第214回 TYMS PROJECT 代表取締役社長 青木しん氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

青木しん氏

今回の「Musicman’s RELAY」は株式会社パワープレイミュージック 代表取締役社長 鶴田武志さんのご紹介で、TYMS PROJECT 代表取締役 青木しんさんのご登場です。

音楽に全く興味がなかった青木少年は、日比谷野音で観たコンサートに衝撃を受け、次第にコンサート業界で働くことを考えるようになります。音楽系の専門学校を進学後、ソーゴー東京で研修生として働きだし、卒業後に入社。数多くの現場をこなす中で、THE YELLOW MONKEYと出会います。

吉井和哉のソロ活動などもフォローしつつ、THE YELLOW MONKEY再集結時には旗振り役として活躍。TYMS PROJECTの代表に就任された青木さんに、ご自身のキャリアからTHE YELLOW MONKEYのこれからについて話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、榎本幹朗 取材日:2024年3月13日)

 

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第214回 TYMS PROJECT 代表取締役社長 青木しん氏【前半】

 

THE YELLOW MONKEY再集結の旗振り役からTYMS PROJECT代表へ

──ソーゴー東京でTHE YELLOW MONKEYと仕事をしていた青木さんが、どういういきさつでTYMS PROJECTを設立されることになったんですか?

青木:僕はずっとソーゴー東京にいて、30代はそれこそ吉井のソロライブは担当でやっていましたし、鶴田さんのところのUVERworldとかもやっていたんですよ。

──THE YELLOW MONKEYの休止期間もソーゴー東京で仕事をしていたと。

青木:そうですね。ただ休止期間に吉井が事務所を辞めてフリーになったんです。そのときに、割とマネジメント的な仕事とか、普通のイベンター仕事だけじゃない関わり方をしていたんですね。それで2016年にバンドが再集結して、1ツアー終えてからTYMS PROJECTを設立しました。

──2016年の活動再開の段階ではTYMS PROJECTはなかったんですね。

青木:そうなんです。再集結の年は委員会っぽくしてやっていたので。そのときから僕が旗振りみたいな形でやらせてもらって、その流れでTYMS PROJECTを作ったみたいな感じですね。ただ、それ以前に僕は2014年にソーゴー東京を辞めて、それとは別の会社を作っているんですよね。

──TYMS PROJECTの前に?

青木:ええ。その会社は今もあるんですけど、そこで吉井のソロをやったんです。実質2年ぐらいやって。

──ソーゴー東京には何年いらっしゃったんですか?

青木: 18年か19年だと思います。ちなみにソーゴー東京社長の倉茂(得光)さんはTYMS PROJECTの役員でもあります。

──いまだにソーゴー東京とは関係があるんですね。

青木:一緒にやっています。THE YELLOW MONKEYって90年代のときは大森さんと倉茂さんがやっていて、その現場に関わっていたのが僕なんですよね。ですからそのチームは今も変わっていないんです。

──ちなみにTYMS PROJECTは任されたという感じだったんですか?プロジェクトが立ち上がるときに。

青木:THE YELLOW MONKEY再集結の旗振りを僕がやったので、任されたというか必然的にそうなりましたね(笑)。法人、会社にしたほうがいいねというのはありましたし。

──旗振り役ということは、メンバーをもう1回集めてみたいな?

青木:メンバーと最初話したりもしましたね。THE YELLOW MONKEY は2001年で活動を休止していますが、そのときから「このままやらないことは絶対にないな」とも思っていたんですよね。メンバー同志も仲良かったですしね。

──その割には休止期間が長かったですね。

青木:長かったですよね(笑)。再集結の数年前、2013年にローリング・ストーンズのハイドパークでのライブを吉井と僕で観に行ったんですけど、そこでバンドのすごさみたいなものを再認識して、吉井的にはそこでメンバーにメールしたりとか、そういうことはあった気がします。

──要するにローリング・ストーンズのライブを観て「俺たちもやらなきゃ」と思った?

