音叉点──音楽と●●の交差点 第十回ゲスト:川本貴弘監督(映画『かば』)
っっ「音叉点(おんさてん)」とは「1.音楽と●●が交差するところ 2.チューニングされるきっかけ」を意味する言葉である。ライブハウスでは日々沢山の音楽が鳴り、音と音が混ざり合い音色となるように、人と人が出会うことで新しい物語が始まっている。
第十回目のゲストは、2021年公開の映画『かば』が半年以上のロングランと異例の大ヒットを記録し続けている川本貴弘監督。大阪・西成の中学とその周辺を舞台に2年以上の取材、7年以上の制作期間を経て撮られた自主映画で、ソフト化や配信を一切せず、配給会社も付けずに自ら映画館やライブハウスを車で周って上映する、まるでツアーバンドのような活動の姿勢は他に類を見ない。
一方で河野は今年、学校に行けない人もライブハウスが居場所になるという考えから、学割と銘打たず「U-19」と表題した無料入場の取り組みを開始した。そしてスタッフの面接や育成に長年携わっており、かねてから教育に関心を持っていたということで、今回のテーマは「学校」。音楽業界と映画業界、どちらも人材の育成に課題を持つ業界の二人が、川本監督が西成に構えた長屋「大阪活動屋会アジト」でそれぞれの実情を打ち明ける対話となった。
取材日:2022年2月19日 取材・文:柴田真希 撮影:加藤春日
プロフィール
河野 太輔(かわの・だいすけ)
1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mama に入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる。
川本 貴弘(かわもと・たかひろ)
映像制作を学びフリーのディレクターとして、吉本興業芸人(主に幼なじみであるブラックマヨネーズ 吉田 敬)の劇場用VTRやコントなどを制作する。
ブラックマヨネーズ 吉田 敬と共同制作した自主制作映画「ドラゴンマーケット」で初監督、第3回インディーズ・ムービー・フェスティバルで審査員特別賞を受賞。ロックバンド騒音寺のPVを手掛けるなど、関東で商業ディレクターとして活動した後、関西へ活動拠点を戻す。2005年、映画「秋桜残香」でデビュー。2012年には長編映画「傘の下」を公開、プロデューサー/監督を務めた。
西成に実在する中学校をモデルにした、現在制作中の「かば」は足掛け7年にわたっている。2014年から2年間の取材活動ののち、制作中止の危機を迎えるなど紆余曲折を経るも、支援者の輪が広がり、2017年には趣旨に賛同したスタッフ、俳優が集まり、パイロット版が完成する。前作「傘の下」同様、「人と人が向き合い理解する大切さ」を描くこの作品は、未来を変える力があると信じ、日本全国を周って上映会や講演を行なっている。
映画『かば』2021年公開
プロデューサー・監督・脚本 川本貴弘
出演:山中アラタ/折目真穂/近藤里奈/さくら若菜 他2010年5月、惜しまれつつ亡くなった中学教師・蒲 益男(かばますお)の葬儀には教え子だけでなく、世代や職業を問わず300人を超える人々が参列し、皆、故人を偲び涙を流した。1985年、大阪の公立中学校に実在した教師と生徒の「教育者と学び手」「大人と子ども」を超越した「人として対等」な人間関係を描く実話に基づいた青春映画。
実際にいた人のこととか、実際にある町のことを撮るんやったら、とことん付き合わないと
河野:今日はありがとうございます。第七回でご登場いただいた、高円寺バーボンハウスの島田さんに川本さんの映画『かば』のお話を伺ったんです。それで昨日観させていただきました。
川本:俺も30代は高円寺に住んでいて、バーボンの店によく飲みに行っててん。バーボンも映画観に来てくれよってね。4、5年前にバーボンが大阪までキッチンカーで来た時に再会して、この近くで飲んだ。
河野:西成、初めて来ました。
川本:俺も『かば』を始めるまでは来たことなかったよ。出身は京都やし、別に西成に用事がなかった。
河野:では『かば』を撮ったのは、川本さんが蒲(かば)先生と知り合いだったからではないんですか?
