なさっているんですか?

浅倉:ときどき使っています。やっぱりそれだけ音の存在があるので、必要に応じて立ち上げますが、どちらかというとライブで使っています。

──持って行くんですか?

浅倉:はい、あのでかいのを。しかも電源を入れて8時間は使い物にならないんですよ。回路に電気が通って安定するまでは、どんなチューニングをしてもダメで。

──それは昔からそうなんですか?

浅倉:ええ。その辺は復刻でも直ってないんですよね。ただそこから出てくる豊かな音というのは、代えられるものがないんです。なぜ、そんな不便な思いをしてまでライブに持ち出しているかというと、今はもう音楽を聴くのがサブスクだったり、iTunesだったり、みんな圧縮された音楽で、とにかく音のレンジが狭くなってしまっているので、音ってこんなに心豊かに響くんだというのを生で聴いてもらうには、やっぱりライブ会場しかないんですよ。

豊洲Pitで初めてやったんですが、卓もアナログ卓で、どこにもデジタルのフィルターがかからない状態だったんですね。スタジオをやってらっしゃるからわかると思いますけど、デジタル卓が入るとハイカット、ローパス、ハイパスが入っちゃうじゃないですか。でも、アナログ卓のままスピーカーから出したら、床は揺れるわ、来てくれたお客さんは「なんだかわからないけど鳥肌が出た」とか「毛が逆立った」だのなんだの、とにかく体に響いたんですね。

──そんなに違いますか。

浅倉:全然違います。国際フォーラムでやったときには、スピーカーが1個、お亡くなりになりましたから(笑)。

──ヤバイですね(笑)。

浅倉:そのぐらい音の持っている力、音圧を出せるのがMOOGのモジュラーシンセなんです。キース・エマーソンがちょうど日本にライブに来るという時に、持ってくるのが大変だから「貸してくれ」って言われていたんですが、実現しませんでした…。

──ショッキングなニュースでしたね。

浅倉:ええ。僕もすごくショックでした。とにかく、そういう音って受け継いでいかなきゃいけないなと思って、ある種、自分の趣味や勉強の部分もあるんですが、責任の部分でもそういう音を出していかなければと思っています。

──テレビで浅倉さんのMOOGを拝見したときに、すごく丁寧に優しく触られているなと思ったんです。愛情にあふれていると言いますか。

浅倉:最初の1年は、自分のほうが立場が弱かったですね。「すみません、音を奏でさせていただきます」みたいな感じで、1年半ぐらいたってやっと慣れてきて、支配できるようになってきましたね。それこそ、電子楽器ではあるんですけど、生楽器に近いんですよね。あの松武さんですら「今でも謎がある」って言ってました。松武さんが遊びに来ると、「これはどうなるんだろうね」ってずっと一緒に遊んだりするんですよ(笑)。

──メンテナンスは今後大丈夫なんですか?

浅倉:一応国内にもそういうアナログシンセをやってくれるレジェンドな人は何人かいらっしゃって、万が一なにかあったときには、お願いできるようにしています。あとは本当に困ったら、まずは松武さんに電話できるというのがすごくありがたいです。タンスを持ち込んでなにか不調があると、まずは松武さんに電話すると「電源の電圧を図って、整流器で何ボルトまで上げてあげればそれはすぐに直るよ」とか(笑)。さすがはそこが松武さんなんです。日本のMOOGシンセサイザーのレジェンドですよね。

──博士がそばにいるから安心ですね。

浅倉:本当に。松武さんが優しいのは、冨田先生から何年もかけて盗んだテクニックを3秒くらいで僕に教えてくれるんですよ(笑)。

──(笑)。でもそれはやっぱり誰かに伝承をしないと、という気持ちからでしょうね。

浅倉:本当にそうなんですよね。例えば、普通はオシレーターから出てきた音をミキサーに差し込むんですが、松武さんに「電気の音を直接聴いてみたくない?」って言われて「どういうことですか?」って聞いたら、「ステップシーケンサーから出る12ボルトの電気信号にジャックを差し込んで、それを直接ミキサーに差し込んでスピーカーで聴いてごらん」って言うんですよ。そうするとスピーカーが「ビッ!」」って動くだけなんですけど、「そういうのを加工してアタックのするどいキックの音に変えていったりしたんだよ」って教えてくださったりね。今どきはみんな、当時の音をサンプリングして再生するだけなのに、あえて電気信号から音を作り出すという、メソッドを松武さんはたくさん教えてくださっています。

──すごい。一子相伝とかそういう世界ですね。

浅倉:(笑)。まず、MOOGがないとダメですからね。松武さんちのMOOGは3階建てなんですが、うちは5階建てで、笑いながら「大ちゃんちのはね、2階高さが高いんだよ」って。

──自社ビルの高さみたいに。

浅倉:そうそう(笑)、松武さんはいつも笑いながらおっしゃっているんですけどね。1回、日本にあるMOOGタンスを持ち寄って、シンセのイベントができたらいいねなんて話はずっとしていますね。

 

コロナ時代に対応した音楽の出口を考える

──この先、浅倉さんが音楽的に取り組んでいきたいことはなんでしょうか?

