第208回 株式会社CLOUD ROVER 代表取締役 / 「見放題」主催 髙橋“民やん”祐己氏【後半】
今回の「Musicman’s RELAY」は渋谷O-Crest 店長 / ライブイベント「MURO FESTIVAL」主催 室 清登さんのご紹介で、株式会社CLOUD ROVER 代表取締役 / 「見放題」主催の髙橋“民やん”祐己さんのご登場です。
ライブハウスへ通い始めた大学時代にバンドスタッフとして活動を開始した民やんさんは、サラリーマンになっても毎晩ライブハウスへ通い続ける日々を過ごし、のちに個人イベンターとして数多くのイベントを主催します。2008年にはサーキットフェス「見放題」を立ち上げ、2012年に脱サラ。2015年には株式会社CLOUD ROVERを設立し、「見放題」の主催とともにインディーズレーベルの運営やマネジメント、ライブ制作、専門学校講師業など、その活動は多岐にわたります。
2015年からは「見放題」を東京でも開催し、「TOKYO CALLING」など年間5本のサーキットフェスを主催する、 “日本一サーキットフェスに詳しい男”民やんさんに、ご自身のキャリアからライブハウスシーンの現状、そして音楽業界を目指す人たちへのアドバイスまで、たっぷり話をうかがいました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、長縄健志 取材日:2023年9月20日)
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第208回 株式会社CLOUD ROVER 代表取締役 / 「見放題」主催 髙橋“民やん”祐己氏【前半】
「『見放題』は有望な新人がたくさん出てくるサーキット」という評価の高まり
──とにかく会社を辞められて、いわゆる給料のない世界に踏み込んだわけですね。
髙橋:そうですね。それで「どうやって生きていくか」ということを考える中で、「見放題」という軸でどうやって儲けるかも考えましたし、個人でイベントもやりました。例えば、月曜日・火曜日限定でライブハウスを4、5万で安く借りて、「それ以上の黒字はドリンク代以外全部ください」みたいなことをしたり。でも、ライブハウスの人は月曜とか火曜日を埋めてくれるんだったらうれしいんですよ。そこに人が入らないイベントを無理やり組むんだったら、僕らに貸したほうがいいという。
──人が入りづらい月曜や火曜という悪条件を逆手にとってイベントをやると。
髙橋:そういうことですね。あるイベントではまだ無名のKANA-BOONとかを呼んで、動員10人でもライブハウスの人は「10人も呼んでくれたのかよ」みたいな(笑)。
──10人で?
髙橋:はい。「10人も呼んでくれてありがとう」って。あとフレデリックとかその世代のバンドが「見放題」に出るようになっていくんですが、次第に世間の人から「『見放題』に出ているバンドがすごい」「だから『見放題』もすごい」みたいに言われるようになりました。僕らはそう思っていないんですが、偶然そういった良いバンドが一緒の時代にいてくれたんですよね。
──その「見放題」の評価が高まってくるのは何年頃ですか?
髙橋:2013年ぐらいからですね。2013〜16年とか今のメインストリームにいる関西のバンドが新人として「見放題」にたくさん出てきて、「『見放題』というサーキットはいい新人がどんどん出てくるサーキットだ」みたいな見方をしてもらえたんですよね。
──そういう若手とともに「見放題」も歩めたということですね。
髙橋:はい。当時僕だけじゃなくて、ほかにも個人で勢いのあるイベントをやっている同い年のやつらがいて、例えば、オニオンナイトというDJ集団も4つ打ちで踊らせるバンドをいっぱい集めたイベントをたくさんやっていて、すごかったんです。最終的に彼らはRUSH BALLのクロージングDJをやったりしたんですが、彼らってサラリーマンなんですよね。
──民やんさんと同じですね。
髙橋:そうなんですよ。そいつらもスーツのままライブハウスに来ている人たちでした。あと、今キュウソネコカミのマネージャーやっている「はいから(中野晶夫)」という人がいて、彼もFMWというイベント・・・これ「ファッキン・ミナミ・ホイール」の略なんですけど(笑)、そういうイベントをやっていたんですが、彼も普通のサラリーマンだったんです。ですから同い年のスーツでライブハウスに来ていたサラリーマンが、大阪でかなりデカいことをやっていて、それが関西のブームを作っていたんですよね。これは間違いないと思います。
──言い方は悪いですが、素人がそれぞれ有名なイベントをオーガナイズして。
髙橋:そうなんです。全員素人でなにも怖くないので好き勝手やっていたんですが、それが次第にオーバーグラウンドへ繋がっていくことになります。はいからは、キュウソネコカミをサラリーマン時代に見つけて、一緒に脱サラしてビクターに行きました。オニオンナイトをやっている「しげ」というやつはずっとサラリーマンをやっているので、最近は年に1回くらいしかイベントをやっていないんですが、今でも交流はあります。
──会社員を辞められて、「見放題」やイベントのほかにどのようなことをやったんですか?