青木:もちろん、その段階ではそこまで明確には言ってないですけど、刺激はあったんじゃないですかね。当時ミック・ジャガーは70歳とかそのくらいだったと思うんですけど、すばらしいライブだったんですよね。客席も若い子からおばあちゃんまでいて、ハイドパークというあの場が大盛り上がりで。ストーンズはやっぱりすごいですね。彼らは希有な成功例なのかもわからないですけど、年々進化というか変体を続けているのはすごいことだなと思います。

──それもオリジナルメンバーの原型を保ちつつですからね。

青木:あのときはスタッフに若い人も多くて、それもすごいなと思いました。やっているストーンズはもちろん高齢ですけど、それを支えているのが若い人たちで、カメラにしても最先端ですし、ステージに関しても最先端ですし、いろいろ刺激を受けましたね。

 

ライブのプレッシャーは常にある

──ボーカルの吉井和哉さんが、2023年10月に早期の喉頭がんの公表をされたときは驚きました。最初に吉井さんから病気の話を聞いたときはどんなお気持ちだったんですか?

青木:不思議なんですけど、治らないとはまったく思っていなかったので、落ち込んだりすることはなかったですね。

──病気は根治したとのことですが、4月には東京ドーム公演が控えていますね(※取材は3月13日実施)。

青木:そうですね。4月に東京ドームで1公演やりますけど、そこから色々できればいいなと今、調整中です。病気自体は治ったんですが、それと歌うことって別問題じゃないですか?ブランクもありますし、病気した箇所が喉ですので、今後どうやっていくかというのは、やりながら見極めていく感じになると思います。完ぺきに歌えるかどうかとか、ライブで20曲歌えるかどうかというのはまた別問題なので、これから徐々にやっていますという感じですね。

──まずは4月の東京ドーム公演を成功させるということですね。

青木:コンサートって「この日」って決まっているわけじゃないですか?アルバムのリリースは最悪ずらせますけど、コンサートはずらせないので、そこにめがけてやるだけだと思っています。

──巨大なライブって本当にプレッシャーがすごいんだろうなと思います。

青木:今回はたまたま東京ドームになってしまったんですけど・・・なってしまったという言い方は変ですが(笑)、小さいところだったら「なんとかなるか」みたいな気持ちになるかといったら、そんなことはないんですよね。どんなに小さなライブでも1本は1本ですし、緊張感は変わりません。そう考えるとプレッシャーって常にあるんですよね。

──常にどれひとつも穴を空けられないというプレッシャーの中にいるということですよね。

青木:それはあるかもしれないですね。コロナで東京ドーム2日間がギリギリで中止になったり、そういうことも起き得るわけじゃないですか?もう、「まさか!」みたいなことを経験したので。

──苦渋の決断だったと思います。

青木:あれは正直つらかったですね。もちろん、ギリギリまで「やれるならやりたい」と思ってずっと準備していましたから。

──そのときの経済的な損失というのはやはり大きかったですか?

青木:大きかったですね(笑)。コロナ禍は先が見えませんせしたから、お金も借りられるだけ借りようと、公庫へ行って借りましたし。

──いつまで続くのかわからないのは辛かったですよね。

青木:コロナがあって、そのあと吉井はソロで1ツアーやったんですが、その途中で喉が不調になって途中で止めてしまったので、今回の東京ドーム公演はそれ以来ですから、歓声ありのライブが4年ぶりとかになっちゃうんですよ。

──かなり間が空きましたよね。

青木:そうですね。ただ、コロナ禍のときも思いましたが、できないなりにもできることはあるなと思うようにもなりました。コロナ禍になって最初の1、2か月は「これは何もできない」と思いましたけど。その延長線で2020年11月に東京ドーム公演を1回やったんです。たまたま2020年の後半、11月、12月ぐらいはちょっとライブできている時期だったんです。でも、2021年はまたダメになってしまいましたけどね。

 

活動再開以来、5年振りのニューアルバムリリースへ

──ちなみにコロナの時期に、ライブ配信的なことはやりましたか?

青木:もちろんやりましたよ。

──ライブ配信をやってみてどんな感じでしたか?

