第216回 株式会社テレビ朝日コンテンツ編成局 第1制作部 兼 ビジネスプロデュース局 イベントプロデュースセンター 利根川広毅氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

利根川広毅氏

今回の「Musicman’s RELAY」はダダミュージック 代表取締役副社長 須藤敏文さんのご紹介で、株式会社テレビ朝日コンテンツ編成局 第1制作部 兼 ビジネスプロデュース局 イベントプロデュースセンター 利根川広毅さんのご登場です。番組制作会社を経て、フリーランスとして数多くの⾳楽番組演出を担当した利根川さんは、2013年に⽇本テレビへ⼊社。「Music Lovers」「LIVE MONSTER」「バズリズム」「THE MUSIC DAY」「ベストアーティスト」など数多くのレギュラー番組や特別番組を演出、プロデュースします。

その後、2018年9⽉にテレビ朝⽇へ⼊社。現在は「ミュージックステーション」「EIGHT JAM」の演出、プロデュースとともに、「METROCK」や「テレビ朝日ドリームフェスティバル」といったイベントのプロデュース、キャスティングも手掛ける利根川さんに話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗)

 

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第216回 株式会社テレビ朝日コンテンツ編成局 第1制作部 兼 ビジネスプロデュース局 イベントプロデュースセンター 利根川広毅氏【前半】

 

「Music Lovers」や特番での仕事が認められて日本テレビ入社

──ブレーンボックスには何年いたんですか?

利根川:6年ぐらいいましたね。

──ディレクターを任されるようになってから4年ぐらいいたと。

利根川:もっと大きな仕事をやりたいという欲が出てきたんですが、仕事の9割がNHKの会社でしたから民放の伝手も少ないですし、営業もできない。どうしようもなかったんですが「新しいことに挑戦しよう」と思って、辞めることにしたんです。色んな方に相談していく中、EDPというデザインやCG制作の会社を経営している僕の1個上の友人のような先輩が「うちに来なよ」と誘ってくれたんですよね。「とりあえず月〇〇万あげるよ」みたいな。

──いきなり給料が増えた。

利根川:僕はその人にトニーと呼ばれていたんですが、「トニーはいろいろな才能があると思うから。ディレクターもプロデューサーもできるし、もしかしたら広告とかCGとかそういうセンスもあると思う。だからうちの会社でプロデューサーもやりなよ」と言ってくれたんですよね。「テレビの仕事をやりたければうちの会社にいながらテレビの仕事を個人でやればいいし、うちのオフィスも使えるし」と、2年ぐらいそこにいさせてもらいました。不思議なものでやはり外へ出たら仕事って風が吹いてくるというか、ある日突然日本テレビの「Music Lovers」という番組がディレクターを探しているという話が来て。

──それは日テレから話が来たわけではなく?

利根川:日テレからじゃなくて、「Music Lovers」の制作を請け負っているゴッドキッズという制作会社の人からです。「1人番組を辞めちゃうんだよ。誰かいいディレクター知らない?」と最初言われて、「本当はトネちゃんみたいな人がほしいんだけど、トネちゃんまだブレーンボックスでしょ?」「いや、僕ちょうど辞めたんです」みたいな感じで。

──絶妙なタイミングですね(笑)。

利根川:「じゃあやってくれる?」と言われて入ったんです。「Music Lovers」って当時日本テレビの音楽班が一番大事にしている番組だったので、フリーランスでも色々な経験をしているエース級の、強者ディレクターばかりだったんです。当然アーティストたちとのリレーションもすごく持っている人たちだったんですが、そこに29才の若造が入っていって、最初はなかなか信用してもらえなかったんですけど、一生懸命仕事をするうちに、段々と中心に入れてもらえるようになりました。結果、各方面からたくさん仕事を頂けるようになり、EDPも卒業させてもらい31歳くらいからフリーランスとして活動し始めました。

そうして数年経った頃には、日本テレビの大きな特番でも音楽や映像の演出として中継車に座ったり、今までだったら日本テレビの社員でなければそのポジションをやれなかった、みたいなところまで任せてもらえるようになりました。そうこうしているうちに日本テレビから「社員にならないか?」と声を掛けてもらったんです。

──それまでの仕事が認められたんですね。

利根川:はい。「ベストアーティスト」という年末特番があって、その中継で尖った映像を撮りまくったら、それを観た日テレの制作局長が「誰が撮っているんだ?」「ディレクターは誰だ?」と。で、自分のところの社員だと思ったら外部のスタッフだと分かり、「腕がいいから、どこかに持っていかれる前に社員にしよう」みたいな話になったらしく、それで声がかかったんです。

──正式に日テレの社員になったのはおいくつの時ですか?

