第211回 カメラマン 橋本 塁氏【後半】
今回の「Musicman’s RELAY」は株式会社ジャパンミュージックシステム / WIRED ReCORDS 猪股洋之さんのご紹介で、カメラマン 橋本 塁さんのご登場です。北海道で生まれ、小6から中3までインドニューデリーで過ごした橋本さんは、ジーンズのパタンナーとして就職するもHAWAIIAN6のライブをきっかけに、24歳のときにカメラマンへ転身。雑誌『ollie magazine』の社員カメラマンを経て2005年にフリーランスに。名刺代わりの写真集『LOVE』を自費出版します。
その後、2006年から自身の写真展&ライブイベント「SOUND SHOOTER」を定期開催しながら、ONE OK ROCK、FOMARE、ストレイテナー、the band apart、HAWAIIAN6、THE BACK HORN、Nothing’s Carved In Stone、THE BAWDIES、androp等のオフィシャルライブ、アーティスト写真を担当されます。また、DOTブランド「STINGRAY」のプロデュースなど、幅広く活躍される橋本さんに、驚きの経歴からカメラマンとしての信条までたっぷり話をうかがいました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、長縄健志 取材日:2023年12月20日)
▼前半はこちらから!
第211回 カメラマン 橋本 塁氏【前半】
STINGRAYのコンセプトは「バンドグッズ以上、服のブランド以下の水玉服」
──橋本さんは水玉をコンセプトにしたアパレルブランド「STINGRAY」もやってらっしゃいますよね。始めるきっかけはなんだったんですか?
橋本:僕は昔から水玉の服がすごく好きだったんですが、当時、水玉って女の子のワンピースとか、あとギャルソンとかちょっとモード系には水玉をモチーフしたものはあるんですけど、ライブとかにも着て行けそうなカジュアルなものが全然なかったんです。ですから、そういうのを見かけたら即買っていたんですが、あるとき、ものすごく労力を使っていることに気がついたんです。ネットで探したり、ZOZOTOWNで探したり、ラフォーレを上から下まで回って、水玉の服を見つけたら買ってとか、段々つらくなってきて(笑)。
──(笑)。
橋本:当時ライブ写真を撮るときに大体3台から5台カメラを担いでいたんですが、カメラを変えるときに、よく肘をカメラの上のストロボを付けるところぶつけて血を流していたので、これを防ぐために長めのリストバンドをしていたんです。それで水玉のリストバンドを探していたんですがなくて、仕方なくテニスとかで使いそうなやつを使っていたんですが、肘を曲げたらズレるし「なんか使いづらいなあ」と思っていたんです。それで「もう水玉のリストバンド作ってしまえ!」とブランドを始めました。
──つまり自分が欲しいから作ったと(笑)。
橋本:そうです(笑)。それで、水玉が好きかどうかはわからないですけど、当時よくつるんでいたチャットモンチーのベースのacco(福岡晃子)と、KONCOSというバンドをやっているTA-1に声をかけました。TA-1はデザイン力がすごくて、写真展のグッズとかデザインをお願いしていたんですよ。
──デザインも全部自分たちがやっているんですか?
橋本:はい。クリエイションはすべて自分たちでやっています。パンツに関してはパタンナーをやっていたときの先輩の会社へ行って、先輩に「こういう感じで」と伝えて、生産をお願いしています。
かといって別に本業ではないので、最初は通販だけで販売して、あとは写真展の一画で売ろうと。コンセプトはバンドグッズ以上、服のブランド以下の価格帯かつライブに着て行ける水玉の服で、フェスとかで好きなバンドが3、4バンドいたらどのTシャツ着たらいいかわからない、でも、イベントのオフィシャルTシャツとかじゃなくて・・・という感じのところを攻めたいなと考えました(笑)。
──いいところを突きましたね(笑)。
橋本:当時Twitterが流行り始めたころで「Twitterって面白いなあ」と思っていたので、「Twitterだけで宣伝しよう」と決め、10月10日を「ドットの日」と勝手に制定して、2010年10月10日10時10分に「STINGRAYという水玉だけのブランドを始めます」とメンバー3人が一斉につぶやいて通販をスタートしました。
──無償のPR手段で始めたんですね。
橋本:あと、いろいろなネット媒体と繋がりもあったので、直接電話やメールして「ちょっとニュースに挿し込めないですかね」みたいな感じでやっていましたね、最初は。そこからはもうマイペースに。
──ビジネスとしては成立しているんですか?