川本:違うね。主題歌をやってくれた騒音寺のタムのライブを京都磔磔に観に行ったとき、そこの客に「蒲先生っていう人がいて、その人の自伝映画を撮ってくれないか」って言われたのがきっかけ。ノリでそういうこと言う人って多いから、最初は話半分に聞いてたけど、結構しつこかったのよ。それで蒲先生のこと調べてみたら、京都の高校の臨時講師を勤めた後、西成の中学校の教師になったっていうのが分かった。そしたら今度は西成に興味持つやん?
河野:ここの長屋の外にも、西成が舞台の映画のポスターが貼ってありましたね。
川本:そうそう、西成を撮った映画もあるし、「じゃりン子チエ」っていう西成が舞台の漫画も好きやったしね。それで友達にこの辺りの立ち飲み屋とかに連れて行ってもらって、話を聞き始めた。だから自分発信で教育の映画を撮りたいとか、西成の差別問題を映画にしたいとか思っていたわけでは全くない。それで始めたのはいいものの、俺もよそ者やから、最初は色々言われたね。受け入れてもらうまでは7年くらいかかったな。
河野:さっき道で「おお監督〜!」なんて声かけられてたのを見て、川本さんが時間をかけて信頼関係を築いたんだろうな、と思いました。
川本:町の人が声かけてくれるなんて、当初は考えられへんかった。去年の11月に、ここからすぐの所にある三角公園で無料の野外上映をしたのよ。そこは生活保護と日雇いの仕事で暮らしている人が集まってくる場所。どうにかタダで見せてあげたいけど、映画館でもまだやっているから、室内だと1,500円取らないとダメ。それで「そうだ、外でやろう!」と思いついたのね。結果40〜50人くらい来てくれて、その時に初めて受け入れられたな、って思った。
河野:公園で上映する選択は、ずっと取材を続けて西成の実情を分かったから辿り着いたことですよね。
川本:そうね。西成ってどうしても釜ヶ崎の労働者問題が注目されがちやけど、当事者からすると労働者問題と差別問題とは全く別で。『かば』の舞台は釜ヶ崎じゃなくて、反対側。だから『かば』では釜ヶ崎は撮らないでって言われててね。そういう事情が分かったのは、取材の積み重ねやと思う。俺はあんまり短い期間で一部を切り取るのは好きやなくて、長い時間をかけてじっくり撮りたいと思ってて。
河野:どのくらい取材されたんですか?
川本:2年間で200人くらいの先生とかこの町の人に話を聞いたかな。
河野:それだけの方の話を聞くって相当大変ですよね。
川本:俺、新聞記者とかジャーナリストになりたかってん。だから取材するのはやりたかったことの1つで、楽しかった。それで丁寧に取材して作ったけど、やっぱり中には嫌がっている人もいるのね。2017年くらいかな。西成の差別問題を撮る人が珍しいからマスコミが注目し始めたとき、何かで『かば』のことを知った一人の女性に呼び出されて。話を聞きに行ったら、「出自を隠して嫁いでいる人もいるのに、こんな映画で他人の人生を壊したら責任を持てるのか」って言われてね。責任持てるわけないやん。
河野:そうですよね。
川本:うん。ただ、自分の映画には責任を持つ。大阪も整備されて見た目では差別が分からなくなってきているから、今更「寝た子を起こすな」って意見があるのは当然で。だから実際にいた人のこととか、実際にある町のことを撮るんやったら、とことん付き合わないと、って覚悟した。ソフト化せずに、自分で上映して周ってるのもそれが理由やね。
河野:すごいですね、なかなか真似できないと思います。
川本:もちろんDVDとかネット配信したほうがビジネスとしては儲かるけど、それやと映画が一人歩きしてしまう。だから何年も経ったら出すかもしれないけど、3,4年はせめて映画館で上映して、できる限り自分がそこに行く。何か問題ありそうやったら俺に言ってくれたら解決するし、できないとしても、話をしっかり聞くようにしてる。
河野:それでこの場所も作ったんですか?
川本:俺がいるからいつでもおいで、って意味でね。今後第2、第4火曜日はずっとここで『かば』をやるし、ジュースとか酒を飲みながら話す場所を西成に作りたかった。イベントもやったりね。
河野:昨日も地元の方がいらしてましたけど、地元の方は普段からよく来られるんですか?