利根川:日テレに入ったのが35ぐらいですかね。

──では4、5年のフリーランスを経て。そこからは快進撃が始まるわけですね。

利根川:いや、快進撃はあまりなくて、社員になってからは辛いことの方が多かったですね。
もちろんそういった厳しい環境で仕事することで、ものすごく耐性ができたので感謝なんですが(笑)、とにかくしんどかったです。

日テレに入るべきか考えていた頃、現場の一部の人間関係がとても悪く、スタッフや出演関係者がとても苦しんでいたんです。それで一緒に仕事をしていた外部スタッフ何人かに相談したら、その人たちが「是非社員になってくれ」と言うんですよ。今のこの厳しい状況で戦える、あるいは変えられるのはお前しかいないと。だから入ってお前が変えてくれと言われたんです。僕は普段そんなやつじゃないのに、そのときは妙に正義感が働いて、入社することにしたんですよね。

──そういうところに人柄が出ますよね。

利根川:もちろん社会的信用とか、フリーランスと日本テレビの社員では違いがありますし、結婚もしていたので安定や福利厚生とか、いろいろなことも考えた上ですけどね。なんならやりたくない仕事もいっぱい増えるんじゃないかとか、いろいろ不安もあった中で、仲間たちのそういう意見を聞いて勇気が湧いたというか・・・それで妻に相談したら「なにそれ面白いじゃん」「好きにしなよ」くらいの呑気な答えだったんですよね(笑)。それで日テレに入りました。

 

テレビマンとミュージックマンの狭間で悩み苦しむ

──36歳になって初めて大企業の社員になったわけですよね。フリーランスとして関わっていたときと実際に社員になったときで違いはありましたか?

利根川:ありましたね。サラリーマンってこんな面倒な作業が多いんだ・・・みたいなことも増えましたし、今まではお手伝いしている感覚で好きにやれたんですが、もっと数字について言われるし、現場環境をすぐに変えられないジレンマとか色々ありました。ただ僕が入ってから現場の改善は実現しましたし、そのことによって多くのスタッフたちが働きやすくなったのはよかったなと思います。

──やはり強く数字を求められるようになった?

利根川:そうですね。自分の責任はどんどん増えますし、そこで数字と向き合うことも多くなったと思います。その頃の日本テレビは、バラエティがものすごく数字を獲っているのに対して音楽番組は視聴率が獲れない。で、バラエティで結果を残した人がどんどん出世して、僕らの上にもバラエティ出身の人がやってくるんです。そうしたら、僕を日テレに引っ張ってきた人たちは系列局の社長になったり、事業部へ異動になったりで、現場からいなくなっちゃったんですよ。

──味方がいなくなってしまったと。

利根川:というよりも、理解してくれる人たちですよね。そうしたら、僕が大事にしていた、ドリカムの中村さんとご一緒していた「LIVE MONSTER」も終了し、特番をやれば「もっと笑いを入れろ」とバラエティ化を求められるわけです。

──別のインタビューで「テレビマンとミュージックマンの狭間で悩み苦しんでいた」とおっしゃっていましたが、まさにそういう状況ですよね。音楽番組もバラエティ化を求められて

利根川:そうですね。その当時の日本テレビはそんな状況で、自分はそういったことをまったくやりたくないし、やったらアーティストが出てくれなくなっていくわけです。例えば、仮に僕が長年仕事してきて、何組かのアーティストさんやマネージメント、レーベルの方に「この人は絶対にアーティストを裏切らない人だ」と信じてもらえていたとしても、それをやったら信用一発で失うような案件が多くなってきたんです。

──そんな状況で上に理解者がいなかったら、想像を絶するストレスですよね。

利根川:日テレの最後の数年はストレスがすごかったです。やればやるほどアーティストが自分のそばからいなくなっていっちゃう危機感というか・・・しかも、自分なんかのためにスタッフは毎日調整の日々なんですよ。企画のためにアーティストに頭を下げたり、そういう嫌なお願いをする仕事が増えてきて、「自分の仕事ってなんなんだろう」みたいに思うようになっていって。

──それって例えば「布袋さんにコントやってくれ」みたいな、そういうレベルの話ですか?

