【新連載】音叉点──音楽と●●の交差点 第一回 ゲスト:ライブペインティングパフォーマー・絵描き 近藤康平
「音叉点(おんさてん)」とは「1.音楽と●●が交差するところ 2.チューニングされるきっかけ」を意味する言葉である。ライブハウスでは日々沢山の音楽が鳴り、音と音が混ざり合い音色となるように、人と人が出会うことで新しい物語が始まっている。
この対談ではライブハウスでブッキングを主とし物語を紡ぐLa.mamaの河野太輔が、音楽に関わるゲストと毎回異なるテーマについて話しながら相手との「音叉点=チューニングされるきっかけ」を見つけていく。
第一回のテーマは「旅」、ゲストにライブペインティングパフォーマー・絵描きの近藤康平を招いた。近藤が描くどこかの情景と音に色を乗せるパフォーマンスは、観る人に一時の旅をさせてくれる。音楽を聴く行為もまた一種の旅である。設営を終えたばかりの個展会場で、旅先で偶然出会った2人を想定して話してもらった。
取材日:2021年1月29日 撮影協力: 440(four forty) 編集:柴田真希 撮影:加藤春日
プロフィール
河野 太輔(かわの・だいすけ)
1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mama に入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる。
近藤 康平(こんどう・こうへい)ライブペインティングパフォーマー/絵描き
1975年生まれ 鳥取大学大学院農学研修士課程卒業。大学では森林学を学ぶ。 ライブペインティングパフォーマーとしては各種フェス・ライブハウス・セレモニーでのライブペインティングで公演をおこなう。 絵描きとしては個展、服飾ブランド提供、書籍装丁、CDジャケット 舞台美術、様々な「絵」のジャンルで活動をしている。 茨城県取手市在住。
現在ジュンク堂書店池袋本店にて個展中(2月21日まで)2月26日〜3月14日下北沢BOOK SHOP TRAVELLER、3月2日〜3月14日札幌TO OV cafe / galleryにて展示予定。
はじまり ──PLATONとかトレモロイド、golf、birds melt skyとかとすごく仲が良くて、僕が絵と音楽とのコラボを始めたきっかけのバンドなんだよね
──ご注文をどうぞ。
近藤:ビールいいですか。
河野:僕、烏龍茶お願いします。
近藤:下北にはよく来るんですか?
河野:カレーを食べに来ますね。近所なんです。
近藤:そうなんだ。僕、茨城の取手市です。遠いけど、常磐線で上野から40分くらいだからそれなりに帰れる。
河野:それなりに(笑)。
近藤:取手市は、堂島孝平くんが同い年で確か隣の隣ぐらいの中学校なんですよ。
河野:そうなんですか!
──始まる前からすでに盛り上がっていましたね。
近藤:十数年前、僕が熱中していたバンドを河野さんがことごとく知っていて。いいシーンがあったんですよね。
河野:そうですね。色々距離感が近かった。
近藤:そう。僕の4〜5歳くらい下のPLATONとかトレモロイド、golf、birds melt skyとかとすごく仲が良くて、僕が絵と音楽とのコラボを始めたきっかけのバンドなんだよね。(トレモロイド)高垣空斗が自主企画に呼んでくれたのが1回目だった。友達だったから「何か一緒にやろうよ」って誘ってくれて。
河野:当時、ライブハウスでライブペインティングをやるシーンがあったんですか?
¥
近藤:シーンとしてはほとんどなかったと思う。おそらくクラブを舞台にストリートアート的なグラフティのような人たちのライブペインティングが中心で、いわゆるポップスやロックに合わせることはそれほど多くなかった。ライブハウスでやる場合、ステージと別の場所でやることがほとんどで、それをトレモロイドの小林陽介くんは「一緒にやる意味がない」と言っていたな。
河野:確かに、La.mamaでもライブペインティングはあるんですけれど、ステージではないところでやっていました。
近藤:それだと絵に影響を受けて演奏が変わることもないし、絵を描いている人も音楽をどう解釈しているのか分からない。お客さんもどちらを見て良いか分からないしね。「康平くんが僕たちの横に立って、お客さんは視線一つで絵とライブが見えるようにして、さらに音楽に合わせて絵を変化させて欲しい」と言われたのが1回目だったから、最初にすごくいいアドバイスをもらいました。
河野:お客さんの視点が一緒かどうかで、ライブ感がかなり変わってきますね。
近藤:うん。そういうスタイルでやり始めたけど、ライブペインティングってまだあまり歴史も理論もないし、分析する対象にもなっていない印象なので、追求するのは面白い。パフォーマンスとしてのライブペインティングは基本的にライブ時間に同期する必要があって絵を描くのがめちゃくちゃ早くないとできないから、緻密に描く人はパフォーマンスとしてのライブペインティングは向かないんじゃないかな。最近は手元で描いて、投影するスタイルでよくやっています。それはsleepy.abの成山くんがきっかけですね。
河野:はい。
近藤:さすが、誰を出しても知っている(笑)!