川本:毎日3〜4人は来るかな。主婦の人が買い物のついでに観に来たりね。話を聞くと、中には差別をなかったことにしちゃダメだから、『かば』みたいな映画が必要だって言ってくれる人もいて。戦争と一緒でさ、悲惨なことは伝えていかないと知らない世代の人らがまた同じことをやる。人間ってアホやからな。そういう話も聞けるから、ここを作ってよかった、って思うね。
河野:ではこれから、拠点はここに置かれるんですか?
川本:京都の事務所とここを行ったり来たりかな。でもほとんどは、全国を車で周ってる。車で地方を回るのは、バンドのツアーみたいなもんやね。俺はバンドマンが機材車で色んなところに行くのに憧れて「絶対全国周れるような映画を撮りたい」と思ってたから、夢が叶った。
河野:僕もバンドのマネージャーをやっていて、ツアーにも行くんですけど、現地に行かないと分からないことって多いですよね。だからどうやっても赤字になるのが分かってる場合でも、行ったりします。
川本:地域によって反応も違うからおもろいね。笑いどころとか、全然違う。でも一つ気づいたことがあって、泣き所だけは全国一緒なのよ。それは不思議やと思ったなぁ。
ライブハウスは学校に行けないような子の居場所にもなっている
河野:僕は中学や高校の時の先生と今でもよくやりとりしているので、実在した中学の先生を扱った映画ということで興味を惹かれました。何かの記事で読んだんですけど、川本さんご自身は学校の先生との思い出が少ないんですか?
川本:俺らの年代って第2次ベビーブームで、中学は1クラス40人以上で16クラスあったから、そんなに先生と交流した記憶はない。別に先生が嫌いとかじゃなくて、人数に埋もれてしまっていた感じかな。
河野:僕は宮崎県の田舎で、クラスメイトが5、6人でした。だから先生との交流もめちゃくちゃ多かったんですよね。どちらかというとやんちゃな方だったので、喧嘩のシーンとか、自分の幼少期と重なる部分も多くて面白かったです。
川本:学園ものって、「3年B組金八先生」とか「クローズ」とか、どうしても目立つ子にスポット当てるやん。先生が紹介してくれる当時の生徒さんも、やんちゃしてた人ばっかりなのよ。だから先生に、「まじめな子紹介してくれへん?」って言ったら、「交流ない」って言われて。だから映画の中で優子や由貴みたいな大人しい子をフィーチャーしたのは、そういう子のSOSにも、大人たちは気付いてあげてほしいという意味を込めてね。やんちゃな子は、自己アピールができてる子なのよ。
河野:由貴ちゃんの存在は、僕が生活している現状にも近く感じました。ライブハウスに出ている若い子たちでも、自己アピールが得意な子とそうでない子がいて。得意でない子の話にも耳を傾けたいと常日頃考えています。映画では、全員が主人公みたいにスポットが当たる構成になってますよね。
川本:そうそう。脚色はしてるけど、ほとんどが聞いた話をそのまま書いていて、全員にモデルがいるからリアルやと思う。
河野:不登校の良太くんの家で、家庭訪問で親と先生が一緒にお酒飲んでいる光景を見て、こういうことあったな、と思いました。
川本:1985年が舞台で、当時は家庭訪問があったからなぁ。先生方に話を聞くと、家庭の中を見ないと本当の問題は分からないから、大事な文化だったって言うのよ。それで家庭訪問のシーンは入れた。
──良太くんは音楽が好きで、日本のロックバンド・ARBの話をきっかけに蒲先生に心を開いていきますよね。当時大阪にあったライブハウス「バーボンハウス」に出たいって夢を語るシーンもありました。
河野:ライブハウスって学校に行けないような子の居場所にもなっているんですよね。実際に今でもミュージシャンから不登校って話をよく聞いたりします。
川本:そう、河野さんに聞きたいことがあって。La.mamaが10代はタダでライブに来れる「U-19」を始めたって聞いたんやけど、これって学割ちゃうもんね。
河野:学割って言うと、学校に通ってない人を排除してしまうから、そうは言いたくなくて。10代は誰でもいいんですよ。ライブハウスはどんな人にも開いている場所だから、みんな来て欲しいという想いで始めました。