利根川:本当にそうです。僕はストレスがあると鼻の頂上にニキビができるんですが、日テレの時は特にすごかったんですよ(笑)。1個できた横に2個目も重なるようにできて、「これはいよいよヤバいな」と思い、「日テレ辞めようと思うんだけど」と妻に言ったら、反対されるかと思ったのに楽しそうに「辞めちゃいなよ」みたいな(笑)。

──(笑)。奥さん明るいですね。

利根川:「なんとでもなるよ。フリーになればいいよ」みたいなノリで。まあ明るくて救われるんですけど、それで「わかった、辞めるわ」と退職願を出しました。

──すんなり辞められたんですか?

利根川:退職願を出すんですけど、当初は受け取ってもらえなかったですね。でも、辞めると決めてからはストレスがすごく軽減したんですよね。辞めてからどうしようか色んな人に相談をしている中、テレビ朝日が中途採用の募集をするというお話を耳にするんです。

──利根川さんは常にすごい引きを見せますね(笑)。

利根川:(笑)。本当にご縁に恵まれて生きているなと実感しています。

 

テレビ朝日を代表する音楽番組「ミュージックステーション」と「EIGHT-JAM」

──テレビ朝日に入って担当した最初の番組は「ミュージックステーション」になるんですか?

利根川:はい。そのために入社したので。

──テレビ朝日に入っていきなり「ミュージックステーション」の制作に関わるわけですが、その第1回目はどんな感じでしたか?スタジオも違えば周りのスタッフも全部変わるわけですよね。道場破り行くみたいな感じになるんですか?

利根川:明確に覚えていないんですが、肩ひじ張らずに大丈夫だったなという印象でした。「ミュージックステーション」って番組のボスもそうですけど、技術チームや美術チームとかいろいろな人たちが誇りを持っていて、それでいて全然偉そうじゃなかったんですよね。出演関係者は日本テレビのときと変わらないわけで、レコード会社の人もアーティストも付き合いがある人が多かったので、そこに違和感はなくて、むしろ「まさかここにくるとはね」と笑われるぐらいで(笑)。

──「新しい名刺ください」みたいな(笑)。

利根川:そうそう(笑)。僕も久しぶりに「一から自分のことを説明して人に理解してもらう」作業を楽しんでいた感じでしたね。現場がすごく番組を楽しんでいましたし、番組をすごく大事にしていて、やらされている感じがまったくないんですよね。ですから、すごくやりやすかったですね。

──それはタモリさんが持っている雰囲気とかも影響しているんですか?

利根川:それもあるかもしれないですね。タモリさんとはそこで初めてお会いしましたが、めちゃくちゃ素敵な人なんです。タモリさんのことを悪く言う人って聞いたことないですよね?

──聞いたことないですね。

利根川:タモリさんはもちろん大御所ですけど、全然気を遣わせようとしないんです。気さくですし、「俺が俺が」じゃなくてゲストを大事にされますしね。あと若い人の音楽を聞いて「格好いいな」とかおっしゃるんですよ。「MILLENNIUM PARADEいいな」とか言って(笑)。すごく柔軟な感性の人だなと思いますね。

──テレビ朝日の音楽番組というと「関ジャム(現・EIGHT-JAM)」ですが、「EIGHT-JAM」は利根川さんのオリジナルなんですか?

利根川:いえ、違います。「EIGHT-JAM」は僕がテレ朝に入ったときには今の形に近かったですね。もう10年ぐらい続いている番組です。

──そんなに前からやっていたんですね。

利根川:でも立ち上がったときはだいぶ毛色が違う番組で、そんなに音楽深掘り系ではなくて、バラエティ色が強かったらしいんです。それが、僕がテレビ朝日に入るちょっと前ぐらいに、音楽に特化したほうが面白いと足元が定まってきて、自分が入った頃にはそのスタンスでした。

──「EIGHT-JAM」は毎回誰が企画するんですか?

