広告・取材掲載

第191回 株式会社メロディフェア 代表取締役 加藤信之氏【前半】

インタビュー リレーインタビュー

加藤信之氏

今回の「Musicman’s RELAY」はカクバリズム代表取締役 角張渉さんからのご紹介で、メロディフェア代表取締役 加藤信之さんのご登場です。大学在学中に、クラブ・カルチャーの魅力に目覚めた加藤さんは、働き出したクラブで多くのDJやアーティスト、そして感度の高いオーディエンスたちと交流していきます。

その後、音楽制作を志しグリオへ入社。マネージメントやレーベル運営などを経て独立。メロディフェアを設立し、スチャダラパー、SLY MONGOOSE、サイプレス上野とロベルト吉野、岩崎太整、CMJK、川辺ヒロシのマネージメントや、ドラマ・映画などの音楽制作、阿蘇ロックフェスティバルなどコンサートやイベントの企画・制作など幅広くご活躍中です。そんな加藤さんにご自身のキャリアからメロディフェアの今後まで話をうかがいました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦 取材日:2022年4月19日)

 

角張さんは業界唯一の同期

──前回ご登場頂いたカクバリズム 角張渉さんと最初にお会いになったのはいつ頃ですか?

加藤:角張さんと最初に会ったのは多分20年以上前だと思います。その頃、僕はグリオというところにいました。

──音楽制作や作家・アーティストのマネージメントをしているグリオですか?

加藤:そうです。僕がグリオに入社したのは23、4年前なんですが、それまでグリオはアレンジャーやミュージシャンの事務所という感じだったんですけど、僕が入社してまもなく、初めて新人アーティストを仕掛けることになったんです。僕はグリオに入社する前はクラブで働いたんですが、その新人アーティストはクラブミュージックの要素を取り入れる音楽の方向となり、全然経験がないのにいきなりマネージャーをやらせてもらうことになったんです。

それで2年ぐらいマネージャーをやったあとにSLY MONGOOSEというアーティストに出会って「自分でインディーレーベルをやりたいな」と思い、原盤制作、レコード店の受注から納品まで、全部一人で行ってみて、1枚目の7インチレコードをリリースしたんです。

角張さんはそのレコードを買ってくれて、ほぼ同時期くらいにカクバリズムからYOUR SONG IS GOODの1枚目の7インチシングルがリリースされて、それがきっかけで会う機会があり話したら、年齢が近く、似たような感覚の人で仲良くなり・・・レーベル運営で手探りなことがいろいろあったので、何かあったら角張さんに相談するみたいな関係になりました。

 

ラグビー推薦で入った大学をドロップアウトしクラブの店員に

──ここからは加藤さんご自身のことをお聞きしたいんですが、ご出身はどちらですか?

加藤:千葉の市川です。

──加藤さんのご実家は今の仕事に繋がるようなご家庭だったんでしょうか?

加藤:いや、そうでもないですね(笑)。僕は小中とサッカーをしていて中学はエスカレーターで高校に進学できて、高校ではラグビーをやって、ラグビー推薦で大学へ行きました。で、いろいろあって、ラグビー部を辞めたと同時に大学も辞めました。

──(笑)。

加藤:ラグビー部が嫌だったというよりは、他の楽しいことを色々覚えちゃったんですよね。在学中、西麻布のイエローに行ったときに、DJブースの横に螺旋階段があって、その上からDJが何をしているのか見ることができるんですけど、その姿がすごく格好よく見えたんです。あと来ているお客さんにドラァグクイーンとか、出会ったことのない方々がたくさんいて、「こういう場にいたいな」と思ったんです。

それでイエローに誘ってくれた人の知り合いが、その日にDJをやっていた人で、その場で「ここで働けないですか?」と聞いて。そうしたら「話してあげるよ」と言われて、後日面接に行ったんですが、結局イエローで働くことはできず・・・「でも、もしかしたら、ここだったら働かせてくれるかも」とほかのお店を何軒か紹介してもらって、その中の一軒で店員としてバイトすることになったんです。

──そこからは夜のクラブ活動になるわけですね。

加藤:そうですね。夕方に出勤して、朝の5時に営業が終わって、片付けをして7時に帰るみたいな生活でした。ですから、ずっと昼夜が逆転していました。

──クラブでのバイトはどのくらいやったんですか?