青木:それは観る側は選べばいいというか、観る側に選ぶ権利はありますけど、やる側としては複雑ですよね。

──目の前に誰もいないですもんね。

青木:誰もいない中で、どういう落としどころに向かえばいいのかと色々考えさせられました。一体これはお金のためなのかとかも含めてですけど。なんか変な感じですよね。作品でもないじゃないですか?いったってライブも作品だと思うので。

──要するに無観客試合になっちゃうんですよね。

青木:何をやっているのかなって。あれを続けていたら何かを見失うような気はしていました。

──THE YELLOW MONKEYの今年の予定で決まっているのは4月の東京ドーム公演だけですか?

青木:あと、今アルバムを作っているので、アルバムをリリースして、ライブはどこまでできるかわからないですけど、それは4月の東京ドームをやってからの判断になるかなと思っています。

──ニューアルバムは何年ぶりになるんですか?

青木:5年ぶりですね。活動再開以降の2019年に出して以来になります。

──では、コロナがあり、吉井さんがご病気になり、いろいろあったけれど、それらを乗り越えてようやくという感じでしょうか。

青木:そうですね。吉井もポリープ切除の手術や放射線治療などで、鼻歌も歌えない時期もあったので、ようやく制作ができるようになったんですよね。もちろん声が出せない間も楽曲作りとかできる作業はしていたんですが、不思議と「もうダメだろうな」みたいには全然思ったことがなかったんですよね。本人のテンションもすごく高かったですし。

──その言葉をうかがえて安心しました。ちなみにTYMS PROJECTはTHE YELLOW MONKEY以外の仕事もなさっているんですか?

青木:ええ。新人をやったりしています。立ち上げ時はTHE YELLOW MONKEYだけでしたけど、そのときからスタッフも増えましたし、コロナで仕事をできないというのを味わったりしたので、色々な仕事をやっていこうと思ってます。

 

音楽業界の変化の中でポジティブに取り組んでいきたい

──THE YELLOW MONKEYのライブの演出や企画は青木さんが全部関わってらっしゃるんですか?

青木:そうです。

──やはり、アーティストと一緒になってライブを作り上げる作業は楽しいですか?

青木:楽しいですね。僕は「ライブに関わりたい」「コンサートの仕事をしたい」から始まっているので、その作業が一番好きですね。コンサートって、小屋押さえから始めると1年半〜2年前から準備をするわけですよ。つまり、本番2時間のために何年もみんな頑張るわけで、僕はこの過程がすごく馬鹿らしくていいなと思っているんです(笑)。その2時間のために大の大人が一生懸命みんなやっていると(笑)。

──(笑)。

青木:もちろんライブが成功したときの達成感や感動があるからこそやっているんですが、若い人にもどんどんコンサートに関わってもらって、それを味わってもらいたいんですけどね。

──サーカスみたいなものですよね。

青木:まさにそうですね。サーカスみたいにいろいろな人を巻き込んで、「ここの部分だけはちゃんと華やかに見せようよ」とか。それ以外の部分は大変な部分はいっぱいあって。

──終わったら畳んで次の街に行くみたいな。それってショービジネスの基本中の基本ですよね。

青木:その醍醐味を多くの人に味わって欲しいんですけどね。

──コロナで音楽業界が変わったと感じますか?売り上げは大分回復したかと思いますが。

青木:いろいろなものが変わったなと思います。ライブに来なくなってしまった層というのもすごくいっぱいいますしね。今、コンサートの動員が増えているのはフェスが多くなったのと、ライブに行けていなかった人たちが一気に行っているからだと思うんですが、もともと行っていて行かなくなった人というのは相当多いと思うんですよ。

──ライブに行く習慣がなくなってしまった人たちですね。

青木:そういう意味では客層はまったく変わっているはずなんです。そうするとフェスの在り方も変わってくると思いますし、世の中に発信される音楽も全然違ってきているなと思いますけどね。

──THE YELLOW MONKEYって本当の意味でのライブバンドじゃないですか? だから、余計影響ありますよね。

青木:そうですね。音楽業界、世の中が変わったタイミングに、うちはほぼ何もやってないのと一緒というか、やりたいことができなかったわけで、ここからどうなるのかなという不安ももちろんありますが、それ以上にすごく楽しみでもあるので、ポジティブに取り組んでいきたいなと思いますね。