利根川:放送作家さんが定期的に企画案を何個も出すみたいな会議の中で「これは面白そうですね」とストックしていく、みたいなこともありますし、僕がふと思い立って「これ『EIGHT-JAM』でできそう」みたいなことをメモしていたのを会議で発表して、みんながハモればやるということもあります。例えば、とあるライブを観て、ハッと思いつくときとかあるんですよね。

──「EIGHT-JAM」は面白いですよね。絶対にオタクの人が考えているんだろうなと思いながら観ているんですが、実際のところはどうなんですか?

利根川:いや、企画を考えている放送作家さんって意外とバラエティの作家さんが多いんですよね。それが一般目線とちょうどいいところにいっているのかな、という気はします。

──なるほど。「EIGHT-JAM」は他に類を観ない音楽番組だと思います。

利根川:ありがとうございます。進化できたなという感じはしていて、僕もすごく好きな番組ですね。「EIGHT-JAM」ではアーティスト単体の特集とかもよくやるんですが、「ベストアルバムが出るタイミングでなにかがっちりプロモーションをしたい」という要望があったら、「じゃあ『EIGHT-JAM』で特集をやりましょう」みたいに提案することも増えています。

──そういう相談が利根川さんのところに来る?

利根川:そうですね。「ミュージックステーション」のキャスティングもやっているので、いろいろな情報をもらえるじゃないですか?そこで「Mステでこういうことをやるけど、『EIGHT-JAM』でもこういうことをしませんか?」とか、どんどん横に繋げています。

 

音楽業界の仕事は “楽しい”の割合が圧倒的に多い

──「EIGHT-JAM」で思い出に残っている企画などありますか?

利根川:たくさんあるので中々選べませんが、最近で例にあげるとしたら、「誰かの事を思って書いた曲特集」ですかね。僕はさかいゆうさんの才能が好きで、さかいゆうがデビューしたときに「こういうアーティストに売れてほしいな」と思いつつ、なかなか大ブレイクしなかったんですね。凄い才能やセンスを持っていて、曲も素晴らしいのに広くまだ知られていない、「これって音楽業界あるあるだよな・・・」と思いつつも、そういったケースを企画にできないかなと考えたんです。でも、そのままやるのは失礼なので「EIGHT-JAM」で「本当はこの曲でブレイクしてほしかった」という曲を紹介して、その曲がちょっとでもまた注目されればいいんじゃないか?と、考えたんです。

──それはすごい企画ですね。

利根川:さかいゆうさんに「君と僕の挽歌」という曲があるんですが、僕はこの曲がずっと好きで、「なんでもっと知られないんだろう?」と思っていたんです。この曲は高知の高校時代のさかいゆうにいろいろな音楽を教えてくれた三浦君という親友に向けられた歌なんですね。ギタリストを夢見ていたその親友は高校生のときに交通事故で亡くなってしまったのですが、彼のお葬式が終わって、さかいゆうが田舎道を歩いているときに空を見上げたら、「俺の代わりに夢を叶えろ」と言われている気がして、それで音楽に目覚めるというエピソードがその曲では描かれていて、まさに亡くなった親友に向けた「挽歌」なんです。この「君と僕の挽歌」のバックボーンを知って曲を聴いたら、僕はすごく泣けたんです。

この曲を紹介するために企画にして、違う曲もいっぱい流して、最後に「君と僕の挽歌」をスタジオで歌ってもらおう、と。それで会議でこの企画について話したら「是非やりましょうよ」とみんな言ってくれて、それで作っていったんです。

──素晴らしい企画ですね。

利根川:これが視聴率第一の考え方だと、「それで数字獲れるの?」とか「真面目すぎない?」とか、すぐなっちゃうじゃないですか? でも、今の「EIGHT-JAM」は番組として築きあげてきた信用がありますし、「これは絶対にやったほうがいいよ」「お前がやりたいんだったらやればいいよ」ってスタッフも上層部も言ってくれるんですよね。

──それは社風なんでしょうか?それとも音楽番組に対する考え方の違いなんでしょうか?

利根川:どうなんでしょうね。でも、そのどっちもだと思います。テレビ朝日って音楽番組に対する考え方がすごくピュアだと思います。

──利根川さんが関わっているレギュラー番組は「ミュージックステーション」と「EIGHT-JAM」の2本ですか?

利根川:その2本と、「新しい学校のリーダーズの課外授業」という深夜番組があって、それも一応レギュラーで関わっています。そのほか、「藤井 風テレビ」など配信プラットフォームと組んだアーティスト冠特番を年間8~10本担当しています。あと、ビジネスプロデュース局でイベント制作も兼務していまして、「メトロック」や「ドリームフェスティバル」といった、テレ朝の有観客イベントのプロデューサー、キャスティングもやっています。

──テレビ朝日へ移って良かったと思いますか?