橋本:それだけで生活は全然できないですけど、赤にはなっていないです。立ち上げ当初から「とにかく卸はしないようにしよう」「流行らないようにしよう」と話し合っていました。流行ったらいつか廃れますし、ずっと流行らないで好きな人だけが買ってくれるようにしようと考えていました。
──欲しい人にだけ直接売ると。
橋本:そうですね。北海道の片田舎に住んでいた僕がそうだったように、東京へ来られない人には通販でという。自分は通販しないのに(笑)。
──(笑)。
橋本:それ以外は写真展やSTINGRAYのポップアップショップで売って、5周年、10周年のタイミングではラフォーレ原宿や大阪・阪急うめだ本店で販売したりもしました。ただ、ファッションを本気でやっている方に失礼だと思うので、僕はあまりブランドと言いたくないんです。
──さっきおっしゃっていたようにアーティストグッズとブランドの真ん中ぐらいの、でも人とは違ったものを着たいなというイメージでしょうか。
橋本:そうですね。今ってどこでも誰でもなんでも買える時代じゃないですか?だからこそ逆にあまり知られていなくて、どこで買えるかもよくわからなくて、SNSでもそんなにバズってなくてみたいな感じにしたいんですよね。STINGRAYは、インスタとTwitterのアカウントはありますけど、ホームページも4、5年前に「これからSNSの時代でホームページの管理費ももったいないや」と思って無くしました。
17年撮影し続けるONE OK ROCKという希有なバンド
──しばらくお仕事で海外へ行かれていたそうですね。誰を撮影していたんですか?
橋本:ONE OK ROCKです。ONE OK ROCKが9か国10公演のアジアツアーを9月からずっとやっていて、バンコク、マレーシア、シンガポールと丸々1週間行きっぱなしで撮影して、昨日シンガポールから帰国しました。僕はインドに住んでいたので、日本のバンドが海外へ行っているということに対して、小さいときからの異常な喜びがあります。インドにいたとき唯一買えた日本の音楽がハードロックのコンピレーションアルバムの海賊版で、そこにはLOUDNESSと、EZOという札幌のハードロックバンドの曲が収録されていたんです。
──LOUDNESSなんかは海外ですごく人気がありますよね。
橋本:はい。別に子どもなのでそんな大層なことは考えていなかったですけど、「僕はやっぱり日本人だな」とインドに住んでいるときに思いましたし、「なんで日本語のロックや日本語の音楽って海外でまったく売れてないんだろう?」と思っていたんですよね。もちろんYMOや坂本九さんとか過去にはあったのかもしれませんが、あくまでもワンショット的な話題でしかなかったじゃないですか?
──現地の市民に深く浸透したかと言うとちょっと違いますよね。
橋本:あとハードコアとかポストロックは、アジアやヨーロッパにもシーンがあって、ファンは何千人規模で絶対に各国いて、日本のバンドが行ったら絶対みんな来るぐらいの人気はあるんですけども、ONE OK ROCKはもっと広く受け入れられているんですよね。そこがすごいと思います。
──ONE OK ROCKはいつ頃から撮影されているんですか?
橋本:ONE OK ROCKはデビュー前の、新宿ロフトでの初ワンマンから撮らせてもらっていて、もう17年目になります。
──ONE OK ROCKを17年も撮っているんですか。
橋本:そうなんですよ。当時メンバーたちはまだ高校生だったんですが、5日前ぐらいにギターのToruくんが36歳になって「え!?・・・36なの?もう大人バンドじゃん」って(笑)。自分が撮らせてもらっているバンドのなかでは、ONE OK ROCKは圧倒的にビジョンがしっかりしていて、海外でのライブも、最初はアジアの本当に小さい会場からコツコツ始めて、一段一段、階段を上っていたんですよね。
──ちなみに昨日のシンガポールではどんな会場で演奏したんですか?