髙橋:他にはアーティストのマネージメントや放送芸術学院という音楽の専門学校の講師ですね。
──専門学校ではどのようなことを教えているんですか?
髙橋:ライブ制作を教えています。他にも学園祭のブッキングの仕事をしたり、こまごまとしたものはあるんですが、やはりサーキットが一番大きいと思います。
──でも、サーキットは1年中やっているわけではないですよね?
髙橋:そうですね。これは説明するのが難しいんですが、僕は純粋にサーキットでどうやったら利益を上げられるかを死ぬ気で考えたんです。その結果、今までやってきた方や業界の方からの批判もあるんです。
──どういったことに対して批判があるんですか?
髙橋:言ってしまうと、サーキットをライブハウスの人と主催の僕と、ボランティアのスタッフだけで成り立たせることによって、いったら人件費をゼロにしたんです。大人がサーキットをやると多分人を100人、200人は雇わないとダメなんですが、それをゼロにする。アーティストもいったら新人なので、ギャランティを支払わなくてもいいアーティストも多い。もちろん払っている方もいますが。というので、1本のサーキットでどれだけ利益を上げられるかを考えてやった結果、東京と大阪2本のサーキットだけで生活できる仕組みができたんです。
ただ、それを言うと「素人を使ってやりやがって」とか批判する人もいるんですけど、「でもやれてたらよくないですか?」みたいな話だと思うんですよね。固定概念がある人って「それと違うもの」を批判する人が多くて。「別に事件も事故も起こっていないですけど」という感じなんですけど「こうやらないとダメだ」みたいに言われることが多いんですよね。
──単純に言えば、みんなが納得した上で協力してくれたということですよね。
髙橋:そうです。その手伝ってくれる若い子たちが、サーキットを通じて何を持って帰ってもらえるかということもすごく考えました。お金の対価はあげられないんですが、なにをあげられるか、と。そこで「手伝ってくれる人たちは音楽業界に入りたいけれど迷っているんだ」ということを知ったときに、その入り口を作ってあげられたら、その一歩目になってくれたらと考えました。僕も20歳ぐらいのときに業界の人と交流することで広がっていった経験があるので「見放題」がそのハブになればと考えたんです。
──「見放題」のスタッフから音楽業界に入る人も多いんですか?
髙橋:「見放題」のスタッフから音楽業界に入っている人はもう4、50人います。やっぱり悶々とネットだけ調べて、履歴書だけ送っているような人じゃない人を求めている企業さんが多くて、「見放題」がその入り口にもなっているので、なにかウィンウィンな関係が作れているのかなと思っています。
──2015年からは「見放題」を東京でも始められましたが、東京でやる上で東京のほうが大変だったとか、ここがやりにくかったとか違いはありましたか?
髙橋:そもそも自分が住んでいない街ですし、ライブハウスとのつながりも薄かったので、そういうライブハウスさんに対してこちらの熱量を伝えるのが一番難しかったですね。
──企画してすぐにできたんですか?それとも何年かかかった?
