【特別取材】広瀬香美「音楽で社会を元気に」 歌手、プロデューサー、経営者として目指すもの
日本人なら「ロマンスの神様」を聴いて「この曲知ってる!」とならない人の方が珍しい──。「冬の女王」広瀬香美は音楽業界の誰もが知るシンガー・ソングライターだが、今回は「プロデューサー広瀬香美」の精力的な活動に着目してインタビューした。「音楽で社会を元気にする」ために人材を募集中だというが?
プロフィール
広瀬香美(ひろせ こうみ)
幼少期から音楽の英才教育を受け、作曲家を志し、音楽科のある福岡女学院中学校へ入学。ピアノ科、オルガン科、作曲科と転科を繰り返す。その後、同高等学校から国立音楽大学(作曲学科)へ進学、卒業。在学中より、ロサンゼルスと日本を行き来。ロサンゼルス滞在中に制作した自作のデモ音源がレコード会社スタッフの耳に留まり、1992年にビクターエンタテインメントよりデビュー。同年に1st シングル『愛があれば大丈夫』を発表後、「ロマンスの神様」「ゲレンデがとけるほど恋したい」「DEAR…again」などがヒット。冬の楽曲がCMを通して広がったことで、 “冬の女王” と呼ばれる。毎年恒例のピアノ弾き語りコンサートや、BANDツアーの傍ら、ボイストレーナーやYouTube上での活動も行い、音楽を通してのつながりを作っていく活動を積極的に展開。YouTubeや、TikTokなど「動画の女王」としても大活躍。30年を超えるベテランなのにも関わらず、常に新しいチャレンジをし続ける姿が元気をもらえると評判を呼び、各SNSを合計して、100万人以上のフォロワーを有する。2022年TikTokで「ロマンスの神様」ダンスが大いに話題となり、Billboard JAPAN TikTok Weekly Top 20にて、チャート2週連続1位を獲得し、関連動画も含め16億回以上再生を突破。2022年には「ロマンスの神様」が世代を超えた国民的ソングとなり、幅広い年代層から人気を集める音楽家。
〝Kohmi P〟が音楽フェスをプロデュースした理由
──昨年、「プロデューサーとしても今後、がんばっていきたい」と宣言なさったとき、僕は正直、「広瀬香美さんが音楽プロデューサーをやるのは別に普通では?」と。
広瀬:「音楽家だし作詞作曲はなさっているし、どういうことでしょう?」とよく訊かれました。
──でも、Kohmi EXPO 2024(6月29日 東京・恵比寿The Garden Hallで開催)を拝見して、はっきり意図が伝わりました。
広瀬:ありがとうございます。
──特に第一部は広瀬さんのプロデュースしたものが目白押しで。
広瀬:ああいったものは、広瀬香美の冬のコンサートでは表現出来ないもので、ここ数年がんばってきたものなのですが、既存のファンのみなさんに十分お知らせ出来ていませんでした。
それなら「Kohmi P」というキャラを設定して、「冬の女王 広瀬香美」と公演を主催していったら、新旧どちらのファンにも楽しんでいただけるのではないか。
──第一部が「Kohmi P」で、第二部が「冬の女王 広瀬香美」の構成でしたね。
広瀬:はい。私はヒト・モノ・コトを創ってゆくプロデューサー業を大切にしていますし、それを世の中にお知らせするのは大事だと思って第一部を構成しました。
──まるでスペシャル番組を観ているようで、終始楽しかったです。
〝香美2号ちゃん〟でメタバースをプロデュース
──最初に登場したのが「香美2号ちゃん」。VTuber風のキャラクターが広瀬さんの声とダンスでバンドと歌う演出でした。広瀬さんによるメタバースのプロデュースですが、あれはどういった経緯で?