橋本: 1万1,000人ぐらい入るシンガポールインドアスタジアムというアリーナで、ソールドアウトしています。他も全箇所1万人前後の会場です。
──どの会場も満員ですか?
橋本:もう、びっちりです。フィリピンも6,000人が即ソールドアウトしてしまったので、急遽2デイズになったんです。もともとこのツアーは2020年にやるはずだったのが、コロナで3年延期していたんですよね。最後に海外ツアーへ行ったのは2018年だったのでバンドとしても5年ぐらい経っているわけですが、全部会場がデカくなって、全てソールドアウトした要因はやはりサブスクだったり、YouTubeが以前より普及したからだと思うんですよね。
──ONE OK ROCKはどんどん進化しているんですね。
橋本:もう、その規模感とか観ていて震えます。最初「ELLEGARDENを撮っているカメラマンに撮ってもらいたい」というメンバーの要望でアミューズから僕のところに連絡が来て、どちらかというと彼らのお兄さん的な感覚で撮らせてもらっていたんですが、彼らがどんどん規模感を大きくしていくと立場が逆転するわけです。特に2016年渚園でライブ(「ONE OK ROCK 2016 SPECIAL LIVE IN NAGISAEN」)をやったときに「僕はもうこのバンドの規模感についていけない」「自分のテクニックが全然追いついていない」って思いました(笑)。もちろんアリーナツアーになったらカメラマンも増えてくるんですが、ほかの若いカメラマンがまたメチャメチャ格好いい写真を撮るんですよ(笑)。
──(笑)。
橋本:「うわあ、もうお手上げ!クビ切られる!」みたいな。それで3年ぐらい結構病んでいました。若い子はとんでもない色味や画角で撮りますし、レタッチ力もありますからね。それはカメラマンに限らず、30代後半くらいのバンドマンも、若いバンドを観て「若いのになんでこんなうまいの?」「なんでこんな音楽をクリエイトできるの?」って思ったりすると思うんですよ。それでメンタルの病気になるぐらい悩んで、全然モチベーションも上がらず。
──そんな時期があったんですね。
橋本:メチャクチャありました。まさに前厄、本厄、後厄がそれで、39、40、41は散々な3年間でしたね(笑)。本当に「いつ辞めようかな」と考えていましたし、「ワンオク撮っているカメラマンさんですよね?」と言われるのも、すごくプレッシャーになっていた時期がありました。
──それがいつ頃吹っ切れたんですか?
橋本:やっぱり厄年が終わってから「もうどうでもいいや」となりましたし、今は若手のバンドマンをすごく撮りたいんですよね。かといって、むやみやたらに声をかけたりはしないです。彼らは彼らで若いカメラマンがついていて、一緒にグローイングアップしていくというストーリーが僕はすごく好きなので。
──FOMAREはバンド側から依頼があったんですか?
橋本: 5年前にJMSの鈴木健太郎くんから「塁さんに撮ってもらいたい若手のいいバンドがいる」と言われたんですよ。JMSのバンドは僕のアシスタントが撮っていたので「なんで僕に?」と思ったんですが、鈴木健太郎くんが「いや、いいタイミングかと思いまして」みたいな感じで、それから5年ぐらい密着させてもらっています。
例えば、ストレイテナーやTHE BACK HORNとか僕が昔から撮らせてもらっているバンドは、若手のイケているカメラマンが撮って、ビジュアルを刺激的に変えていったほうがフレッシュになると思うので、若手のカメラマンさんが撮って、僕は意識的に若いバンドを撮るようにしています。
──若いバンドを撮影するのは楽しいですか?
