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なぜDEAN FUJIOKAはアジアで活躍できるのか 渾身のロングインタビュー前編

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DEAN FUJIOKAは謎の存在だ。英語・中国語を話す日本人だが帰国子女ではない。アメリカでITを学ぶも旅先の香港で芸能界入り。台湾で俳優の地歩を固め、NHKドラマに颯爽と姿を現す前からインドネシアで音楽制作に打ち込み、コロナ前にアジアツアーを敢行。昨年は武道館公演も成功した。今年は台湾B’in Musicと契約し、中華圏での音楽活動を精力的に行うという。彼がアジア全域で活躍できるのはなぜなのか?11月3日に大阪、21日に東京公演を控えるDEAN FUJIOKAに直接、訊いてみた。渾身のロングインタビュー前編。

(インタビュアー: Musicman編集長 榎本幹朗 取材日:2024年6月27日)

プロフィール

DEAN FUJIOKA


2004年に香港で活動をスタート、ライブパフォーマンスや音楽制作を始め、2006年から台湾に拠点を移す。2009年にはジャカルタへ拠点を移し、1stアルバム「Cycle」を自主制作開始。2013年に日本で1stシングル「My Dimension」をリリース。2015年以 降は拠点を東京に置き、国内ライブツアーを重ねる。2019年に2nd アルバム「History In The Making」をリリースし、アジア・ツアーを成功させる。2021年12月8日に3rdアルバム「Transmute」リリース。2021年に自身がプロットを書き“新たな舞台表現”として話題となった「Musical Transmute」を開催し、25,000人を動員。日本でアーティスト活動をスタートさせてから10年が経つ昨年、満を持して、自身初となるベストアルバムリリースと日本武道館単独公演を開催。今年、中華圏への活動を最大限にすべく、B’in Musicから自身も出演するNetflix台湾ドラマ「次の被害者」シーズン2のエンディングテーマ曲「In Truth」を6月にリリースした。さらに台湾盤のベストアルバムもリリース予定。ミュージシャン / 俳優 / モデル / 映画プロデューサー などマルチな才能を誇り、いずれの表現においてもグローバルな視野を持ち、時代に切り込むメッセージを発信している。

 

中華圏を超えてアジアで人気

──Netflixの台湾ドラマ「次の被害者」(S.2)に出演し、エンディングテーマも提供されました。中国語圏以外のアジアからも反応があったと思うのですが、いかがですか?

DEAN FUJIOKA(以下DF):中華圏以外ではベトナムの反応がすごくよかったです。各国での反応を見ていると「どの国であっても人間というのはあまり変わらないのではないか」と感じました。

──思っていたより共通の動きをしますよね。文化人類学の研究でも、文化はそれぞれ特殊であっても根っこでは共通の部分があるらしいですが。

DF:漢字は使わなくなったけど、ベトナムも漢字文化圏じゃないですか。そこを踏まえつつ「この範囲まで一緒にお仕事しましょう」という話が出来るのは、お互い納得感があって良いなと思います。

契約リージョンになぜ中華圏以外の国も入っているのか不思議だったのですが、やはり数字を見たときに「ああ動いているんだな」と実感しました。ベトナムでTOP4に上がってきているので。

──すごいですね。

DF:自分はふだん細かくデータを追ってないのですが、原理は理解しているので、そういうデータが把握できるとフッと腹落ちします。もともと香港でファッションやアートフィルムの仕事を始めて、台湾で芸能界のメインストリームに露出するようになったのですが、確かに、あの頃からベトナムにファンクラブがあったんです。

──台湾時代からディーンさんのファンクラブがベトナムに?