広瀬:私、流行っているものや最先端のものは何でも首を突っ込むキャラクターで…
──TwitterやYouTubeも広瀬さんは先駆者でしたね。
広瀬:メタバースやVRが出てきたとき、自分でゴーグルを買ってアカウントを作って遊びはじめました。それで「これが未来だな。いずれみんな、実生活とメタバースでふたつの人生を送るようになる」と思ったので、ライブのMCで話したり、レコード会社(ビクターエンタテインメント)の人に話したりしていたんです。
そうしたら親会社のJVCケンウッドさんがメタバース部門をちょうど立ち上げたところで、「香美2号ちゃんということで一緒にやりませんか」とお話をいただいたのが始まりです。
──今回は、バンドの手前に設けた半透明のスクリーンにキャラクターを映して、キまるで生のバンドといっしょにパフォーマンスしているようで新鮮でした。
広瀬:キャラクターのために作った新しい曲をVTuberのようにして歌うことで新しいファンが楽しんでもらえたと思いますし、何より香美2号ちゃん、かわいいじゃないですか?
──かわいかったです。
広瀬:ですよね。
〝マッスル香美〟でTipnessをプロデュース
──香美2号ちゃんの後、そろそろご本人が登場するのかなと思って観ていたら、肉襦袢を着て登場してびっくりしたのですが(笑)、あれは「マッスル香美」というキャラ?
広瀬:はい。裏で衣装を早替えして。
──めちゃめちゃウケてました。
広瀬:あれもラジオ番組で「音楽で世の中を元気にしてゆくのが広瀬香美そして弊社(Muse Endeavor Inc.)の理念で、私は命がけでやっていく」と話したら、それをTipness(大手スポーツクラブ)の社長さんがお聞きになっていて「何か一緒にやりませんか」とすぐに連絡をいただきまして。
「Tipness?何を?」となったのですが(笑)、一緒にゼロから考えて。後は会場で話したとおりですが「コロナ禍で体を動かさなくなったら、声帯も痩せ細って声が嗄れたりイガイガするよね」という話をよく聞いていたので、「運動と共に声帯を使うエクササイズをやったら画期的かな」と思いつきまして。
──観客のみなさん、広瀬さんの動きに合わせてエクササイズしながら歌っていて、みなさん、うれしそうにやっていましたよ。「人間って声を出して運動するのが楽しんだな」と感じました。
広瀬:まだ映像は見直してないのですが「ウケてましたよ」という報告は聞いています。まだ納品は終わってないのですが。
──Tipnessに通っているので、始まったら参加してみようと思います。
広瀬:社長も喜びます(笑)。
〝門真の星大使〟で街をプロデュース
──次も驚いたのですが、門真市の市長さんが登場。「明日から選挙活動解禁。これが終わったら大阪に帰ります」とおっしゃって、会場が爆笑していました。大阪公演で「門真の星、広瀬香美です!」とMCのツカミで言っていたら、ホームページに「門真の星大使になりませんか」と門真市長から直接、連絡があったんですよね?
広瀬:私、やりたいことがあったら屈託なくバンバン言っていく性格で、SNSやメディアで「これをやりたい」「あれをやってみたい」と話していると、叶っていることも割とあります。
「大使をやってくれ」と言われたとき、ただ大使をやるのではなく音楽で街を活気づけたいな、と。たとえばちょっとクスッと来る公共音で楽しい街にしたいです。
──笑いが愛される街と聞いています。幼少を過ごした街ですよね?
広瀬:市のみなさん、本当にほがらかです。洒落の通じる街なので私の洒落も受け入れて下さるのではないか、と。
──オリジナルの駅メロをいくつか披露なさっていましたが、B案は聴いた瞬間、「これは絶対、広瀬香美作でしょう」となる…
広瀬:(笑)。どれが採用になるのでしょうね。
NHKソングでラーメンをプロデュース
──その後、「NHKみんなのうた」に提供した「ラーメン地球号」を子どもたちや車椅子の方のダンスで披露。あれはラーメンのプロデュース?