橋本:やっぱり刺激を受けますよね。ただ相手は20代のバンドで、別に僕は大御所ではないですけど、キャリア的には中堅なので、できるだけ年上感を出さずに、一緒にワチャワチャするよう心がけているというか(笑)。そこで彼らが「ELLEGARDENってどんな感じだったんですか?」とか訊いてきたり、「ONE OK ROCKが10代後半のときはこういう感じだったよ」と僕が話すと、彼らにとってすごくいい指標になるみたいなんですよね。ELLEGARDENもONE OK ROCKも最初から売れていたわけではないですが、若い子たちは今の彼らしか見ていないので、「ONE OK ROCKだってメンバーとマネージャーがハイエース1台で全国を回っていたんだよ」と言うと「マジですか?」となるんです。
──下積み時代に併走していた塁さんからそういう話を聞けるのは貴重ですよね。
橋本:僕は、その時代が自分の全盛期だと思っているんです。35、6歳のときが一番忙しくて、一番多いときは年間250本ライブを撮っていましたから、約10年前が自分の体力的にも仕事量としてもピークだと思うんです。そのときにカメラマンの先輩の撮っていたバンドを根こそぎ僕が撮っていたという自負もありましたし、申し訳ないなとも思いましたけれども、今は逆に自分がそういう立場になって、僕が撮っていたバンドを若手がガンガン撮っているんです。でも、それはいい循環というか、新陳代謝は必要だと思うんですよね。
与えられた場所で最善を尽くすのが一番のプロ
──塁さんは、音楽業界で働きたいと思っている若い人に対して、どのようなアドバイスされていますか?
橋本:自分がカメラマンになろうとしたとき、どうやってなればいいかわからなかったですし、どこから探せばいいのか、何を学べばいいかもわからなかったんです。でも、今はネットがあったりインスタあったり、自分から取りにいけば情報なんてたくさん取れると思いますし、民やんの「見放題」のようにボランティアで参加して、それがきっかけで何か繋がったり、昔よりチャンスは多いです。でも、10年前より音楽業界に憧れて「やりたい」という人がメッチャ減ったと思うんです(笑)。
──(笑)。
橋本:本当に減ったと思います。カメラマンは増えているんですけど、減っているのはギターのテクニシャンや照明、舞台監督、レコーディングエンジニアもそうかもしれないですけど、不規則な労働時間や、体育会系のノリとか避けられている印象があります。
──下積みっぽい感じが避けられているんですかね。
橋本:そうかもしれないですね。僕らのときと違って、今はYouTubeを見ればベーシックなレコーディングの方法とか写真の撮り方が全部無料でわかるんです。若手のカメラマンを見ていたら全員レタッチの仕方とかYouTubeとかで特に海外の人たちを見て学んでいますし、極端な話レコーディングスタジオもいらなくなっているわけじゃないですか? でも、それはそれ、なんです。
きちんとしたレコーディングスタジオでエンジニアになりたい人、カメラマンとしてプロでやりたい人、ディレクターになりたい人って、人数は少ないですけど熱量はとんでもないと思っていて、そういう人に対して何か間口というかチャンスは必要だなと思っているので、講演や講座をやった専門学校には「何かあったら言ってください」とは言っています。
──それは弟子をとるとかですか?
橋本:いや、僕は「ライブカメラマンは楽しい」ということを自分の活動を通じて発信するだけで、あくまでもきっかけ作りなんですよね。それ以降の専門的なことは学校なり、もっと本格的なライブカメラマンの弟子にでもなってくれ、と(笑)。
──あくまでも塁さんは入り口であると(笑)。