髙橋:いや、すぐにできたんです。行ったことも使ったこともないライブハウスさんにもお願いしたんですが、みなさん快く貸してくださって。それは大阪での「見放題」の実績があったからだと思いますが、とはいえ本当に人も知らなければ会場も知らないようなところもお借りしたので、そこが一番心配でした。特に新宿の歌舞伎町でやってしまったので(笑)。大体スタートは下北沢なんですけど、下北沢には自分の仲間のツネ(森澤恒行)が「下北沢にて」というサーキットをすでにやっていましたしね。THEラブ人間は2011年の「見放題」に出てもらっているんですけれども、バッティングするのは申し訳ないなと思ったので、あえて違う場所でやるよと。
──ちなみに元パートナーの潮大輔さんは、いつ頃亡くなられたんですか?
髙橋:2014年です。飲み屋でご飯を食べていたときに、突然、脳梗塞で倒れてそのまま。
──おいくつだったんですか?
髙橋:37だったかな?僕の1個上だったので。彼は僕の2倍ぐらい身体がデカくて、お酒はほとんど飲まなかったんですが、コーラばかり飲んでいたので、そういう食生活がダメだったみたいです。ただ、みんな大ちゃんがコーラ好きなのを知っているので、葬式の祭壇がコーラで埋め尽くされていました。「大ちゃんはコーラだよね」みたいな。
──民やんさんにとって、潮大輔さんってどんな存在でしたか?
髙橋:そこまでは2人でずっとブッキングしていたので、それはそれで面白かったんです。違うものを出し合って2人で勝負している感じで。バンドにも「民やん派」「大ちゃん派」みたいに言われて、「あいつらに負けんなよ」「俺たちのほうが動員集めるぞ!」みたいに2人でプロレスをやっていたんですよね。だから世間からは本当に仲が悪いと思われていたんです(笑)。SNS上でも「民やん早く連絡返せ!」みたいにやりあっているんですけど、実は裏ではすごく密に連絡を取り合っていたみたいな(笑)。
──(笑)。潮大輔さんが亡くなったことも、東京で「見放題」をやり始めるきっけかになっているんですか?
髙橋:実は「東京でもやろう」と話し合っていたタイミングで亡くなったんですよ。2014年の秋に亡くなって、2015年の春に1人でやりだしたので、すごくプレッシャーがありましたね。
──ちょっと心細いですよね。しかも知らない土地に来て。
髙橋:そうですね。いきなり1人で。大ちゃんはやっぱりセンスがありましたし、2人じゃないとできないと思っていたので「1人になってどうなるかな?」という気持ちはありましたね。僕は保守派で、彼は面白いことをどんどんやるタイプで、そのバランスがよかったんです。でも、僕が大ちゃんの積極的な部分も担わないといけなくなったので、そのスイッチを切り替えるのが最初は大変でしたね。
サーキットのことだったら誰にも負けない
──インディーズのバンドって、常にサーキットが成り立つぐらいたくさん出てくるんですね。
髙橋:さきほどの「どうやって生きているのか」という話にも繋がるんですが、どうやって生きていこうかと思ったときに、「どこに隙間があるのかな」と考えたんですよ。個人ですからすごく大きなことはできないですが、一番若手の層が空いていたというか、ここだったら自分でも面白いことができるんじゃないかと思ったのが入り口だったんです。ですから誰よりもインディーズバンドに詳しくなろうと思いましたし、ライブハウスはもちろんのことネットやSNSを含めてインディーズバンドを探しまくって、そういうバンドを一早くプッシュするイベントをやる人になれば、生きていけるんじゃないかというのが根本にあります。当時はマネタイズをどうしようかまでは考えていなかったですけど。
──日本一のインディーズバンドの応援団長というポジションになろうと。
髙橋:ええ。新人を一番最初に呼んでいる人みたいな感じですね。
──そして、民やんさん自身も上京されるわけですが、なぜ上京しようと思ったんですか?
髙橋:大阪でやれることは全てやったと思ったからですかね。刺激がなくなったというか、新しい出会いとかがあまりないなと思って。それはだいぶ前から思ってはいたんですけど、一緒に面白いことができる人が多い東京に行ったほうがいいなみたいな。
──「一緒になにかやりましょう」と言ってくれる東京の人が多かった?