広瀬:広瀬香美の楽曲を提供するというより、自分が好きなものを広めるためにと思って作った曲です。私はふだんアメリカに住んでいて「海外でもラーメンが大人気だな」というのをもっとみんなに知ってもらいたくて。
──司会の永井美奈子アナウンサーがキッズダンサーに「どうでしたか?」と尋ねたら「元気が出ます。あと、ラーメンが食べたくなります」と。
広瀬:ねえ。うれしいですよね。
──休憩中、外でらあめん花月嵐さんのブースが大行列でしたが、あれは?
広瀬:「ラーメン地球号」を書くためにラーメンを試食したり、取材を進める動画をYouTubeに上げたら、らあめん花月嵐さんの広報から「コラボで香美ラーメンを作りませんか」と連絡があって。
──今、香美さんバージョンのラーメンを作ってるんですね。
広瀬:二種類まで絞れて来たので、あのブースで出してみたんですけど。
──大行列で食べそこねました。
広瀬:「食べられないよ!」「休憩時間が短い!」とお叱りをうけました(笑)。
──どんな味にプロデュースしているのですか?
広瀬:私、幼稚園まで門真で小学校から福岡で、ぷうーんと香るとんこつを食べて育ったので、とんこつを食べてもらいたくて。
塩、ダシの塩梅で全く味が変わってきますし、麺でも違ってくるので「どれがウケるかなあ」って試食するほど迷ってしまって。でも絞られてきています。
──いつ頃、お店で食べられるのですか?
広瀬:冬ぐらいには。そして全国の店舗で「ラーメン地球号」が流れます。
今年のテーマは「音楽は自由だ」 お笑いも取り入れる
──広瀬さんが元気でパワフルな方というのは存じ上げていましたが、「音楽で社会を元気にする」というテーマが第一部でよく分かりました。
広瀬:ありがとうございます。
──もうひとつが「音楽は自由だ」ですね。ふたつのテーマはどうやって誕生したのですか?
広瀬:「音楽で社会を元気に」というのは音楽家・広瀬香美の活動理念で、イコールKohmi EXPOの理念でもあります。
「音楽は自由だ」はKohmi EXPOの今年のテーマに掲げました。毎年、テーマが変わると接地面積というか角度というか、音楽の表現が変わってきます。今年は全部の出し物を自由に表現してみました。
──バラエティー豊かな構成でした。
広瀬:終わった後に「今年は自由だったな」と感じていただけるように頑張りました。
──うちのカメラマンが神戸出身なものですから、西尾一男さん(※友近)が出てきたとき大ウケしてました。
広瀬:よかった!私のコンサートだと呼べなかったのですが、EXPOにはお笑いの方が必要だと思っていたんですよ。
──ふだんのコンサートではお笑いの方はゲストに来ないんですよね?
広瀬:それは難しかったのですが、EXPOのようなお祭りだったら、やりたいことが自由にできますから。
──第二部には水谷千重子さん(※友近)も登場。もともと友近さんとお仕事していたのですか?
広瀬:いえ、共通のお友だちがいて、食事会をしたことはありました。
──催し物メインの第一部、歌がメインの第二部ともにハマってましたね。
広瀬:お歌がとても上手な方なので、どんなジャンルも歌いこなせて。
──ジャズを歌っていましたね。第一部はテレビ番組風でしたが、構成作家を入れて考えたのですか?
広瀬:いえ、演出は私と制作の人間の二人体制で考えました。
──二名で!昔、僕も音楽テレビにいたのでクオリティに驚きました。
広瀬:演出家さんの大変さがよく分かりました(笑)。EXPOの一回目はよく分からないままやっていて「コラボしている人たちを呼んでみるか」という感じで、それも楽しかったのですが、今回は一回目を踏まえて来年も視野に入れつつ、足し算引き算して割とカチッとしたものを作りました。
今年は「もう全部重要です」という感じでしたが、来年はもっと強弱つけてやりたいなと思います。
第二部は圧巻の音楽パフォーマンス
──第二部は打って変わって音楽で押していく感じでした。初めがDJのNight Tempoさんでしたが、以前にコラボを?