河野:全部分かります(笑)。ブッキングを始めた二十歳の頃、なめられたくないのでめちゃくちゃバンド調べました。
近藤:自分のバンドは二十歳でやめたんですか。
河野:やめましたね。僕は宮崎出身で、バンド仲間と上京して2年間くらい活動していたんですけど、やめました。表に出るのは向いてないな、と思ったんですよ。
近藤:二十歳で終わりにしよう、と言えるのはすごいですね。自分の性格をしっかり把握している。聞いてみたかったな。
河野:パンクバンドです(笑)。BPM200以上の曲ばかり。
近藤:パンク!想像もつかない。
思い通りに行き始めたのは28歳くらいからで、思い通りに決まらない期間が8年くらい続きました
近藤:社会人を2年やって、ブッキングという仕事をやろうと思ったんですか。
河野:ブッキングをやっていた人がPAをやりたいと言ってスライドしちゃって、会社としてはブッキングが必要だったので上司から「やってみない?」と言われて。僕は音楽業界を一塊としか見ていなかった中で、いろんなことがやれそう、ということでLa.mamaに入ったんですよ。
近藤:「これ!」って感じじゃなかったんですね。でもその中でも一番楽しいところに入りましたね。
河野:そうですね。ブッキング、というだけでなくPA以外全部やったんですけどね(笑)。
近藤:まじですか!
河野:1ヶ月くらいで満員のワンマンの照明やらされたりしましたね(汗)。
近藤:いい意味で適当ですね(笑)。自分の人生初ブッキング、覚えていますか。
河野:まずは当時La.mamaで毎週末やっていたオーディションライブから担当しました。それで月に12組から20組弱くらいのアーティストの窓口をやって、自分の好きな人を誘うようになったのは何年か経ってからですね。
近藤:そうなんだね。自分が初めて誘った人は覚えていますか。
河野:曖昧ですね。思い通りに行き始めたのは28歳くらいからで、思い通りに決まらない期間が8年くらい続きました。
近藤:経験を積んで、人との繋がりもできてようやく合わせ方とかも分かるようになりますよね。僕もライブペインティングを始めた頃、ほとんどはライブハウスが用意してくれていた。誰か自分で誘うとしても大体(PLATON)東くんや(ANIMA)小島くんといった仲の良い友達たち。だけど初めて自分で「よくこの人呼べたな」と思ったのがギタリストの木暮晋也さん。本人はヒックスヴィルってバンドとソロでも活動しているんだけど、フィッシュマンズとか、小沢健二とか、オリジナルラヴとか、僕が好きなバンドでよくギターを弾いていて。ライブハウスに会いに何度か行って、終演後に声をかけて、「僕こういう絵を描いている者なのでいつか一緒にやらせてください」と言って、いい返事をもらえた日を本当にまざまざと覚えています。
河野:僕は一番テンションが上がったのは、(横山)健さんのバンドと名古屋のthe 原爆オナニーズと、北海道のSLANGの3マンですね。20代の時にやったんですけど、これはヤバかったです。パンクバンドをやっていたので、Hi-STANDARDが一番好きだったんですよ。
近藤:それは震えますね。La.mamaでやったんですか。