髙橋:そうですね。大阪にいる時代から東京に来たときにすごくウェルカムな人が多かったですし、「見放題」や僕のことを面白がってくれる人が多かったですね。
──ただ東京に出てきたら、家賃を払わなきゃいけないわけですよね(笑)。
髙橋:そうなんです(笑)。いままで家賃を払っていなかったので、人生で初めて払ってみようかなと(笑)。この歳になって初めて家を借りるみたいな。「あ、そうか、カーテンないんだ」とか(笑)。
──冷蔵庫もテレビも全部買わなきゃいけない(笑)。
髙橋:僕は好きなことをやりすぎて、この歳まで独身なんですけど(笑)、今だに「バンドマンの友だち」的なスタンスでやっていることに対して、それを好いてくれる人もいれば、「この歳までなにやってねん」という人もいると思います(笑)。
──どう思われようが知ったこっちゃないですよね(笑)。ただ、自分の年齢が上がっていっても、新人バンドは相変わらず20歳前後の人が多いわけですよね? そのギャップとか感じますか?
髙橋:それはありますよ。打ち上げに残って酒を飲んでいるのは全員20歳で、僕1人45歳だったとき、冷静になって考えたら怖いですよね。でも、若い子はそう思っていないというか、同じ空気でやっている子が多いんですよね。僕がやっているのは若手を見つけていくイベントなので、何年かすると卒業していってもらわないと逆に困るんです。売れていって大きくなって、卒業していって、また次を見つけるの繰り返しなので。それが大変というか、あぐらをかけないというか、売れているバンドだけをずっと呼んでいる人にはわからない大変さかと思います。
──例えば、メジャーなどに巣立っていったアーティストを同窓会的に集めて、大きなイベントをやってみたりとか、そういう欲求みたいなのはないんですか?
髙橋:欲求はあるんですけど、会場を抑えて全員の事務所さんに断られたときのダメージとか考えると・・・(笑)。当然、お金を払うのはいいんですが、「20周年なんで出てよ」と言って「無理です」と言われたら心のダメージが(笑)。
──(笑)。
髙橋:みなさんのスケジュールもありますし、そう簡単じゃないのもわかっていますしね。「大きな会場を借りて同窓会やらないんですか?」とは本当によく言われるんですが、それは僕のエゴかなと思うんですよね。まあアーティストは喜んでくれるのかもしれないんですが「お客さんはあまり関係ないな」と思いますし、僕の一番の強さは「ブレずにやり続けること」だと自覚しているんです。うまくいくとどんどん変わっていく人が多いですけど、僕は変わらずなので。
──言ってみれば、大学生のときから同じことをずっとやっているわけですものね。
髙橋:本当にそうなんですよ。あとサーキットに関して言うと、サーキットのことを1年中考えている人は多分この世の中に僕しかいないと思います。ほとんどの人はほかの仕事をやっていて、たまにサーキットをやるんです。極端なことを言えばMINAMI WHEELさんもそうなんです。でも、僕はサーキットのことを1年中研究しているので「サーキットに関しては日本一だ」と思っているんです。
──サーキットだったら誰にも負けないと。
髙橋:サーキットだったら勝てると。年にサーキットを4本やっている人なんて誰もいないので、「あ、これだったら日本一になれるやん」って。「この種目いける」みたいな感じなんですよね。
──では、今後もサーキットを突き詰める?
髙橋:そうですね。だから日々、動員や各会場の状況など全てを分析しているというか。もう趣味なんですけどね(笑)。単に好きなだけなので。
──それだけやっていると、いろいろなことが見えてくるわけですよね。成功の黄金律というか。
髙橋:そういうノウハウはいっぱいありますし、サーキットが始まる前にアーティストのライブを全部観に行っているので、どの規模の会場にすればいいのかも全部わかっています。
サーキットって今日本中でやっているので、アーティストを集めたら簡単にできると思っている人が多いんですけど、イベントにどうブーストをかけるかとか、やらなくてはいけないことがたくさんあるんですよ。
──今後、新たなサーキットの計画はあるんですか?