広瀬:木島平スキー場が昨シーズンから「スキーリゾート ロマンスの神様」に名前を変えたんですね。そのオープニング・シーズンをNight Tempoさんとコラボして、スキー場にNight Tempoバージョンの「ロマンスの神様」がずっと流れていました。
──かっこよかったです。広瀬さんの声ってクラブミュージックにも映えるんですね。
広瀬:Night Tempoの切り口はどこか数学的で賢くて、私とは着眼点が違うのが面白くて。
──そうですね。僕もクラブミュージックが好きなので聞き入っていました。
広瀬:Night Tempoさんが歌謡曲を加工して日本人にウケている理由がよく分かりますよね。
──続いてはPsychic Fever。開演前の行列に若い女の子がたくさんいて「これはPsychic Feverさんのファンかな」と思っていたのですが、登場したらすごい盛り上がりでした。
広瀬:はい。私、Spotifyで各国のチャートを聴くのが好きで、マレーシアのTOP100をチェックしていたら彼らがTOP3に入っていたんです。「かっこいいなあ。Psychic Feverっていうのか」と思って調べたら「日本人なの!?」となって。
──そんな出会い方だったんですね。
広瀬:それで「この人たちに会いたいんだけど」とYouTubeのスタッフに伝えたらOKが返ってきて。コラボのとき「ロマンスの神様を聴いて育ちました」と言って下さったので「よかったら楽曲提供かEXPOに出演していただけますか」と声をかけて出演が決まりました。
──ダンスもマイクパフォーマンスもキレキレで。
広瀬:かっこいいですよね。リハーサルから観ていましたが、彼らの真面目さ、小さなところまで追求する姿勢、世界を目指す人たちは最後まで諦めずこだわり抜いていくんだな、と。
──パフォーマンスを観たら「これは凄い作り込んでいるな」と分かりました。
広瀬:お客さんたちも、なかなか身近で観られないパフォーマンスだと思うので、よかったんじゃないかな。
──彼らのプロフェッショナリズムが広瀬香美さんと通じるものがあるな、と思いながら拝見しました。
広瀬:はい。
──それで、女の子たちの黄色い声が飛び交う中、「ふつうだと次のアーティストさんはやりにくいんじゃないか」と懸念していたら…。
広瀬:裏で急いで着替えてました(笑)。
──大トリに広瀬さんが登場して。失礼な言い方かもしれませんが貫禄のパフォーマンスで会場をまとめて、圧巻でした。Psychic Feverのファンの女の子たちもみんな喜んでいて。
広瀬:ありがとうございます。
少女時代、歌手でなく音楽プロデューサーになりたかった
──他の記事で拝読したのですが「これから歌手とプロデューサー業を半々でがんばっていこうかな」と考えていた矢先に、「¥マネーの虎」のプロデューサーだった栗原甚さんから「いっしょに番組をやってみませんか」と声がかかった、と。
広瀬:はい。
──あの番組(「歌姫ファイトクラブ!! 心技体でSINGして!」)、すごく評判がよかったんですよね? 日テレとHuluで流してATP賞テレビグランプリでも…
広瀬:はい。奨励賞を受賞しまして。私、小さい頃から裏方の音楽家に憧れて「作曲家になりたい。音楽プロデューサーになりたい」と思って音楽を始めたんです。それでデモ音源に自分で仮歌を充ててレコード会社や事務所に送っていたら「曲もいいけど君、面白い声してるね」となっていって。
──そうなるだろうなと思いますけど(笑)。
広瀬:「お小遣い出すから歌ってくれませんか」と声の仕事ばかり増えていく。そのうち「映画のタイアップです。一曲作って下さい」という依頼が来て、当時アメリカに住んでいたものですから「これで家賃4ヶ月分払える」と思いながら作った曲がデビュー曲の「愛があれば大丈夫」です。
──本人的には「デビューするぞ!」という感じじゃなかったんですね。
広瀬:その曲がヒットして「あなたは歌手です」って言われて「いやあ私は歌手じゃないよな」と思いながら(笑)、「まあ歌手は音楽家でもあるし名前、売っとこうか」と自分をなだめすかしながらずっと歌手をやっていたもので。
裏方になりたいけどフロントで行けちゃってたので「いつか半分半分ぐらいにしたいな」とずっと思いながら30年やってきたんですね。
──で、「今ならできる」と。
広瀬:そうです。それが2年前かな。で、栗原さんが知人だったので「私、音楽プロデューサーをやっていくのでよろしく」と声をかけておいたら半年後、「こういう話があるんだけどやってみませんか?」と来て「やるやる!」と。
──番組前に「そろそろ音楽プロデューサーをがんばりたい」と思ったきっかけはあったのですか?