橋本:そうです。僕って昔からメチャクチャ叩かれるんですよ。「ライブカメラマンのくせにブランドやって」とか「ライブカメラマンのくせにライブイベントとかやって」とか。SOUND SHOOTER 1回目のときも、当時はmixiだったんですが「あいつはなんだ」と大炎上していました。まず金髪にいちゃもん付けられたんですよ。「カメラマンは黒子だから目立つな」とか。でも、僕はお客さんの邪魔にならない動きをしていれば、金髪だろうが水玉を着ていようが問題ないと思っていましたし、あえて水玉を着ているところもあるんです。例えば、北川景子さんや長澤まさみさんがカメラを持っていたら、ライブどころかそっちを見てテンション上がるじゃないですか? 僕も金髪で水玉を着てそういう存在になるしかないなと思ったので。まあ「今日、橋本塁が撮っている!ヤベエ」って思う人も…あまりいないですけど(笑)。
──(笑)。
橋本:別に自己アピールしたいわけではなくて、全然知らない人よりは多少知ってもらえたら許容範囲というか、ちょっとハードルが下がるんです。あと、先ほども言いましたが、カメラマンは格好云々じゃなくて、撮り方で邪魔かどうかは決まります。僕は、お客さんにはまったく邪魔にならない、バンドマンからも邪魔にならないような動きのほうが、ライブ写真が上手いよりも重要だと思っているので。
──あくまでもバンドやお客さんが主体であると。
橋本:大きい現場になればなるほど、前にレールが来てムービーがあったりするじゃないですか?それで喧嘩をしているカメラマンがいるわけですよ。「俺はここで撮りたい」って。でも、それは違うだろうと(笑)。例えば、写真スタジオで、そのカメラマンがイニシアチブを取って撮るんだったら、自由なところから好きに撮ってもらえばいいんですが、ライブは舞監がいて照明がいて、ムービーの収録がいて、で、スチールカメラマンがいるわけで、与えられた場所で最善を尽くすのが一番プロだと思いますし、その現場のレギュレーションに従うことが、写真を始める以前に重要だと思っています。そもそもカメラマンって資格がある職業じゃないじゃないですか?カメラマン1級とかないので(笑)。
──免許証みたいなものはないですよね。
橋本:だからこそ最低限の業界のルールは守らなくてはいけません。例えば、腕章やビブスをきちんと身につけていない人は、もうその時点で写真がどんなに上手くてもプロじゃないと思っています。仕事ってきちんとレギュレーションを守ってからスタートするものだと思っているので、それを破ってどんなに革新的な写真を撮ろうが、僕は相手にしないです。
──カメラマンだけでなく舞監もPAも照明も、プロフェッショナルな人ってそういう部分を大事にされていますよね。
橋本:単に技術だけだったらYouTubeを見たり、本を読んだらある程度のところまでいけるんです。この、ある程度のところからプロフェッショナルへのハードルって実はすごく高くて、その世界で何10年もやっている人というのは、みなさん約束事や決まり事をしっかり守るんです。そういう人たちがプロフェッショナルだと思います。
納期を守るのは当然として、「明日までに写真が欲しい」と言われたら、その前日の夜中に送るとか、そういったことの積み重ねが信用に繋がっていきます。大体同じぐらいのテクニックを持っていたとしたら、あとは「人がいい」とか「優しい」とか「納期が早い」とか「こっちの言うとおりに写真を撮ってくれる」とか「車を出してくれる」とか、そういうことで仕事って来るんです。それってクライアントワークの基本で、自分の意見や自分の撮りたい写真とかを求められたらやりますけど、それ以外はオファーしていただく雑誌の人やレコード会社の人の要望にいかに応えるかが写真以外でも必要なんですよね。
──どんなに写真が上手くても、オファーがなかったら仕事になりませんものね。
橋本:その選ばれる何人かにならない限り、話にならないです。現場に行ってナンボですから。「俺の方が写真上手いのに、なんで橋本塁なんかにELLEGARDENを撮らせているんだ」とか、よく過去にTwitterで書かれていたんですが、バンドのメンバーはもちろんマネージャーさんやディレクターさん、事務所の社長と何度もコミュニケーションを重ねて、信頼関係を築けたから依頼されているわけです。
──フォトグラファー業界にはそういうマインドがない人が多いんですか?