髙橋:来年、「見放題」を名古屋でやろうと思っています。名古屋にもたくさん仲間が増えたので。
──名古屋は、東京・大阪にくらべたら規模は小さいんですか?
髙橋:小さいですね。でも今、名古屋のインディーズシーンはすごく面白いんです。結局シーンが面白くなると、お客さんがどんどん増えてくるので、そういう人たちに面白いものを見てもらいたいなと思うんですよね。
ライブハウスには若い世代がどんどん増えている
──室さんが、今ライブハウスに初めて来る若い世代がどんどん増えているとおっしゃっていたんですが、これは本当なんですか?
髙橋:本当です。2020年春、コロナ過になって、それなりに売れている方はライブができなかったんですが、インディーズは9月頃から小さい箱でライブをやりだしたんですよね。そうしたら若い子たちはライブハウスに怖がらずに来ていて、そのシーンが今も続いているんです。本当にそのシーンのお客さんの増え方は尋常じゃないです。
──下北のライブハウスとかの客入りもだいぶ上がっている?
髙橋:上がっています。20歳ぐらいのバンドが1,000人、2,000人入れちゃいますからね。今までそんなことなかったんです。コツコツ頑張っていって、5〜6年でそういうところにたどり着くのが、今は1年で達成しちゃうバンドがたくさんいます。僕らもそのシーンと一緒に今やれているので、ありがたいなと思います。
──今、ライブハウスシーンがブレイク中なんですね。
髙橋:ブレイクしていますね。2月もイベントをやらせてもらったんですが、若いバンドだけで東名阪のZeppをソールドしたんですよ。コロナ以前には想像がつかなかったことが、今起こっています。
──今後もそういったイベントをやっていく予定ですか?
髙橋:はい。今まではサーキットだけやっていて、それだけでいいやぐらいの感じだったんですが、今イベントが本当に面白いので、もっとイベントをやっていこうと考えています。まずは、先ほどお話した東名阪ツアーを春夏秋冬やろうと思っていて、夏は8月に東名阪を同じバンドで回るというのをやって、秋も11月にやるんですが、それも全会場ソールドアウトしています。
──出たいと言ってくるバンドも多い?
髙橋:多いですね。昔からのイベントというのはあるんですけど、新しいイベントは今そんなにないですし、その昔からのイベントも、評価がコロナで一旦リセットされたので、ここから面白いことをやったものが勝てると自分の中では思っているんです。ですから、今の若い子たちに「見放題」を浸透させるために、サーキットだけでなく面白いイベントをたくさんやろうというのが、今考えていることですね。
──単純な疑問なんですが、SNSの影響の他に若い人がライブハウスに回帰している要因にはなにがあるんですか?
髙橋:「生を見てみたい」という欲求じゃないですかね。そこまでたどり着いている子が今多いですね。コロナ前までライブハウスに来ていて、いっぺん行かなくなって、その暮らしで暮らせている人はもう戻る必要がないじゃないですか? それで戻ってこない人は多いと思うんです。でも逆に今来だした子は、どんどん行きたいという欲求があるんです。いろいろなエンタメがありますけど、その中でライブハウスを選んでもらえているのはありがたいですけどね。
──ストリーミングは好きなものをいつでも聴けるけど、ライブというのは労力を払ってそこに行かないと観られないじゃないですか?だから余計に観に行きたくなるような気がします。
髙橋:そうですね。でもその入り口はやはりSNSやストリーミングですね。
──ストリーミングなどで聴いて「これ生で観たいよね」という、そういう発想ですか?