広瀬:デビュー30周年があったからだと思います。やるとしても1年、準備がかかりますからコロナ禍のときにレコード会社やスタッフに言い始めました。
──区切りが付いて、次のチャレンジをしていく気持ちが強まった?
広瀬:はい。
番組オーディションを勝ち抜いたUthmをプロデュース
──今回のEXPOには、番組で広瀬さんがプロデュースした女の子3人組、Uthm(うたひめ)も歌っていました。デビューは?
広瀬:これからです。歌の練習、曲を作る修練を積んでいて、ようやく事務所が決まったところです。今後、私が楽曲を提供していきます。来年のEXPOではデビュー曲を披露できるようにします。
──今年のEXPOで歌ったのは?
広瀬:オーディションの最終選考用に書き下ろした曲で、あれはデビュー曲ではないんです。
──この前のパフォーマンスは広瀬さんから見ていかがでしたか?
広瀬:1年前とは随分変わって来ました。声を出さないといけないと分かっていても出来なかったのが出来るようになって、自覚ができつつあります。
本当に歌手になりたいのか、中途半端な気持ちが残っているとお客さんには伝わらない。ただ人気者になりたい、お金を手にしたいでは結局、伝わらない。しっかり考えてやろう、というところをずっと大事にしてきたら、やっぱり歌声に芯が通るようになってきました。
この間のパフォーマンスは三人の声がまとまって意思が伝わったと思っています。成長したな、と。
──親心ですね。デビューの時期は?
広瀬:私の季節、冬と重なったらいいなと思います。
尊敬するプロデューサーはデイヴィッド・フォスター
──広瀬さんが目指している、尊敬する音楽プロデューサーは誰ですか?
広瀬:小さな頃からデイヴィッド・フォスターに憧れてて、メロディーラインとコードの斬新な組み合わせを次々と生み出す天才ですよね。ああいう作曲家になりたくて音楽を始めました。
──デイヴィッド・フォスターにルーツがあったんですね。
広瀬:はい。新曲が出たらセリーヌ・ディオンが歌ったり、ナタリー・コールが歌っていて「またデイヴィッド・フォスターだ!」と思いながらコピーして、この曲はどういう構造になっているんだろうと学びながら育ちました。
だから今でも彼みたいになりたい。彼が主催して、曲を提供したアーティストさんを呼ぶ「デイヴィッド・フォスター・ウィズ・フレンズ」というショーをやっていますが、私もいつかそんなことを出来る人間になりたい。そう思いながら日々、邁進しています。
──広瀬さんの音楽が少し分かった気がします。斬新でおしゃれなコード進行とか、言われてみると影響を感じます。
広瀬:だいぶ影響を受けていますね。
広瀬香美と仕事をしたい人を募集中です
──今、広瀬さんの会社(Muse Endeavor ミューズ・エンデヴァー)で人材を募集中とのことで?
広瀬:はい。
──フルリモート制など音楽事務所には珍しい職場環境だそうですが?
広瀬:私が年に半分はハワイで生活しているので、リモートが得意なスタッフじゃないと務まらないというのがまずありますが、それだけではありません。
私はハワイにとどまらず動き回って生活しています。動いていることで、その土地の空気を感じたり、見ている景色によって脳が活性化されて、新しい発想が生まれる。音楽の色使い、面積、深さがその土地によって変わってきて新しい音楽が生まれてくるのを体感しています。
だから、弊社のスタッフにも「みんなも、いろんなところへ行って仕事をしましょう!どうぞ!」と言えるようにフルリモート制にしています。もちろんリアル業務も得意であってほしいです。
──なるほど。他にもあるそうですが?