浅倉:電子楽器の変化を自分で体感しつつ音にして、気づいたら30年やってきて、ある意味、行きつくところまで来たのかなと思っていたところに、新型コロナウイルスという、誰もが想像もしていなかったウイルスが出てきてしまったわけじゃないですか? ですから、今は長年音楽に携わってきた身として、このコロナ時代に対応した音楽の出口を考えなくてはいけないなと思っています。

サブスクや配信はもう当たり前になりましたよね。今「新曲できました」と言って、CDを渡されても「これどうやって聴くんですか?」となる。CDが名刺代わりにならなくて、USBのスティックで渡されたほうが聴くのが早いみたいな時代に、僕としても対応してきたつもりなんですが、コロナ禍という非常事態の中で、今まで以上に新しい音楽の楽しみ方を早く見つけ出さないとと思っていますね。

何か大きな災害があったときに、集まって手を取り合って「助け合おう、頑張ろう」という場所を作れたのが音楽だと僕はずっと思っていますし、音楽が持っている力をずっと信じてやってきたんですが、「集まって手を取り合う」ことができないという、この憎たらしいウイルスのせいで、音楽の持っているパワーを今、なかなか発揮できなくて、みなさんは辛い思いをしているんですよね。そんな中でも、きっとなにかしら方法は見つけられるんじゃないかと思うんです。

──それはみんなが求めていることですよね。コロナ禍で配信リリースするアーティストも増えましたが、浅倉さんは以前から配信リリースの量が多いですよね。

浅倉:そうですね。積極的に取り組んできたと思います。あと、7月7日にaccess で初めての有料での無観客ライブを企画しました。今年はずっと続けてきた春のツアーが全部なくなっちゃったので、今年初めてのライブが7月7日の無観客、オンラインライブになりました。

──実際にやってみていかがでしたか?

浅倉:まず、どのくらいチケットが売れるものか分からないんですよね。通常ですとキャパがあって前売り券があって、実際に来ようとしている人は移動も考えて、チケットを早めに入手してくれるのが、ネット上になったら移動がなくなりますし、ギリギリでも購入できますから、予測ができないんですよね。スタッフサイドが一番悩んでいたのがそこで、予算が作れない。

──確かに悩ましい問題ですね。

浅倉:ありがたいことに、その無観客ライブは2000人を越える人がチケットを購入してくれて、オンラインで同時視聴してくださったんです。やっている側としては本当に不思議で、立ち位置についても声援がなく、静けさの中でカウントダウンして放送が始まって、1曲終わるごとにシーン。フェイスマスクをしたカメラマンとスイッチャーの人が拍手をしてくれるみたいな(笑)。

ただ、なにがよかったって、ニコニコ生放送だったので、観てくださっている人のコメントが文字で画面に流れて来るじゃないですか。あれを途中で何回か観ながらコミュニケーションをとる中で、だんだんとお客さんがいないんだけど、カメラの先にリアルタイムで観てくれている人がいるなという実感が湧いてきて、ペースがつかめていきました。

──どんな形であれ、コミュニケーションは大事ですよね。

浅倉:あれがあるかないかで全然違いますね。マネージャー陣も「最初は表情がすごく固かった」って言っていましたし、観客も「コメントでやりとりをしていくうちに、いつものライブの表情に戻っていったから良かったね」なんて言ってくださったりして。

 

試行錯誤をしながら初心に還る

──でも「やっぱりここに観客がいてくれたら…」とも思っちゃいそうですけどね。

浅倉:そうですけどね。それは今後いろいろな状況が整った段階で、少しずつ考えていきたいと思います。自分で言うのも変ですが、accessという名前のユニットのライブをオンラインでできることに対して、「あ、もしかしてこれって僕たちの終着点なのかな」って思ったりもするんですよね(笑)。