利根川:他の人にもよく訊かれるんですが(笑)、よかったとは思うけども、じゃあテレビ朝日の役に立てたかとかと言えば、まだ志半ばというか満足はしていないんです。もっとこうやりたい、ああやりたいとか、そういう気持ちはたくさんあります。

──それは「ミュージックステーション」の中でやりたい? それともオリジナルの音楽番組とかを考えていらっしゃる?

利根川:両方ですね。自分は今、番組をある程度背負わせてもらっているんですが、まだ100%背負わせてもらっていないので、「もっと上へ行かないとな」と思います。先ほどテレビマンとミュージックマンの境目みたいな話をしましたが、音楽業界やアーティストに対して本当はミュージックマンでありたいんですけど、会社のために、番組を守っていくために、あくまでも自分は音楽がしっかりわかるテレビマンでいなければいけないんです。でも、正直テレビマンと言われるのが嫌と言えば嫌ですね(笑)。

──テレビマンとミュージックマンの狭間にいつつも、テレビの中でやりたいことはまだまだたくさんあると。

利根川:あります。テレビのキー局で大きな番組をやるんだったら絶対に大きな音楽賞を作りたいという野望があって、要は日本版グラミー賞をやりたいんです。そんな中、僕の企画とは別で立ち上がる賞が実はもう発表されていて、2025年に京都で授賞式が行われる予定です。

──日本版グラミー賞については音制連の方々から伺っています。

利根川:実は5年前からテレ朝内では企画書を出していたので、この賞が立ち上がることを知った後、幹部の方にもその企画書を見せました。「まったく同じことを考えていました。見てください、これ5年前の企画書です」と。ですから、テレ朝でできるかわからないですけど、それをやるんだったら、同じ志を持つ1人としてボランティアでもいいから手伝いますと言っています。フリーランスのときにWOWOWでグラミー賞の生中継をやっていたので、ロサンゼルスへ行って現地でその裏表を見ていますし、仕組みとかも勉強しているので「なにかしら役に立てると思います」と。

──日本版グラミー賞、楽しみにしています。最後になりますが、音楽業界を目指す若者たちにメッセージをお願いします。

利根川:音楽業界といっても僕は端っこなので、その質問への回答は難しいんですが、音楽に携わる仕事って、とにかく楽しい仕事だとは思います。どんな仕事でもつらいことってあるじゃないですか?よく言うのが10中9辛くて、1ハッピーだったらやっていけるよとか、そういう仕事論みたいなのもありますが、振り返ってみるとしんどいことも多いけど、音楽業界の仕事って“楽しい”の割合が圧倒的に多いなと思うんです。

──確かに音楽業界にいる人は少なくとも残っている人はみんな楽しそうですよね。

利根川:あと、変わった人がとにかく多くて、そんな人と出会えるのがいいですよね(笑)。アーティストの方も関係者も、とにかく面白い人が多いです。何かに秀でる分何かが欠けていたり、人に愛される特別なものを持っていたり。この仕事をしていなければ生まれなかったご縁がたくさんあって、そんなとんでもない人たちと一緒に仕事できるのはスリリングで最高です。

それでいて、本当に学生時代何の勉強もしなかった僕みたいなやつが、なんとか食えているわけで。でも、そんなことが起きてしまうのも音楽業界だからなのかなと思いますしね。知識だけじゃなくてセンスとか、そういうことでも仕事にすることが可能な世界というか。

──まさに利根川さんはその体現者ですよね。

利根川:そんなに格好いいものでもないですけどね・・・本当に泥水すすって生きている気持ちになることも多々ありますが、トータル楽しい仕事です(笑)。あと、仕事を通じて感動できるのも大きいと思います。人との出会いもそうですし、ライブを観たり、自分の番組でアーティストが歌っているのを観て感動しちゃうとか、でき上がった番組を観てグッとくるとか、そういう体験ができるのは幸せなことです。若い人たちには音楽業界で、またはメディアを通じて音楽に関わる仕事で、どんどんチャレンジして欲しいですし、ここでしか手に入らない出会いや楽しい経験を味わってほしいですね。