DF:はい。それは20年前の話なのですが当時、台湾のマネジメント会社が中華圏以外の各国に向けて、ビデオコメントを撮って送るわけですよ。オーストラリア、タイ、マレーシアなどなど、そしてベトナムもありました。

当時まだエンタメにおけるディストリビューションを理解してなかったので「数撃ちゃ当たる感じなのかな」と思っていたのですが、今振り返ると「アナリティクスがなかった時代でも、どこに撃てば響くかを分かってやっていたんだな」と実感しました。

あれから20年経って、これだけテクノロジーが発展しても人間は結局、民族やコミュニティが持つ特有の文脈から生まれる趣味嗜好ってあまり変わらない。これまで全く共感できなかったものにいきなり共感する、あるいは、その逆においても断続的な関係性の変化は起こりにくいものなのだな、と。

 

アジア・ツアーのパイオニアとして。現地の深い絆

──少し自己紹介させていただくと僕は12年前、「これからストリーミングの時代になりますよ。そうすると世界の音楽売上が回復するだけでなく、国境を超えて音楽が広がります」と音楽サブスクの旗振り役を業界でやってました。

当時、Spotifyが北欧で伸びていたので音楽売上の回復は確信があったのですが、英語圏以外の音楽が他国で広がる事例はほとんどなくて、そこは半信半疑だったんです。

しかしコロナ禍が終わる頃には日本の音楽がTikTokやストリーミングで国境を超えて広がりだし、海外ツアーを組む邦楽アーティストも出てきた。今では海外進出は現実的な目標となりました。

ただTikTokなどでバズってもすぐ萎んでしまうから、ツアーで現地のファンを固めなくてはいけない。そうすると現地でプロフェッショナルなネットワークを構築しておく必要がある。

それで気づいたのですが、ディーンさんがアジア・ツアーをやったのが2019年で、以前から各国にネットワークを構築していた。「ディーンさんってパイオニアだったんだな」と。

DF:ありがとうございます。

──当時のツアーで現地の反応はいかがでしたか?

DF:「おかえり」という雰囲気でした。過去に一時期、住んでいたり仕事をしていた国ばかりだったので。香港や台湾で芸能界のキャリアを始めて「自分たちと同じ社会で一緒に生きてきたんだな」と伝わるエピソードがあったり。上海でも同じように、僕の出演ドラマを見て育った人たちがLIVEに来てくれたり。台湾エンタメの影響が大きい時代があったので。

中華圏においてはどこへ行っても当時のエピソードを話したり、現地の楽曲カバーを歌ったりすると、込み上げてくる何かを皆で分かち合うような瞬間が多々ありました。

──日本で活動する前から中華圏でキャリアを重ねてきたから、仲間意識を持って下さるのでしょうね。

DF:先週も台湾で三日間の弾丸プロモーションを行なってきたのですが、やっぱりラジオのDJを始め、取材する方々が「久しぶり!」という感じで、日本から来た外タレ扱いではなく「自分たち側の人間」という感じで接してくれる。そういう感覚で中華圏を周った覚えがあります。

──中華圏以外だと?

DF:インドネシア。自分が音楽制作の拠点を最初に持ったのがジャカルタでした。当時は南ジャカルタのチペテにあったバックビート・スタジオに集まっている地元のミュージシャンたちに、自分の溜め込んだギター・リフを聴いてもらって、セッションバンドを組んでジャムって作ったのがDEAN FUJIOKAのファーストシングルとなった「My Dimension」です。

──日本で俳優活動を始める5年前からインドネシアでミュージシャン活動をやってたんですよね。

DF:はい。ジャカルタのプルマタヒジャウにあるリヴィングルーム・スタジオでファーストアルバム「Cycle」を完成させました。

その後の首都ジャカルタの変化がものすごく大きかったので、たとえば当時インターネットが遅過ぎて困った珍エピソードをライブで語すと爆笑するんですよ。「そうそう。つい最近までそうだったよね」という感じで。

そして今は妻と子供がジャカルタに住んでいるので、心から「おかえり」と言ってくれる人たちが一定数いるのを確認できた。そんなツアーでしたね。

──この前、シルヴァンさんというフランス人でアジアの音楽マーケティングに詳しい方に「TikTokやYouTubeで、海外でバズった。次に必要なことは?」と訊いたら「現地にネットワークを持つことです」と。

ディーンさんの場合、これまでの生き様でそれを構築している。その意味で、日本の音楽業界が目指す先にすでにいる印象で、ちょっと他に思いつきません。

DF:参考例があったかというと、無かったです。全部手探り、体当たりで、サバイバルゲーム。ゆえに当時、一緒に日々を過ごした各地の友人たちとは絆が深いです。

──サバイバルを生き抜いた戦友、助け合ってきた友だち?

