第193回 株式会社ローソンエンタテインメント エンタメコンテンツグループ record shop事業部 小松正人氏インタビュー【前半】
今回の「Musicman’s RELAY」はソニー・ミュージックエンタテイメント 薮下晃正さんからのご紹介で、ローソンエンタテインメント エンタメコンテンツグループ record shop事業部 小松正人さんのご登場です。一度ゼネコンに就職されるも、地元に店舗ができることを知り、HMVへ転職。横浜、渋谷と勤務し、音楽業界に衝撃が走った2010年の渋谷店閉店時には店舗事業本部長と商品本部長を兼務していた小松さん。
ローソングループとして再出発後は、出店攻勢をかけ、2014年のHMV record shop 渋谷開店では陣頭指揮を執られます。現在はrecord shop 事業部の責任者として、中古アナログ市場の開拓や、HMV企画によるアナログ再発などに取り組まれている小松さんに、キャリアのお話からアナログレコードの現状まで、お話をうかがいました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦 取材日:2022年5月26日)
毎週欠かさず「ベストヒットUSA」を観ていた少年時代
──前回ご登場いただいたソニーミュージック 薮下晃正さんとはいつ頃お知り合いになったんですか?
小松:最初にお会いしたのはHMV record shopが立ち上がってからですから、7、8年前になります。もともと私は薮下さんが選曲や制作をしているソニーミュージックのレゲエ・コンピレーション「RELAXIN’ WITH LOVERS」のリスナーだったので、薮下さんのことは一方的に知っていました。それで、実際にお会いして、アナログのリリースに関していろいろお仕事させていただいているうちに、すごく仲良くなりました。
──プライベートでも会われたりしますか?
小松:そうですね。たまにプライベートでも飲みに行ったりします。薮下さんは、音楽の趣味が近いところもあったりしますし、私からすると仲の良い音楽の先輩というか、いろいろ教えていただいている先生みたいな存在ですね。
──この先からは小松さん本人のことをお伺いしたいのですが、ご出身はどちらですか?
小松:新潟県新潟市です。普通のサラリーマン家庭ではあるんですが、父が石油の発掘みたいな、そういう仕事をしていまして、私が小さい頃は1年とかそういったタームで海外に出張へ行っていたりしていました。
──昔、新潟にも油田があった?
小松:新潟沖にあったんですが、父はインドネシアやシンガポールとか、そういったところに出張に行って、1年ぐらい家を空けて帰ってくるみたいな、そういう感じでしたね。
──出張先について行ったことはあるんですか?
小松:残念ながら、それはなかったんですよね。今思えば「なんでついて行かなかったんだろう…」と思うんですけど(笑)。
──(笑)。小松さんはどういったお子さんだったんですか?
小松:小さい頃はおとなしくて、テレビやラジオを静かに観たり、聴いたりしているような子どもでした。2つ上に兄がいるんですが、兄の影響で小さい頃から音楽を聴いていて、中1から洋楽を聴き始めました。
──音楽を聴くようになったのはお兄さんの影響だと。
小松:そうですね。うちの兄と、あと父が出張先で買ってきた洋楽のカセットとかが家の中に結構あって、それもよく聴いていましたね。
──原体験として最初の音楽ってなんですか?
小松:なんでしょうね…最初に買ったレコードは皆さんと同じように、それこそ「およげ!たいやきくん」とかそういう感じなんですが、物心ついた頃に自分自身で聴き始めたという点ですと「ベストヒットUSA」でしょうかね。「ベストヒットUSA」は、ちょうど洋楽にハマったタイミングですごく盛り上がっていて、毎週欠かさず観ていました。
──80年代ですね。
小松:80年初頭です。なんとなく一番記憶に残っているのはヴァン・ヘイレンとか、そのあたりの音楽だった気がしますね。
──その頃はすでにレコードを買い集めるような少年だったんですか?
小松:レコードは買っていましたね。当時、新潟に石丸電気があって、そこのレコードフロアには輸入盤が結構あったんですよね。もちろん当時は国内盤も輸入盤もよくわからずに買っていましたけど、よくお小遣いを持って買いには行っていました。
──といっても、そんなにたくさんは買えないですよね?
小松:そうですね。本当にアルバム1枚を大事に聴いてみたいな感じでした。それと並行して当時レンタルもあったのでレコードをレンタルしてテープにダビングしていましたね。
──「ベストヒットUSA」となりますと、やはりチャートものがお好きだったんですか?