広瀬:これも事務所には珍しいですが、プロジェクト制を敷いています。
──事務所ならふつう、マネージャーがアーティストに一人ついて、プロダクションなど下請けに発注したり、一人ですべて仕切っていきますが?
広瀬:弊社の場合、例えば門真の星プロジェクトに一人、Uthmにプロジェクトリーダーが一人ついて、プロジェクト毎に目標を追求しています。
──マネージャーさんって大変そうですよね。全部、一人で仕切るとキャパオーバーもあるだろうし、その方の特性でやりきれないことも起こりますが、プロジェクト制だとそれぞれ担当が磨き上げて、アイデアを出していったり、目標に向かって自主性も高まる気がします。
広瀬:おっしゃるとおりです。マネージャーが一人でやると、どうしても強弱が出てしまいますが、プロジェクト制なら一本一本を大事にできますし、プロジェクトリーダー同士の情報共有も刺激的になりますし、フレッシュな気持ちで取り組んでもらえたらな、と思って。
海外のエージェント制に近いです。会社自体が私ですから「コンサートはあなたとやりたい」「門真の星はあなたとやりたい」というふうに私が発注しているイメージです。
──アメリカに詳しい広瀬さんらしいスタイルですね。アメリカではアーティストがプロジェクト毎にエージェントを雇用するのはふつうなのですか?
広瀬:そういう方も多いです。アーティスト自身が社長で、自分で判断して。右腕左腕はいると思うのですが「コンサートはこの会社に発注して、撮影はこの人に発注」という感じで、アーティスト自身がセルフ・プロデュースしています。日本と逆で、アーティストがトップの組織なんですね。
──なるほど。イメージが伝わりました。
広瀬:「音楽で元気、やる気にあふれる世の中にしていきたい」と思っている方がいたら、ぜひ応募して下さい。
──プロジェクト毎に社員を募集しているのですか?
広瀬:社員も募集していますし、例えば「広瀬香美のデザインをぜひやらせてほしい」というフリーランスの方も募集しています。
──クリエイティブの提案でもよいのですか?
広瀬:はい。
──逆に「広瀬さんと、こんな仕事がやりたいのですけど」という提案型の応募もアリですか?
広瀬:歓迎します。例えば弊社にはロマンスの神様事業部があります。
──面白いですね。
広瀬:「ロマンスの神様」のネーミングライツを扱う部署で、そこから「スキーリゾート ロマンスの神様」が生まれました。
それから私はボイストレーニングのメソッドも持っているので「広瀬香美とスクールを展開したい。こういう形でどうでしょう」という募集が来ても嬉しいです。
──ほんとうに自由なんですね。
広瀬:(笑)。素晴らしい方との出会いから私も刺激をもらってますし。
──今まで人材募集から始まって、広瀬さんの新しいアイデアにつながっていった出会いというのは?
広瀬:そういう方ばかりです。そのためにこの会社を立ち上げたようなもので、「自分が組みたい相手と組むんだ」と決めてやってきました。それで穴が空いた時期もありますがそれでも、いいと思える人と一緒にやっていくのが最良の結果につながると思ってやってきました。
──なるほど。広瀬香美さんにとって社長という仕事もプロデュースなんですね。
広瀬:そうですね。プロデューサーしてるんでしょうね。
──初めに「プロデューサー広瀬香美」という言葉を聴いたときとイメージがずいぶん変わりました。同時に「とても広瀬香美さんらしい色が出ているな」と感じ入った次第です。本日はお忙しい中ありがとうございました。
(了)
インタビュワー・プロフィール
榎本幹朗(えのもと・みきろう)
1974年東京生。Musicman編集長・作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。著書に「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)。現在『新潮』にて「AIが音楽を変える日」を連載中。