DF:彼らもそれぞれの道で頑張ってきて、今ではそれなりの立場に付いていて、なんか笑っちゃいますよね。

──みなさん、気が付かないうちに偉くなるものですね。

 

アメリカ留学時代、衝撃だった音楽体験

──僕、ディーンさんって三ヶ国語喋れるし帰国子女だと昔、勘違いしてたのですが違うんですよね?

DF:いえ、福島県須賀川市の生まれです。

──アメリカに行ったのは?

DF:高校を卒業してから留学しました。

──これ、音楽業界の人あまり知らないと思うんですが、アメリカで専攻したのは音楽や演劇ではないんですよね?

DF:ITです。当時はホームページを作れれば仕事になるような時代だったのでウェブ制作はもちろん、他にはデータベース、ネットワークの構築と管理。プログラミングの基礎やタイポグラフィ―とか。ITを全般的に学びました。

──だいたい2000年ぐらい?

DF:そうです。当時、いちばん未開の地だったけど、いちばん大冒険ができそうな業界だと思って自分はITを勉強したんですね。その技能さえあれば世界のどこへ行っても生きていけると思ったので。

──それはディーンさんのその後の生き様に通じるものがありますね。世界のどこへ行っても通用する武器を身に着けて、チャレンジを求めて新しい世界へ行って。

DF:当時、NetflixがまだDVDを宅配でレンタルしていた頃から使っていたし、eBay、PayPal、Amazonの黎明期を一消費者として見ていたから、それがグローバルになって人々の生活を変えていく過程と、自分の社会人としてのキャリアが成長していくタイミングが・・・

──重なってますよね。

DF:当時、学生でラップトップを持ち歩いている人はあまりいなかったんですけど、とあるクラブのイベントに行ったら、長机にミュージシャンたちがラップトップをばあっと並べて、直接キーボードに一つ一つの音源をアサインして演奏していたんですよ。当時、ポータブルのMIDIコントローラーなんてなかったから、それが衝撃的で意識の変革が起きました。

──プログラミングやオフィスワークに使うものだと思っていたラップトップが楽器になっていると?

DF:それからはずっとクラブ活動です。

──それが音楽活動のきっかけだったんですね。ディーンさんの音楽でラップが大事な要素になっていますが、もともとそういう音楽が好きだったのですか?

DF:いちクラバーとして音楽を楽しみに行く感じで、自分の何かの活動に繋げていく意志は特になかったですね。

どちらかというと「こんなサウンドがあるんだ」「この箱にはこういうスタイルの人が多いんだ」「こっちのイベントはダンサー、あっちはスケーターがやっているんだ」「人種構成がイベントごとに全然変わるんだ」とか…。

──音楽を通じて探検しているみたいな?

DF:ひとつの街のなかで文化の違うコミュニティをたくさん見てきた感じです。

 

香港で俳優業へ 常にギターとDAWは持ち歩いていた

──それで香港へは、たまたま旅行で行った?

DF:バックパッカーですね。当時、アジアを周ろうと思って特にゴールを決めてなかったんですけど途中でお金が無くなって「仕事をしなきゃ」と思っていたときに、たまたまモデルの仕事をしないか、と声をかけられて。

香港の湾仔(ワンチャイ)にあったクラブで、オープンマイクのイベントをやっていたので遊びに行ったときです。

──ディーンさんがラップを披露していたら声をかけられたんでしたよね。

DF:「お金もらえるならやるよ」というところからスタートして、他の仕事も同時進行でやってたんですけど、結果エンターテインメントが一番伸びたって感じです。

──もともとエンターテインメントの世界は考えてなかったんですね。ただディーンさんの曲を聴くと、音楽をやっていた印象を受けます。

DF:小学生でピアノ、中学でアコギ弾き語り、高校ではメタルやロックのカバーバンドでギター。アメリカでは大学のジャズバンドでギターや、地元のラジオ番組で弾き語りをしてみたり、という変遷でした。

──それを仕事にしようというわけでなく、楽しくてやっていた?