川本:タダっていうのはすごいなぁ。俺も自分で上映会をやるとき、子どもにはタダでも見せようかな?って一瞬思ってんけど、どこかで子どもにもちゃんとお金を払って真剣に見て欲しい気持ちもあって。タダって言ったら来そうやな、とも思うけどね。
河野:実際、無料にしたからってめちゃくちゃ沢山集まるわけでもなくて。それくらい、今は遊びの選択肢が無数にあるんですよね。ただ、初めてライブハウスに行くきっかけの一つになるといいな、と思っています。最近は若い子をライブハウスで見かけることがあまりないんですよね。
川本:それは映画館も一緒やな。舞台挨拶のとき、若い子見かけたら珍しくて「なんで来たん?」って声かけてるもん(笑)。
河野:たしかに映画館も、どんどん年齢層が上がっているのを感じます。あと、お客さんで若い人が少ないのもそうなんですけど、裏方でも、下の世代の育成をもっと真剣に考えないと、この先が見えないと日々感じています。
全国でお客さんが入るのは、お金を集めながら「こういう映画をやりますよ」って宣伝してたから
川本:後輩、育たないよね。この業界、特にインディーズの映画のよくないところは、ギャラを払わないのよ。お金にルーズ。自主制作だから手伝ってくれてる、って考えなのかな。そういうことをしているから、ずっと人手不足。『かば』は役者とか知り合いのミュージシャンにもギャラをちゃんと払おうと思ったのもあって、4,000万円集めた。
河野:4,000万ってすごい額ですよね。
川本:もちろん今は100万で撮る人とかもいるけど、映画って、100万で4,000万のクオリティを出すのは無理やねん。よく製作費の問題じゃないっていうけど、俺は製作費やと思ってる。もちろん、熱さは同じかもしれへんけど、見た目の圧倒的な違いが出てくるからね。ただ、4,000万はメジャーの人でもなかなか集められない額やね。
河野:その上『かば』は自主制作だから撮れるシーンもありますよね。中学生がタバコ吸ってたり。
川本:あれはメジャーだったら絶対無理やね。『かば』は映倫*も通してないから、そういうことができる。差別用語も、大手の映画会社は別の言葉に置き換えると思う。でもそしたら嘘になるやん?自主制作でやりたいことをやって、それでもしっかりお金を集めて回収するのが一番いい。
編注:「映倫」一般財団法人映画倫理機構。青少年の健全な育成を目的として、主に映画作品の内容を審査し、レイティング設定を行っている。
河野:それだけの額、どうやって集めたんですか?
川本:先に10分くらいのパイロット版を作って、カンパを集めるために全国を周った。それで2万人くらいが見てくれて、1,000万集まったのかな。後は蒲先生の周りの同僚の先生方に借りたり、クラウドファンディングをしたりね。でも、半分は回収できたよ。
河野:それだけヒットしたのはすごいですよね。
川本:一つ理由として映画館から聞くのは、リピーターが多いらしい。群像劇やから、1回では登場人物がよく分からないけど、2回目で人間関係が分かってきて、3回目でセリフがグッと入ってくる。だから3回来る人が多いらしい。今日も来てるけど、27回観てるやつもおるよ。
河野:えぇ!(笑)
川本:全国に観に来てて、この間は岡山の舞台挨拶で前に座ってた。めっちゃ来るから、最近よく飲みに行ってるわ(笑)。まぁそれは極端な話やけどね。あと、この映画は公開から半年で1万人以上動員したのが異例やと言われてるけど、要するにカンパしてくれた2万人の半分が一気に来たってだけ。全国でお客さんが入るのは、お金を集めながら「こういう映画をやりますよ」って宣伝してたからやね。
河野:映画ができる前に宣伝していることになりますもんね。
川本:うん。映画って作るのより宣伝するほうがお金かかるって言われてるけど、正直作るだけでも精一杯。だからこれからはこのやり方やね。これだけヒットすると、配給会社を付けてなくても映画館の方から『かば』をかけたいって言ってくれるから、映画館とも直接交渉できる。
河野:普段は配給会社が映画館と交渉するんですよね?