小松:もともとは「ベストヒットUSA」やビルボードTOP10みたいな、いわゆるチャートものを中心に聴いていたんですが、そこから気に入った曲はアーティストで聴くようになり、パンクならクラッシュだったり、2 Toneならスペシャルズだったり、そういったバンドを聴くようになりました。さらにそういったバンドのルーツであるレゲエやソウル、ジャズとどんどん掘り下げて聴くようになりました。
──では、かなりマニアックな音楽を中高から聴いてきたと。
小松:いえいえ、中・高校生ですから。とはいえ、今に繫がるとっかかりの部分までは聴いていたかなという感じですかね。
激務のゼネコンからHMVへ転職
──噂によると、前職はゼネコンだったとか?
小松:そうなんです(笑)。建築のデザインというか作るほうをやりたいなと思って、そういう学校に進学し、建築系の会社に就職したんです。
──担当は設計ですか?
小松:いわゆる、現場監督ですね。残念ながら、設計の方には配属されず、現場で施工管理をやっていました。当時はバブルの時期だったこともあって、本当に忙しくて、1か月休みなく朝7時に出勤して帰りは深夜の12時・・・下手したら泊りみたいな毎日でした。
──なるほど、それは意外な経歴ですね。そこからどうHMVに繋がっていくんですか?
小松:ゼネコンに勤めて5年経った頃に家庭の事情も重なり、会社を辞めて新潟の実家に一度戻ったんです。ちょうどそのときに新潟にHMVができるというので応募して、1995年の新潟店のオープニングスタッフとして入社しました。
──HMVに入ったら「こっちのほうが向いている」と思いましたか?
小松:やはり大好きな音楽に囲まれるような仕事でしたし、すごく楽しかったですね。
──当時はどんな音楽ジャンルを担当されていたんですか?
小松:当社でいう「ダンス&ソウル」というジャンルで、ソウル系の担当でした。
──ソウルやダンス系のCDの仕入、いわゆるバイヤーですか?
小松:そうですね。CDも仕入れていましたけど、当時はレコードも海外から仕入れしていました。
──ちなみにゼネコンで働かれているときも、CDやレコードは買い続けていたんですか?
小松:買っていましたね。もちろん忙しすぎて休みがなかったりして、買いに行けないときもありましたけど、基本的には休みのたびにレコード屋には行っていました。
──では、アーティストやレーベルに関する知識という部分では、あまり苦労なくHMVの仕事に溶け込めた?
小松:いえいえ、やはり素人ですからね。CDやレコードを商品として扱うにあたっての基本情報として、レコード会社とその傘下のレーベルなどを覚えなければならないんですけど、こういうことって普通にCDを買って、音楽を聴いているだけではそこまで気にしないですよね。もちろんご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、当時の私はそこまで分かりませんでした。
この辺りの仕事に必要な知識は、当時の店長や先輩社員に教わったり、お客さまからもいろいろ教えていただきましたね。すごく音楽に詳しくて、教えるのが好きな方っていらっしゃるじゃないですか?本当にありがたくて。もちろん同年代の、同じ時期に入社したスタッフも、好きなジャンルがそれぞれ違ったので、いろいろ教え合ったりもしましたね。
HMV渋谷店の閉店から再び出店攻勢へ
──1995年からHMVということはCDセールスのピークを味わったということですよね。
小松:ええ。新潟店には結局5年間いまして、その後、横浜店へ異動になるんですが、ちょうどその頃CDの売り上げが世間的にもピークだった時期だと思います。よく覚えているんですが、宇多田ヒカル「Distance」と、浜崎あゆみ「A BEST」が同時に出た日(2001年3月28日)があって、そのときは本当に多くのお客さまが来店され、店内がすごかったんですよね。あれを味わえたのはすごくよかったなと思いますね。
──そして横浜店の次が渋谷店ですか?
小松:そうですね。横浜にも5年ぐらいいて、渋谷センター街に移転後の渋谷店に異動になりました。
──そもそもお店によって雰囲気って変わるんですか?
小松:違いますね。お客さまの層も全然違いますからね。例えば、新潟って割とこぢんまりとした地方都市なのでお客さまも店舗もおとなしい感じなんですが、横浜は当時、米軍基地から米兵の方たちが頻繁に来店されていて、ソウルやヒップホップが好きなお客さまもたくさんいらっしゃったので、雰囲気はかなり違いますよね。
──渋谷店に関して言うと、2010年に一度閉店しますね。
小松:そうですね。私は、渋谷店に副店長として異動し、そのあと2010年8月に渋谷店が閉まるタイミングでは店舗事業本部長と商品本部長を兼務していました。
──そうだったんですか・・・閉店のときはどんなお気持ちだったんですか?
小松:渋谷店だけ特別ということはなく、どの店舗でも閉店するときは、さすがにつらいのですが、それも含めて日々店舗を運営していくということに関して、いろいろチャレンジしていた時期だったので必死でした。
──渋谷店を閉めたあとは、どのようなお仕事をされたんですか?