髙橋:そういう流れですね。今ライブハウスシーンで、そこに気づいている人たちは面白いことをできていると思いますね。
──とはいえコロナ過では民やんさんも大変だったわけですよね。
髙橋:助成金がなかったら大変でした。僕は「助成金マスター」と言われるくらい色々調べて、助成金という助成金をもらいまくったんですが、その助成金でライブハウスのため若手のイベントをいっぱいやったんですよ。で、「あれ?ここら辺のお客さんは減るどころから、増えているじゃん」とかなり早い段階で気づいたんです。そこに気づけたのって本当に僕らぐらいだったと思うんです。
──真っ先に気づいた。
髙橋:真っ先に気づいたと僕は思っています。だから恐れずにイベントをバンバンやって、その結果が今に繋がっていると思っています。言ってしまうと、この3年でZeppソールドまでいけるアーティストたちと出会えたんですね。最初に出会ったときは本当に5〜10人しか呼べなかったのに、たった2年でそこまでくるというのが、今の時代のすごさなんですよね。
──2年でZeppソールドアウトですか。
髙橋:2022年の秋に音源で出会った結成1年弱のバンドがいるんですが、来月の僕のイベントの動員は400人ぐらいあると思います。こんなのもう昔じゃ絶対にあり得ないことだと思いますし、スピード感が昔とは全然違うんですよね。
──昔は10年かけてやっとそれなりにという人がいっぱいいましたよね。
髙橋:そうなんです。でも、こういうバンドがボンボン出てくる時代になったので、ライブハウスシーンとしてはありがたいんです。初ライブからお客さんがいるみたいな。昔は友だちを呼ぶしかなかったのに、今はSNSでどんどん人が集まってくる。もはや僕ら関係者より、一般の人が一番早いですよ。初めてライブをするのにお客さんがもう30人いるんです。この子らが一番情報をキャッチするスピードが早いです。
そういう時代になったので、順序が変わりました。昔はライブハウスってアーティストに出会いに行く、見つけに行く場所だったんです。でも、今は気になるから観に行って、そこで好きになる。つまりライブハウスに確認しに行っているという感じなんです。いいと思っているから観に行って、そこで本当に好きになるか「あ、これぐらいか」となるか、みたいな。
──不動産情報サイトでの物件探しに似ていますね。
髙橋:そうそう。不動産屋で出されたものから選ぶじゃなくて、不動産の情報サイトを見て、見つけたものを直接内見して確認すると。だからサーキットも変わってきていて、サーキットって昔は全部観て、好きなものに偶然出会えばいいという人が多かったんです。関係者でもいまだにそう思っている人がいますが、今の若い子たちはもう確認し終わっているものしか観ないんですよ。
彼らは、確認するバンドがいなかったら、その時間はお酒飲んだり、ご飯を食べに行くので。僕らの気持ちとしては他のライブも観に行ってほしいけど「この時間は全部知らないのでいいです」みたいな。
──お目当てのバンドだけを観る?
髙橋:そうです。事前に気になっているバンドの音源を聴いてチェックしていて。
──その情報の発信は各アーティストが自分たちでやっているということですか?
髙橋:そうですね。でも偶然キャッチしている子も多いですよね。TikTokなんかはその最たるもので、勝手に流れている音楽をみんなキャッチしているので。僕らもインスタで流れている広告のものを買っちゃったりするじゃないですか? それと同じ感覚だと思います。そこに流れてこないものは、検討の対象にすらならないというね。
──先ほどの「最初の30人」というのは、やはり若い人なんですか?
髙橋:若いです。女の子が多いですよね。そういう子たちが一番TikTokとか観ているんだろうなというのはわかりますし、そこから口コミがどんどん広がっていっている感覚はあります。
──虫眼鏡で火を起こすみたいなことをやってくれていると。
髙橋:そうですね。ですからライブハウスシーンとしては今が一番面白いし楽しいことができるかなと思いますので、自分はイベントをどんどんやっていこうと。だからといって変わったことをやろうとは思っていなくて、自分が得意なことをやっていこうと思っているんです。自分は本当に得意なことしかできないので。
──それはみんなそうじゃないですか?
髙橋:でも、いろいろなことをやりたがる人っているじゃないですか? 僕は全然できないので、そういう人に憧れはあるんです。すごいなという。勉強も今さらしたくないですしね。
──短所を克服しようとは思わない?