橋本:いや、そんな事は無くて一般常識さえ備わっていればいいと思います。ただ、一般常識が備わっていなくても、とんでもなく才能がある人もいるんです。その人はある程度まではいくんですが、続かない人が多いです。あと時代に左右されると、どうしても流行り廃りに巻き込まれてしまうので、時代に関係なく、きちんと地に足つけて活動している人は強いですね。それはバンドも同様で、例えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONみたいに流行ろうが流行らなかろうが、ブレずに自分たちの音楽をずっとやっているのは、本当にすごいと思いますし、そういうバンドは長く支持されると思うんです。
──確かに一気に売れるとストンと落ちるのも早かったりしますよね。
橋本: BUMP OF CHICKENやスピッツ、Mr.Childrenとか、良い意味で頭がおかしいと思っています(笑)。あの規模感でずっと続けているじゃないですか?やはりマネージメントもしっかりしているんだろうなと思います。どうしても僕はそっちサイドで考えちゃうので「マネージャーさんもすごいんだろうな」と。
ONE OK ROCKもそうですが、出会ったころから今もテンションが変わらないですし、バンド内の仲がいいですし、下積みの頃からのマネージャーさんが今、事務所の社長なので、一蓮托生感がすごいんですよね。規模がデカくなっても慢心せず、ずっとチャレンジ精神を忘れない感じは本当にすごいと思います。
──あれだけのバンドになっても謙虚なんですね。
橋本:ONE OK ROCKのチームに偉そうな人は1人もいないですし、かといってプロフェッショナルとしてちゃんとジャッジするところはシビアにジャッジするし、凄すぎます(笑)。2006年に初めて会ったときに「ELLEGARDENを撮っている橋本塁って言います」と挨拶したら、「僕たち海外でガッツリ売れて、いつかグラミー賞を獲るのでよろしくお願いします!」と言っていたんですが、「あれ本気だったんだ・・・」って今思います。
──やはりバンドが大きくなっていく姿を見るのは嬉しいですか?
橋本:嬉しいですね。今、FOMAREは撮影を始めてから5年経ちますが、最初はO-WESTとかでライブをやっていたのが、2024年の年明けツアーはZepp Haneda 2デイズなので「ここまで来たか」と思いますし、しかもこの5年間の内3年間はコロナだったわけで、「もしコロナがなかったらとっくに武道館へ行っているんじゃないかな」とか、いろいろ思いますけど、それも運命だと思いますし、FOMAREにとってその3年間は無駄ではなかったと思います。
バンドワゴンに一緒に乗って、バンドのストーリーを観ていたい
──ここまでお話を伺ってきて、塁さんはこれから登っていく若いバンドと並走するのが好きなのかなと感じました。
橋本:多分カメラマンというよりは、バンドワゴンに一緒に乗って、バンドのストーリーを観ていたいだけなんです。その役目がたまたまカメラマンだっただけで。
──マネージャーが写真を撮っているみたいな。
橋本:そうですよね。僕の一番のライバルは、ライブカメラマンではなくて写真が大好きなマネージャーだと思っているんです。マネージャーって四六時中一緒にいるわけじゃないですか?ずっと会話をしていますし、ミーティングも絶対にいますしね。そういう意味で「そりゃ売れるわ」と思うのは、カメラマンの西槇太一くんですね。太一くんは10歳くらい年下なんですけど、彼ってもともと凛として時雨のマネージャーだったんですよ(笑)。
──まさに一番のライバルですね(笑)。
橋本:彼はカメラマンになるかマネージャーになるか悩んで、凛として時雨のマネージャーになったんですが、マネージャーを8年やって、1年間スタジオで修行をして、しっかりテクニックを身につけてからフリーのカメラマンになったんです。つまり業界のことはわかるし、写真の勉強をしているし、彼は完ぺきな流れでカメラマンになっているので「それは売れるわ」と思いますね(笑)。現に彼はサザン、桑田佳祐さん、福山雅治さんなどアミューズ系をごっそり撮っていますし、バンド界隈もメチャクチャ撮っていますから。
それでコロナ前に太一くんに「君はこれからメチャクチャ売れっ子になるけど、『忙し病み』という、売れっ子ならではの病みがくるから、メンタルは気をつけておいた方がいいよ」って言ったら、「いやあ、塁さん、何言っているんですか?僕なんかそんな売れっ子にならないですよ」と言っていたんですけど、数年前に会ったときに「塁さんの言っていたことがわかりました」と。
──それは忙しすぎて心身共にすり減ってしまうんですか?