河野:はい。約250のキャパで、チケットは即完でした。La.mamaが今年の5月で39年なんですけど、原爆オナニーズも同じ年数バンドをやっていて。原爆オナニーズで健さんがギターを一時期弾いていたことを知っていたので、一緒にやりませんか、と誘って、それだけだと昔からの繋がりだけになってしまうので、SLANGも呼んで。出順が気になるじゃないですか。
近藤:気になる。
河野:健さんがトップだったんですよ。エネルギーもすごかったけど、お客さんの年齢の幅も凄かったです。
近藤:いや、それ行きたかったなぁ。奇跡みたいな熱量が生まれたんだろうね。
河野:震え上がったのは覚えているんですけど、細かいことは全く覚えていないです。ようやく20代後半からそういうイベントができ始めて、やりがいを感じられるようになりました。それまでは何やっていたのか全く分からなかった。
近藤:28まで頑張りましたね。あの頃、サブスクがないからTSUTAYAとかタワレコに行くのがすっごく楽しかったなぁ。
河野:現場で探していたし、現場で出会いがありましたね。
近藤:そう、対バンがすごく楽しみだった。ところでライブハウスのお仕事だと、いわゆる一般的な旅行はほぼできないよね。
河野:できないですね。一昨年の11月にNYに行ったのが近年で一番遠い場所です。
近藤:本当ですか!僕も一昨年の9月にNYに行ったのでほぼ同じ時期ですね。NYでライブをするのが夢で、その時に初めてやりました。本当は去年も行きたかったけれど、こんな状況だからできなくなっちゃって。河野さんは普通の旅行で行きましたか。
河野:実はNYにLa.mamaがあるんですよ。老舗の劇場で、オーナーさんは亡くなってしまいましたが、生きていたら去年で100歳だったんです。
近藤:そんなレジェンダリーなお店があるんですね。姉妹店ですか?
河野:うちのオーナーがNYのオーナーさんの活動をすごくリスペクトしていて、最初は勝手に始めて、後々直接会って公認してもらったそうです。うちのお店にも来てもらって、すごく気に入ってくれました。
近藤:すごい話ですね!そこではいわゆる音楽ライブはやっていないんですか。
河野:音楽はほとんどやっていないですね。最初は本当に狭いミニシアターから始まり、今は大きい劇場と小さい劇場の2会場に世界中から出演者が来るみたいです。アーティストたちが寝泊りできる施設もあります。
近藤:すごく文化的なお店ですね。
河野:そうですね。
近藤:NYでは他にどこに行きましたか?
河野:その時は、NBAと、FKAツイッグスのライブを観ました。
近藤:NBAは予想外だった(笑)。いいですね!ライブは何人くらいの会場ですか。
河野:3,000人くらいかな。コースト(USEN STUDIO COAST)くらいの大きさのグローブ座みたいなクラシカルな劇場で、めちゃくちゃよかったです。
近藤:NYは毎日、誰かしら物凄い人がライブをしているよね。普通に「今日はBECKがやっている」とかね。
河野:そうなんですよ。僕が行ったときも前日はボブ・ディランがやっていて、その前日は星野源。
近藤:誰かな、と思っていたら想定外がきた(笑)。
河野:ワールドツアーのNY公演ってやっぱり特別なのか、と思うスイッチの入り方でしたね。日本でも海外のアーティストを沢山観ていますけど、全然違います。あと、なかなか始まらない。1時間半押し、とかが普通で、お客さんもずっと喋っていて、始まった瞬間に湧くんですよね。近藤さんは何日間くらい行かれたんですか?