小松:2010年12月にローソンの子会社となります。その後、すぐに出店攻勢へと舵を切りましたので、改めて店舗出店、運営に携わっていました。
──CDがなかなか売れない時代になる中、再び出店攻勢をかけたのはなぜでしょうか?
小松:ローソンもリアル店舗で商売をしているので、リアル店舗の役割や大切さをわかっていただいていたからだと思います。また、もともとローソンはエンタメに強く、お互いの強みを生かしたシナジーを追及することで、商材の幅を広げたり、限定商品や限定特典なども多く実現していますし、その結果、お客さまを再び店舗へ呼び戻すことができ、店舗数もV字回復することができたように思います。
アナログレコード復活の機運とHMV record shop 渋谷オープン
──そして、2014年にHMV record shop 渋谷をオープンしますが、これはどういうきっかけでオープンすることになったんですか?
小松:新たな事業領域の拡大を検討している時に、“中古”というキーワードが出てきたのがきっかけです。とはいえ、ただ単純に“中古商材”をいきなり当社が扱うだけでは、なかなか厳しいだろうと思ったので、まずは我々が持っている専門性を活かした形で。また、ちょうど海外で再評価されていたアナログレコードを中心にやってみたらいいんじゃないか?ということで、会社に提案しました。
──提案した段階で、すでにアナログレコード復活の機運があった?
小松:はい。国内においてはまだ芽が小さかったと思いますが、アメリカでもヨーロッパでもアナログがすごく伸びているというニュースを何度も目にしていましたから。
──その時点でどこまでの成功を確信していたんですか?
小松:正直申しますと、ここまでとは想像できていませんでした(笑)。ただ、ありがたいことに、レコードショップ事業を立ち上げるにあたって、いろいろな要素が同時にかみ合ったと申しますか・・・。例えば、その年にパイオニア様が30年ぶりにターンテーブル(PLX-1000)を発売されましたし、前年のRECORD STORE DAYの盛り上がりなど、いろいろな角度から機運の高まりを感じていました。
──90年代のアナログブームはDJやクラブミュージックと密接に繋がっていたと思うんですが、今回はそうではないわけですよね?
小松:もちろんそのようなお客さまもいらっしゃいますが、違うきっかけのお客さまもいらっしゃいます。例えば、私もサブスクをよく聴いているんですが、やはり聴いてすごくよかったものってなんらかのパッケージが欲しいと思っちゃうんですよね。そういう若年層のお客さまが増えてきていることもありますし、ちょうどHMV record shop 渋谷のオープニング記念として大貫妙子「SUNSHOWER」や間宮貴子「LOVE TRIP」など、いわゆるシティポップの名盤と言われている作品を再発させていただいたんですが、これがすごく反響があったんです。こういった再発作品から入られるお客さまも要素としてはすごく大きかったのかなと思います。
──やはり自分が感銘を受けた作品は手元に置いておきたいという感覚なんですね。
小松:それは昔から変わらないんだと思います。90年代の渋谷ってレコード村みたいな言われ方をしていましたが、当時のお客さまたちが1回レコードから離れて、HMV record shop 渋谷のオープンの頃にまた戻って来られたというか、再びアナログを買いだした方も多くいらっしゃいます。そういったいろいろなニーズや環境、お客さまなどの要素が絡み合って、今のアナログの盛り上がりができてきたのかなと思います。
──みなさん新譜をアナログで出すようになりましたよね。
小松:やはりこれも海外が早かったですね。HMV record shop 渋谷がオープンした2014年当時、海外のレコードショップを視察に行ったのですが、当時すでに、アナログとカセット、CDを同じ場所で展開していましたからね。
──最初、HMV record shop 渋谷の店舗をレコードで埋めるというのは大変な作業だったんじゃないですか?
小松:はい。オープンの8月2日まで、準備期間は半年もなかったので、正直地獄のようなスケジュールでしたね(笑)。オープン時の在庫が約8万枚でしたから。
──特別な調達ルートを持っていたわけでもなく?
小松:はい。しかも当時はお客さまからの買い取りという仕組みもまだなかったので、基本的には、ほとんどの在庫を海外からの買い付けで賄いました。
──主な調達場所は?
小松:アメリカとイギリスですね。その2か所をメインにしました。
──買い付けには小松さんも行かれて?
小松:もちろん自分でも行きましたし、当社のスタッフにも行ってもらいました。とにかく手分けをしないと間に合わないんですよね。立ち上げ時のスタッフは20人くらいだったんですが、買い付けに行く人、査定をする人、データ登録をする人とか、みんなで手分けをしてやったという感じです。
──基本は中古ですか?
小松:はい。基本中古ですね。もちろん新品も仕入れさせていただきましたが、オープン当時は、まだ新譜のリリース自体がそんなになかったと思います。中古7:新品3くらいの割合でした。
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