──未来を暗示していたかのような名前ですよね(笑)。

浅倉:「accessのオンラインライブ」って、字面に全然違和感がないんですよ。ピッタリじゃんみたいな。自分でクスッとしてしまったんですけど。逆に今までやってきたことの方が違和感があるというか、「そうか、今まではオフラインだったんだ!」というね。海外からも視聴可能に設定してあったので、ようやく僕たちらしいライブができたのかもと思うんですよね。

──オフラインのライブは、東京なら東京近郊の人しか観られませんが、オンラインだと世界中の人たちがリアルタイムで観られますからね。

浅倉:そういうメリットはありますよね。あとaccessはメンバーが2人なので、ステージではいろいろ絡んだりする部分があったりするんですが、ソーシャルディスタンスを保つためにはそういったことができないわけです。そこでスタッフたちがミーティングでいろいろなアイデアを出してくれて、本当に斬新なんですが、2人の等身大パネルを用意して、それぞれのパネルに絡んで、みたいな演出もしたんですよ(笑)。

──最高ですね!(笑)

浅倉:観ていてくださった方には大ウケだったらしいんですけど(笑)。ソーシャルディスタンスのオンラインでの見せ方ですよね。

──オンラインライブは当面は続くでしょうから、アイデアを出していくしかないですよね。せっかくやるんだったら楽しくしたいですし。

浅倉:そうなんですよ。今回accessでライブを作ってよかったなと思うのは、今までのライブ形態をそのまま中継するのではなく、ソーシャルディスタンスに基づいた演出を、試行錯誤ではありましたができたのは良かったかなと思いますね。リアルライブとはまた違う、オンラインならではのことができたのは面白かったです。

──オンラインならではの楽しみ方を見つけていかなくてはならない。

浅倉:ええ。「最前列で観ているみたいでうれしかった」みたいな感想もありましたし、カメラマンにもステージに上がってもらって、普段のライブだと収録できないような、あえて変な撮り方をしてくださいってお願いしたんです。

普通は映りこまないように端っこから撮ったり、望遠でやるところをあえてステージ上にあがってもらって、1人はツマミのアップを撮っているカメラマン、もう一人は表情とか、色々トライしてもらいました。それって、もしお客さんがいたら「カメラマンが邪魔で見えない」となりますが、お客さんがいないから、あえてそういう目線で撮れるカットを入れてもらったりしました。スタッフと一丸になってできたのが良かったかなと思います。

──次の計画はあるんですか?

浅倉:今のところはないですが、秋、冬に今度はリアルでと考えています。

──果たしてどうなるか。

浅倉:ホールツアーなので、座席の間隔の取り方だったりとか、あとは曲の見せ方なんかも、もちろんエレクトリックサウンドではあるんですけれども、座って聴いてもらえるようなアプローチに変えることも考えています。

──そして2021年にはデビュー30周年を迎えられますね。

浅倉:僕自身、正直に言うと周年はあまり意識していないんですよね。誰かが教えてくれて始めて気づくもので、今30周年と言われて「あ、そうなんだ」みたいな(笑)。周年って、今まで聴いてくださった方が楽しんでもらえればいいなというのはもちろんあるし、それに対して僕も一緒に楽しめたらいいなと思いますね。

あとは今までの感謝を込めてみたいな、そんなスタンスはあります。普通でしたら周年の定番みたいなことはあるんでしょうけど、今はちょっと世の中がこんなことになってしまっているので、試行錯誤をしながら初心に還って迎えることになるかもしれませんね。

──最後になりますが、これからミュージシャンやアーティストを目指す人、あるいは浅倉さんのようにデジタルサウンドを作ろうとしているような人たちに対してのメッセージはありますか?

浅倉:こういうことを言いだすと、年寄りって思われるのかもしれませんが(笑)、デジタル音楽をやっているからこそ「古い楽器も知っておいたほうがいいよ」と思いますね。

──「歴史に学べ」ということですか?

浅倉:楽器の温故知新みたいなのを知ってほしいなとは思いますね。でも今、世の中にあるものってすごく便利にはなっていますし、矛盾しているかもしれませんが、僕はそこに対してあえて「温故知新」みたいなことはあまり言いたくない。

「今の時代だから今の作り方でいいじゃん」、自分もそうやってきましたし、技術が進んだから新しいエレクトロミュージックが生まれているんだという風に自分も育ってきたので。多分これから生まれてくる技術を使って、どんどん新しいものにトライしてもらえたらいいですよね。上から目線ではなく、その時代時代でできる音というのを楽しんでほしいですね。

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