近藤:僕はね、2週間かな。
河野:僕は6日間です。その滞在期間中にLa.mamaのスタッフが1人ばっくれましたね。時差があるから夜中に連絡が沢山来ました。長期休みを取ると会社で事件が起こるんですよ。
近藤:よりによってそのタイミングを選ぶんだ(笑)。
渋谷「山家」 ──山家、我々にとっての「旅」ですよ
近藤:音楽業界ってみんなロックンローラー気質があるせいか、急にいなくなる人が他の業界に比べて多いのが面白いですね。
河野:あぁ、ありますね。音信不通もよくありますね。
近藤:普通の会社ではありえないじゃないですか。僕も絵描きになるまではサラリーマンだったので、音楽業界の人たちのいい意味でも悪い意味でもルーズさには驚かされている。最近はわりと僕もルーズだけど。我々社会人経験のある人たちからすると、みなさん許されないことを沢山していますね。
河野:本当にそうですね(笑)。みんな特技「失踪」って書いておいた方がいいです。
近藤:ははは(笑)。
河野:ミュージシャンってある種そういう所がありますね。今の20代の若いアーティストはしっかりしている気がします。
近藤:行儀がいい。破滅的に飲む人も少ない。
河野:そうですね。
近藤:先輩たちは本当に破滅的にみんな飲んでいたので。
河野:破滅的というか、破滅していました(笑)。La.mamaに入ったばかりの20代前半の時は、平日も毎日朝まで打ち上げをやっていましたね。
近藤:平日に朝まで飲むんだよね。渋谷のあそこ、なんでしたっけ。
河野:「山家(やまが)」。
近藤:そう!La.mamaの側ですよね。安くて、朝までやっていて、おいしくない(笑)。大体二日酔いになる。
河野:ははは(笑)。La.mamaの坂の下に山家があるので、「坂を転がっていけば山家に着くから」を謳い文句に沢山飲ませる風習がありました。
近藤:朝を越えて昼まで飲むんですよね。
河野:その後ファミレスに行く流れも多かったです。
近藤:なかなかの20代を経験しましたね(笑)。久々に行きたくなりました。台湾からミュージシャンが来てイベントをやった時は、山家に連れて行きましたよ。「日本のミュージシャンがみんな行く店だ」と言って。
河野:音楽業界の人は知っておいた方がいいです(笑)。
近藤:山家、我々にとっての「旅」ですよ。
河野:そうですね。わかんなくなるんですよね、感覚が。短いようで長い旅。
近藤:めっちゃ長いよ(笑)。
河野:山家が緊急事態宣言でしまっていましたからね。震えましたよ。
近藤:あの難攻不落の山家が!なかなかの事態っていうのがそれで伝わるね。
河野:そうなんです。瞬間震えて、冷静になって見ると相当やばい状態だな、と。
近藤:去年はこのご時世でなかなか難しかったよね。
河野:そうですね。ただイベントができなくて時間だけはある期間が長かったから、新しいことに沢山チャレンジできましたね。音楽業界とか、社会とかの全体を見る時間にもなりましたね。
近藤:確かにそうですよね。これまで一種のルーティンで展示をやって、ライブをして、みたいな一年間が回っていたけど、ようやく「この後どうしようかな」とゆっくり考える時間ができたし、もう少しこういう活動したいな、という考えも出てきた。普段突っ走りすぎて作れていなかった画集もようやく描く時間ができて作れたから良かったな。
河野:近藤さんの画集を拝見しながらsleepy.abとかコトリンゴさんとかを聴いていましたが、はまりますね。コトリンゴさんのコメントがすごくよかったです。
近藤:見てくれたんだ、ありがとう。画集と親和性がありそうな人にコメントをもらいました。一番ベテランの(白井)良明さんが一番長文を送ってきてくれてとても嬉しかったです(笑)。
河野:良明さんともライブペインティングをやられたんですか?
近藤:そう。(Schroeder-Headz・渡辺)シュンスケさんの繋がりで、良明さんのジャケットの絵をライブペインティングで描いたんですよ。
河野:ライブ中に描き上げたんですか?
近藤:そうなんですよ。
河野:えー!
近藤:すごく緊張しました。いつもはセットリストを聞かないんですけど、流石に知っておきたくて事前に教えてもらったんです。そうしたら当日渡されたセットリストと事前に聞いていた曲が全然違うので、「この人鬼だな」と思いました。
河野:ははは(笑)。
近藤:次に出るアルバムの公開録音ということで蜜のウニちゃんがゲストで入って、(渋谷)7th floorでお客さんを60人くらい入れてコールアンドレスポンスをやってもらって、その場でジャケットも完成させたいということで呼んでいただきましたね。
河野:なるほど!すごく面白いですね。クラウドファンディングの現場版みたいです。
近藤:本当にそうですね。ある意味プレミア感があって、チケット代も高かったと思うけれど、お客さんにとってはたまらない企画だったと思います。
通りすがりの年齢もバックグラウンドも何もかも違う人が見て感動してくれた時、これが絵を描く原点的な喜びだなと思って純粋に嬉しかった
近藤:宮崎にはいつか帰る予定はあるんですか。
河野:最終的には戻りたいと思っていますし、時間とお金さえあれば、拠点は向こうでいたいですね。何もないですけど、いい場所です。
近藤:大学生の時、宮崎に友達がいたので時々行っていました。宮崎、自転車に鍵をかけないんですよね!