橋本:いや、もっと精神的なことですね。例えば、大御所や売れている方のオファーってメチャクチャ早いじゃないですか?1年前ぐらいからドームツアーのためにスケジュールをがっつり抑えられるので、その間に昔から撮らせてもらっているバンドのオファーが来ても断らざるを得ないと。そうすると向こうも「わ、さすが売れっ子ですね。先生!」みたいな。もちろん向こうはギャグで言っているんですけど、こちらは申し訳ない気持ちのほうが強くて、ギャグとして捉えられないんですよ。そんなことがあまりにも多くて、気が付いたら昔から撮らせてもらっているバンドを違うカメラマンが撮っていたり、そういうことが続いて病むよ、という話をしたんですけど、「まんまとそれでした」と言っていました。
でも、僕は仕事ってオファー順だと思っているんです。規模感が大きい、ギャラの良し悪しで仕事を選んではダメだと思っているので。例えば、ワンオクの前にFOMAREからオファーがあったら、僕はFOMAREに行きます。そのときに「今どういうカメラマンが売れていますか?」「coldrainを撮っているヤマちゃん(Yamada Masahiro)とかいいよ」って教えてあげたりとか。逆にブッキング担当みたいになっているので。
──それってこの手のクリエイターの永遠の悩みですよね。
橋本:永遠だと思います。レコーディングでも、自分のアシスタントをやっていたレコーディングエンジニアが、気が付いたらメインになっているとかあるじゃないですか? でも、それって僕は素敵なことだと思っているんです。僕も10何人アシスタントが卒業してフリーになっていますけど、その中の5、6人は、僕なんか比じゃないくらい売れっ子になっていて、年末のカウントダウン・ジャパンも昔、僕はEARTH STAGEメインで撮っていましたけど、今メインで撮っているのは、藤井風さんや坂道系を全部撮っている上山陽介が撮っています。
──上山陽介さんは塁さんの元アシスタントなんですか?
橋本:そうです。僕は「ああ、やっぱりカミちゃんここまでいったか」と思いました。彼はすごく写真もうまいし、人当たりも柔らかいし、舞監とかなんでもやれるんですよ。彼とはとあるイベントで知り合って「僕のカメラマンのアシスタントにならない?」って誘ったんですけど、彼はそのイベントの舞台監督とか大道具やっていたんです。あと、とあるバンドの美術をやっていたり、ムービーやスチールを撮ったりしていたんですが、「本当は写真を撮りたい」と言うから「全部やめた方がいいんじゃない?」と。それでアシスタントを3年やっていました。彼はオールマイティーになんでも撮れるカメラマンなので、今は引っ張りだこですし、「嗚呼、もう僕の役目が終わったな・・・」と思うぐらい大活躍しています。
タモリさんが赤塚不二夫さんの葬儀の弔辞で「僕はあなたの作品です」と言っていましたが、僕はカミちゃんを送り出せたので、もう一丁上がりだと思っています。ほかにもSiMを撮っているスズキコウヘイとか、そういう子たちがアメーバのように生まれて(笑)。
──後進を育てるって本当に素晴らしいことだと思いますよ。
橋本:でも、誰にも技術的なことは教えたことないです。「俺、お前らよりも絶対写真下手だから現場での立ち振る舞いだけ見ていろ」とだけ言って、挨拶がなかったら叱ったり、変なところに立っていたら「お前、邪魔だ!」と怒鳴ったり、そんな感じです。あと現場に着いたら「あの人が舞監で、あの人がテックで、絶対ああいうところで撮っちゃダメだからね」とか、そういうことは全部教えましたけど、撮り方とかカメラの機種とかは逆に僕が聞いています(笑)。
──(笑)。
橋本:何度も言いますけど、写真の上手い下手に関しては、極端な話70点の写真が撮れれば、仕事は減らないと思っています。120点の天才的な写真を撮れる人か、70~80点で業界受けがいいカメラマン、これだけだと思います。特にライブカメラマンは1人で撮るものじゃなくて、現場では1つの歯車とまでは言わないですけど、チームで1つのライブを撮影するので、その一員として与えられた場所でやるのがプロだと思っています。毎回120点出さなくていいから、その代わり遅刻する、来られない、飛ぶとか、デジタルのSDカードのデータが飛んでなくなっちゃったとか、そういう致命的なミスをやらないほうが5年10年と生き延びられるんだとだけ伝えました。