加藤:そこから3年半とか4年ぐらい働いたのかな?新宿のカタリストというクラブで働いていたんですが、姉妹店の青山ミックスで人手が足りないとヘルプで行ったりもしていました。

──その中で今に繋がる人脈が生まれたんですね。

加藤:そうですね。横の繋がりで色々なお店の人と仲良くなりましたし、出演したアーティストさんや常連さんで芸能・ファッション系のお仕事をされていた方も多くいらっしゃったので、すごく勉強させてもらいました。

 

音楽を作る側に行きたい〜グリオ入社

──クラブでの仕事から音楽制作の仕事にシフトするきっかけはなんだったんですか?

加藤:クラブシーンって僕が入ったときが、その時期のピークに多分近かったのかなと思うんですよね。それで働き出してから3年目くらいだったと思いますが、だんだんお客さんが入らなくなっていったんです。

クラブは音楽ですべて繋がっていて、根幹には絶対に人気アーティストやヒット曲がありました。その当時、ローカルヒットみたいなものでもクラブではすごく流行るというか、その曲が流れればみんな盛り上がる曲があったんです。僕はそういう曲を作る側にいって、クラブシーンを盛り上げたいなと思ったんです。

──それでクラブを辞めるわけですか?

加藤:1回お店を辞めさせてもらって「とりあえず車の免許かな」と合宿免許に行ったりしながらいろいろ考えて、「やっぱり音楽業界で働いてみようかな」と就職情報誌『ビーイング』のマスコミ特集をコンビニでパラパラとめくっていたら募集している会社があったので「とりあえずここ受けてみよう」と履歴書を送ったのがグリオです。

──加藤さんの音楽的素養というか好みはクラブを通じて培ったものですか?

加藤:そうですね。今の趣向に繋がるのは完全にクラブで働いてからですね。お店にいればDJの方に「この曲なんですか?」ってなんでも聞けましたし、「今これが面白い」と逆に教えてくれたりしましたしね。

特に影響を受けたのは、カタリストとミックスでレギュラーDJをしていた方々がプレイしていた、洋楽・邦楽、新旧問わず、世界中の音楽をいろいろ教えて貰いました。

あと、お客さんもアパレル系の方やデザイナーさんがいらっしゃって、そういった諸先輩方ら「こういうのを見たほうがいいよ」とか「これ聴いたほうがいい」「これ面白いよ」みたいなことを教えてもらって、だんだん自我が確立していくみたいな感じでしたね。

 

 メロディフェアでアーティストマネージメントを開始

──グリオでは最初どういう仕事をしたんですか?

加藤:最初は作家さん、ミュージシャンのアシスタントですね。今みたいにアレンジャーがパソコン1台でみたいな時代ではなくて、デカいケースを運んでいるような時代でした。

──シンセサイザー一式というやつですね。

加藤:そうです。それを全部運んでました。ラグビーをやっていたので重い荷物も持てましたし(笑)、免許もありましたからね。で、荷物を運んだら、スタジオでずっと見て勉強して、という感じでした。

──結局グリオには何年いらっしゃったんですか?

加藤:7年いました。マネジメント、原盤制作、イベント制作、着メロサイトの企画運営など様々な事業に携わらせていただき、最後は部長にもならせていただきました。

7年目のときに、先ほどお話ししたSLY MONGOOSEの笹沼位吉さんがリリー・フランキーさんと、もともと仲がよくて、リリー・フランキーさんがバンドを始めるということで「手伝ってくれって頼まれたんだよね」という話を聞いて、そのときにSLY MONGOOSEの2枚目のアルバムをリリースするタイミングだったので、「じゃあリリーさんに帯のコメント書いてもらったらどうですか?」という提案をして、書いてもらったんです。

それで、その当時のリリーさんのマネージャーさんが直筆の帯コメントを持って来てくれたときに「リリーがバンドをやるんだけど、音楽の仕事がわからないからちょっと手伝ってもらえない?」と言っていただいて、「なんでもやりますよ。コメント書いていただいたし」と。そこから「一緒にやらないか」という話になったんですよね。

同時期にスチャダラパーとSLY MONGOOSEとマネジメントの話をしていていたので、みんなでリリー・フランキーさんの事務所にお世話になることになり、そこで作った部署がメロディフェアです。なので名付け親もリリーさんです。その当時はTOKYO No.1 SOUL SETも在籍していて、所属アーティスト3組すべて、エイベックスさんと契約させて頂きました。このことを発表したのが2007年です。

──そこからマネージメントがスタートと。

加藤:そうですね。グリオでは原盤制作と流通とか、マネージメントよりはレーベル事業みたいなことを中心にやっていたので、そこからマネージメントに特化しました。

 

▼後半はこちらから!
第191回 株式会社メロディフェア 代表取締役 加藤信之氏【後半】