髙橋:僕は思わないです(笑)。本当はカメラとかもやりたいんですけど、カメラの使い方を覚えるのすら嫌なので「じゃあ得意な人にやってもらったらいいや」と。で、サーキットは得意なので、どんどん得意になろうと思っているという。
──それはなかなか含蓄のある言葉ですね。
髙橋:ラジオ局の人とかがイベントをやるんですけど、「ラジオ局じゃん」って気持ちになるんです。批判になるからあまり言えないですけど(笑)。でも、やってくれたらいいんですよ。僕はそれを本業で、本気でやっているから勝てるんです。
──俺はラジオをやらないけど、という。
髙橋:そうそう。別にやるなと言っているわけでは全然なくて、僕はこれしかやっていないので、そこで強くなるのがいいなと思っているだけです。
音楽業界に入るには行動あるのみ「ライバルが少ないところへ行こう」
──専門学校の先生はまだやられているんですか?
髙橋:やっているんです。上京することもありましたし、ちょうど2022年で10年やったので「10年やったので辞めさせてください」と言ったら「月1でいいからやってください」と言われたので今は月1でやっています。
──月一回は大阪に戻られるわけですか?
髙橋:そうですね。交通費も出していただけますし、それに合わせて大阪の仕事を入れたりできますからラッキーだなと思いますけど(笑)。あと業界に入ってくる生徒たちもいっぱいいるのでありがたいなと思いますし、そういう若い子を育てるみたいな、仕事半分、使命半分みたいな感じですかね。
──「音楽業界に入りたい」という生徒さんたちにはどんなアドバイスをされるんですか?
髙橋:「行動しかないよ」と言っています。Qsicmanをやられている会社の方に言うのはあれですけど(笑)、履歴書を書いて面接を受けてというのはハードルが高いじゃないですか?そこに載っているということは、いろいろな人が応募してくるわけで、そこから勝ち抜くって大変だと思うんです。
──競争率は高いですよね。
髙橋:なんでそんな大変なことをやるの?と僕は思うんです。僕はそうじゃないことをやったほうが入り口はあるよと思っているタイプなので。ですから若い子には行動して動いてほうが、絶対いいことあるよと言っています。もちろん履歴書を送るのもいいと思いますし、そこで通れば一番いいですけど、やれることはそれだけじゃないよと言っています。
──というかあらゆる行動が必要なんじゃないですか?
髙橋:考えているだけで「音楽好きです」しか言わないので。「えっと、みんな音楽好きだよ」って(笑)。それは武器にならないよという話はしますね。
──音楽業界を目指しているのに、音楽を嫌いな人ってあまりいないですよね(笑)。
髙橋:そうなんですよ(笑)。「自分の中になんの武器を作るかを考えなさい」という話です。僕は動画編集も画像編集もなにもできないけど、ライブハウスにたくさん行くというのと、インディーズバンドやサーキットにメチャクチャ詳しいという武器を作ったら、いけたよみたいな。僕は人と違うことをやるほうが絶対にいいと思っているんです。
──つまり混んでいる車両には乗るなと。
髙橋:僕は人と違うことをやったほうが目立つと思って生きてきたので(笑)。もちろん、そういうことが苦手な人もいると思うんです。音楽が好きな子はシャイな子が多いので、その気持ちもわかるんです。でもどこかで踏み出さないとダメだと思います。
僕は20歳のときに1回踏み出せたので、その後はどんどん踏み出せたんですが、やはり1歩目を踏み出せない子が多いので、その入り口が「見放題」だったりすればいいなと思っています。別に「見放題」に来たからといって即、音楽業界で働けるわけじゃないですが、この「見放題」という得体のしれないところに応募してきて(笑)、1日一緒に運営するってすごく大きな一歩だと思うんです。
その次どうするかは自分で考えなくてはいけませんが、まずは動くことが大切なんだと気づいた子は、その先へどんどん進んで行ってくれるんですよね。この前、久しぶりに会った子は今ソニーにいるんですが「何歳になった?」と聞いたら「29です!」「29かあ。出会って10年も経つのか・・・」みたいな(笑)。そういう再会はすごく嬉しいんですけど。
──その第一歩目の重要さを説く民やんさんは、自分が会社を辞めるのは遅かったですよね(笑)。
髙橋:そうそう(笑)。自分が遅かったからこそ早く伝えてあげたいんです。だからアドバイスの最後に僕は「俺は全然できなかったけどね」という風に言うんですよ(笑)。自分は本当にできなかったですし、インターネットを見たってなにも情報がなくてわからなかったんですけど、今はこのリレーインタビューとか、そういうのが読めるじゃないですか? で、読んでみると多くの先輩たちが、わけのわからない入り口からこの業界に入っているという(笑)。もちろん履歴書を送って、面接を通りましたという方もいらっしゃいますが、そうじゃない人の方が多いと思うんです。だから「そんなもんだよ」と伝えたいですね。
──商社や銀行に入る試験とは違うわけですしね。
髙橋:だから大学生の方がちょっと大変ですね。大学まで行っちゃうと、新卒、正社員になりたいという。親的にもならないとダメだとなっているんです。でも音楽業界ってそのタイミングじゃなかったりするじゃないですか? とりあえず入り込んでから1年後とか2年後に社員ということも多いですから。
──ちなみに民やんさんのご両親は就職に対して「正社員じゃなきゃ」みたいなことは言っていましたか?