これからもライブをリアルに撮り続けていきたい
──先ほど「写真に興味がない」とおっしゃっていましたが、他のカメラマンの方のインタビューとか読むと、アーティストとして写真を撮っているという人が多いですよね。
橋本:その方が多いです。みなさんにとって写真は作品であり、音楽はあくまでもその被写体なんですよね。でも、僕は自分の写真を作品だと思っていないんです。それはライブ写真以上でもライブ写真以下でもないですし、ライブ写真はバンドのものであり、そこで自分の芸術性を表現しようなんておこがましいです。
僕は報道写真家に近いんじゃないかと思うんですよね。報道写真家が現場へ行って写真を撮るとして、自分の画角なんてどうでもいいじゃないですか? そこで行われている実情をリアルに、それ以上でもそれ以下でもなく、ありのまま写すことが大事というか、正直、構図や色味なんかは興味がないんです。
──橋本さんはライブをそのまま捉える報道カメラマンであると。
橋本:だと思います。最初にHawaiian 6を撮ったときに、もしビデオカメラで撮影していたら、ムービーのカメラマンになっていたかもしれませんし、物販を手伝っていたらマーチャンダイズの会社に入っていたかもしれませんし、なんかそういう感じなんですよね。
──最後になりますが、撮りたいんだけど、いまだに撮れていない人、撮りたいなと思っている人はいますか?
橋本:やはり浜田省吾さんです。取材でも撮ったことがないんですよね。ありがたいことに、浜田さん以外は結構撮らせて頂いているんですよ。佐野元春さんは「COUNTDOWN JAPAN」で撮らせてもらっていますし、矢沢永吉さんもTSUTAYAのフリーペーパーの巻頭表紙を撮らせてもらいました。その撮影は赤坂サカスの下のTSUTAYA店内で、15分だけしか撮影時間がなくて、担当の方から「矢沢さんは時間に厳しい人なので、早めがうれしいと思います」と言われて、「うおお、ヤバいな」って(笑)。
──焦りましたか?
橋本:プレッシャーはありましたけど、困りはしなかったですね。僕ってライブはずっと撮れるんですけど、アーティストカットやモデルカットって飽きちゃうんですよ。あと何枚も撮る人っているじゃないですか? いろいろな角度から。そういうのを見ると「最初から決めておけよ」と思っちゃうんですよね(笑)。編集者の人も「保険で」とか「ちょっとこっちの画角も撮っておいてください」とか言う人がいますが、「編集者なのにイメージできてないの?」と思っちゃうんです。「使うのが決まっているのなら、決め打ちでいいじゃん」と思うので、そのときも3シチュエーションだけ撮って、5分で撮影を終わらせたんです。そうしたら矢沢さんに「君早いね」って言われて。
──それは最高の褒め言葉ですよね。
橋本:おおーと思って(笑)。メチャクチャ嬉しかったですね(笑)。
──浜田さんも撮れたらいいですね。
橋本:もちろん浜田さんの事務所の方とも知り合いなんですが、あまりにも好きすぎて「撮りたい」なんて口が裂けても言えないです。でも、氷室京介さんはオフィシャルを撮らせてもらったことはありますし、布袋寅泰さんも周年の際はずっと撮らせてもらっていて、甲本ヒロトさんもフェスで何回も撮ったりしていますから、日本のアーティストではもう浜田さん以外考えられないです。
──せっかくですから、このインタビューの場で「浜田さん、ぜひ撮らせてください!」とアピールしたいですよね。
橋本:是非しておいてください!(笑) いつでもどこでも駆けつけますから!
──言霊ってあると思いますから、言っておいたほうがいいと思います。
橋本:僕もそう思います。10何年前にFM802で1時間の特番を組んでもらったことがあって、最後に「夢なんですが、布袋さんを撮りたい」としゃべったら、5年後に本当に撮れましたからね。言うだけタダだと思っているので(笑)。あと、「いつか浜田さんを撮るんだ!」という想いをモチベーションに頑張れると思うので、浜田さんを撮れるまでライブをリアルに撮り続けていきたいですね。