河野:家の鍵もかけたことないです(笑)。高校生の時、駅に停めてあった自転車を使って、また戻して帰っていた。
近藤:みんなの共有財(笑)。いいよね、宮崎。
河野:宮崎でフェスをやりたいですね。
近藤:宮崎のフェスってあまり聞かないね。
河野:そうなんですよ。ずっと前からやっているジャズフェスはあるんですけど、ロックやポップスはないですね。FMがロックに力を入れているみたいで、シュンスケさんとかは宮崎によく行っているイメージがありますね。そう、シュンスケさんからはマレーシアの話も聞きました。面白かったです。
近藤:海外は国民性があるから、面白いよね。sleepy.abも日本だったら静かに聴くようなバンドなんだけど、台湾でライブをやったら、拳を上げてレスポンスしてくれたらしくて。むしろ難しいでしょ!と思いました(笑)。
河野:フィジカルで表すのはよく分からないですけど、鋭いですね。sleepy.ab、日本では女性のお客さんが非常に多いじゃないですか。でも実際男性の方が好きになる要素が多いような気がしています。
近藤:音はそうだよね。僕、ここ数年は海外に力を入れていて、台湾はライブも個展もできるようになってきたし、NYも行ったから、今年はタイでやる予定だったんですよ。それは現地のクラブ寄りのDJの人から誘ってもらって。コロナでまだ行けていないから、行きたいですね。
河野:タイの音楽シーンも進んできてますよね。
近藤:そうなんですよ。僕が大好きなフリッパーズギターとか、渋谷系の影響を受けた人たちが沢山いて。
河野:その流れで近藤さん、いいですね。はまりそう。
近藤:他にもいろんな国に行きたいですよ。絵は言葉がないから、国境を越えて伝わりやすい。その場所でライブペインティングして、お客さんがどんな反応をするかすごく興味深い。NYのハーレムでライブをやった時、通りすがりの年齢もバックグラウンドも何もかも違う人が見て感動してくれて、これが絵を描く原点的な喜びだなと思って純粋に嬉しかったんです。そういう機会を増やしてきたいな。
旅の出発点 ──人生の最大の目標はシガーロスとコラボすることなんです
河野:僕はアイスランドに行きたいですね。
近藤:アイスランド、僕もトップの方に入りますね!
河野:僕パンク上がりなんですけれど、二十歳過ぎてから今一番好きなバンドはシガーロスなんです。シガーロスを聞いているとフラットになれる。
近藤:完全に僕と一緒ですね!絵を描く時はシガーロス率が高いんですよ。ここにある絵もシガーロスのために描いているようなものがほとんどです。個展の制作の時、シガーロスを聴きながら描いている。
──ライブペインティングではない時、音楽を聴くのか気になっていました。
近藤:家で制作する時、何ヶ月もの個展の準備期間に精神を同じ状態に置きたくて、プレイリストを作るんですよ。それにかなりの確率でシガーロスが入っていますね。アイスランド行きたいです。
河野:何年か前に出たアイスランドコンピも沢山聴いていました。ビョークとかアウスゲイルとかアイスランド出身のミュージシャンの雰囲気があるじゃないですか。
近藤:現地の情景が浮かぶよね!ムームも大好きです。アイスランドの雪原、夏なら平原にステージを用意して、お客さんが通るアプローチには絵がイーゼルで何点か立ててあって、絵を見ながらお客さんがステージの前にたどり着く野外美術館みたいな夢を描いています。人生の最大の目標はシガーロスとコラボすることなんですよ。
河野:いいですね!ぜひやってください。
近藤:ブッキングお願いします。
河野:わかりました、辿っていきます。
──アイスランドの白い景色に近藤さんの絵をそのまま映して欲しいです。
近藤:雪原に?いいねー!それもすごくかっこいいね。
河野:想像しただけでやばいですね。
──それをアイスランドの外の温泉に入りながらみたいです。
近藤:観客はあったかいんだ(笑)。シガーロス、いつか辿り着きたいな。我々の人生の目標にしましょう。
河野:そうですね!今日は旅の、出発点の日です。
近藤:最高にいい夢だな。