髙橋:もちろんありました。うちの両親はザ・昭和の、しかも、ちゃんとしすぎている両親なので「正社員以外はおかしい」「そんなの親戚に言えない」みたいな感じでした。1人でやり出したときも「なにそれ?」みたいな感じだったんですが、「学校の先生」というワードは強かったですね。「先生やっているのか」みたいな(笑)。
──(笑)。
髙橋:だから先生をやってよかったって思いましたね。講師なので週1で行っていただけなんですけど(笑)。とにかく正社員以外はちゃんとしていないみたいなイメージが、昔の方はあると思うんです。
今20歳の子の親が40代だと思うと、「好きなことすれば?」という親も多分いると思うんですが、やっぱり大学まで行っていると「大学まで行っただからちゃんと就職しなさい」という親もいまだに多いと思うので、その葛藤が若い子にはありますね。音楽業界に行きたいけど、正社員じゃないんだったら「やっぱり辞めます」みたいな。「まずはバイトからって言われている」と親に言ったら「大学卒業してバイトなんてやめろ」って絶対に言うので。「頑張れば、すぐに社員になれるよ」とアドバイスするんですけどね。でも、いきなり1軍は無理じゃないですか?絶対に2軍からなので。
──なかなか理解してもらえない部分なのかもしれませんよね。
髙橋:ですから「本当にやりたいんだったら、親とちゃんと話をしなさい」と言っています。親が言う理由もわかるけど、自分がやりたい理由も正面から言えば、と。
──民やんさんご自身は、今はご両親も仕事に関して理解してくれているわけですよね?
髙橋:もちろん。これで食えているので(笑)。ただ一度も音楽業界の会社で働いていない僕のような人ってほとんどいないと思うので、だいぶ変わりものだとは思います。
──入れてくれないから自分で居場所を作っちゃう人も、この業界には多いですよね。
髙橋:多いですよね(笑)。なんでライバルが多いところで戦おうとするのって思うんですよね。「ライバルが少ないところへ行こう」といつも言っているんですけど。僕はずるがしこいので(笑)。
──それはごくまっとうなアドバイスですよね。
髙橋:今の若い子は真面目にやっている子がちょっと多いですよね。あと、正解があるものしか動きたくないというか、答えが見えそうなものに対しては動くんですけど、答えがまったく見えないものに対しては行動できないというか、そういう子が多いですね。
──音楽業界って実は参入障壁が高いですよね。外から見ると中がどうなっているのかがわかりづらいですし。
髙橋:でも、入っちゃえば努力次第でどこにも行けるし、どこまででも上も目指せるところなんですけど、入り方がわからなすぎなので、そのヒントをいつも与えているという感じなんです。
──Qsicmanもそういう存在でありたいなといつも思っています。
髙橋:そうですね。あと、このリレーインタビューはみんな読んだほうがいいと思っています。ヒントがいっぱいありますから。何度も言いますけど、まずは行動です。思い悩んでいる時間があったら、なんでもいいから行動しようと若い人たちにこれからも伝えていきたいですね。