川本:うん。「配給どこ?」って聞かれるけど、「俺に直接交渉してくれ」って言ってる。映画館は嫌がるけどね。音楽やったらインディーズとメジャーって、レコード会社がついているかどうかで分かれる?
河野:はい、そうですね。
川本:映画は配給会社がついているかどうかなのよ。配給をつけると、宣伝とか交渉してくれる代わりに、映画館に50%、配給に25%渡さなきゃいけない慣習で、さらに配給会社には最初にまとまった額も渡さなきゃいけない。その配分だと25%しか残らないから、とてもじゃないけどやっていけない。
「もうええわ」って思ってたら、新宿LOFTが「うちでやりなよ」って声をかけてくれた
河野:その状況は今も変わらないんでしょうか?
川本:変わらないから、問題になってるね。そんなの映画館が潤ってた時代の話やから、変えるべきって監督はみんな言ってる。だから日本映画は衰退してるし、中国とか韓国、アメリカ、インドはもっとしっかりやってるはず。時代に合わせて変わっていかないといけないのは、ライブハウスも一緒かな。昔ほどバンドやってる人、多くないよね?
河野:バンドの数も減っていますし、今は専門学校もミュージシャンコースより作曲コースの方が人気みたいです。自分が入ったばかりの16年前は、地元のライブハウスの紹介状がないと出れないくらいバンドの数が溢れてたんですけどね。
川本:俺もそうやけど、昔はみんなギター持って歩いてたもん。ライブハウスも少なかったし、出たい人の方が多かったもんね。
河野:ライブハウスの数に対して、バンドの方が多かったから成立していたシステムだと思います。だから今は自分が音源を聴いていいと思ったら、直接連絡を取って出てもらってますね。アーティストも今は自分で発信できる時代なので、やり方は時代に合わせて変えていく必要があると思います。
川本:映画も、これからは配給会社を付けて宣伝費を莫大にかけなくても、『かば』みたいなやり方ができるっていうのは伝えたいな。直接交渉する分、配給を通すよりも入ってくる分が多いし、公民館とかの非劇場だと、全部入ってくる。映画館だけでかけなくてもいいしね。
河野:この長屋もいいですよね。個人的には映画館でなくとも、西成に来て、ここで観ることができてよかったと思います。
川本:そうね。最初はせっかく来てくれるからイベントじゃなくて映画館で観て欲しい、って思ったけど、西成で見る、っていうのもええよね。
河野:普段ライブハウスにいるので映画館でも音が気になるんですけど、ここの音は好きでした。
川本:ほんまに?俺も色んな所を周ってるけど、音はここが一番いいと思った。この長屋、木造やから、音を吸収して反響しないんだと思う。もちろん爆音は出せないから迫力はないけど、会話劇やから迫力はいらんし(笑)。何よりセリフがちゃんと聞こえるのがいい。
河野:ライブハウスでもやられてますか?
川本:ライブハウスは神戸チキンジョージと、京都は拾得でやったね。11年前の前作『傘の下』のとき、実は映画館でかけてもらえなくて。今は映画館もハードルが低くなっていて、自主映画でも流してくれるんやけど、当時は難しくてね。それで「もうええわ」って思ってたら、新宿LOFTが「うちでやりなよ」って声をかけてくれてね。そこからかな、「ライブハウスで映画かけたらええやん」と思うようになったの。千葉のANGA、高円寺HIGH、名古屋TOKUZO、磔磔、拾得、チキンジョージ、転々と周ってね。今度La.mamaでもやらせてくださいよ。
河野:それ、僕も思っていました!ライブハウスで映画をやると、また普段と違った人たちが来て、交流が生まれると思うんです。そういうのって文化的だと思うし、うちも普段はほとんどが音楽公演なので、新鮮で楽しいんですよね。
川本:東京の映画館ではもうやらないと思うからちょうどええな。ここにある上映の機材も全部俺ので、3メートルのスクリーンとか、上映セットを持って車で全国を周ってるので、簡単に行けるよ。劇場でやり終わったらライブハウスを周りたいな、と思っていたので、是非やりましょう。