DF:はい。それと当時、西海岸の学生だったらヒップホップは避けて通れない空気だったのでラップにも出会って。でも「バンドやろう」というよりは、純粋に興味があった。音楽を通したコミュニティの形成って凄く面白くないですか?

──クラブでなくても、ライブでも「こういうファンが集まって、こう盛り上がるんだ」と見ていて感動します。

DF:教会のサンデーサービスで歌っている姿を見ても、みんなが信じるものを身体表現として生理的に具現化している。そういうところに凄く興味を持っていたかもしれません。

──香港でモデル業から映画出演。台湾へ行ってドラマの世界へ。その頃はまだ音楽関係は?

DF:自分で音楽を作って正式にリリースしたのはジャカルタ以降ですが、それまでも常にギターは持ち歩いていて、DAWも早くから触っていました。

香港時代に初めてReasonでビートを組んでビデオアート作品にBGMとして曲を付けたのがキッカケです。そのあと、台湾時代にアーティスト活動のための簡単なデモ制作を始め、それを持ってインドネシアに渡った流れです。

 

Netflix台湾のエンディングテーマを機に中華圏のレーベルへ

──オフィシャルな音楽活動も10年以上、日本語と中国語でベスト・アルバムを出すまでやってきて、昨年は武道館ライブも成功しました。今回、台湾のB’in Musicからリリースするそうですが?

DF:去年に武道館をやるところまでは音楽マネジメントがアミューズ、レーベルがA-Sketchでずっとやってきました。それ以降は自分で会社を立ち上げて、音楽活動はそこに凝縮して、ファンクションごとにアウトソースして緩やかな連携を取って進めてきました。

今回、中国語版のベストアルバムを台湾のB’in Musicから中華圏に向けてリリースして、そこに新曲を2曲入れるのですが、そのうちの「In Truth」がNetflix台湾のドラマのエンディングテーマ曲だったこともあって、先週まで台湾でプロモーションを俳優としてもミュージシャンとしても全部やってきました。

──その前から台湾の方々はディーンさんの音楽にずっと接していた?

DF:ライブもやってきましたし、中華圏のラッパーやシンガソングライターとコラボしてリリースもしてきたので全部中国語の曲もあります。俳優で出演した作品が海外で放映されたときに、主題歌を自分がやっている場合もあります。ラジオ番組で昔なじみの人たちが流してくれたり、というのは今までもありました。

──今回はB’in Musicからオファーが来た?

DF:そうですね。もともとアミューズとB’in Musicでアーティストの交流がよくありました。

台湾にMayday(五月天)という北京オリンピックのメイン会場をも満員にするトップバンドがいるんですが、彼らをアミューズが日本で引き受けたり、逆にアミューズ側のアーティストを台湾でB’in Musicが引き受けたり。

他の会社のアーティストであってもB’in Musicが窓口となって中華圏のリリースやコンサートを手配したり、そういうことが得意なレーベルで、自分もその流れのなかで知り合いました。

今回のNetflixの「次の被害者」シーズン2のエンディングテーマが先に決まって、それをどこから中華圏へリリースしようかという話になったとき、B’in Musicに任せるのがスムーズだったんですね。そこを含めて「一緒にやっていきましょう」という話になっていきました。

──B’in Musicからリリースするお話を知ったとき「ベスト盤も出して、武道館も成功して『一区切りがついたので次のチャプターに行こう』とディーンさんは思ったのかな」と想像したのですが?

DF:「次に行こう」という意識は明確にありました。去年、台湾に二ヶ月滞在してシリーズを撮っている間に、ホテルの部屋で「In Truth」をラップトップで作ったんですけど、、、

──すみません。ドラマ、家で観ている最中なのですが、歌詞が中国語でわからなくて、明日(6月29日)日本語版がリリースなんですよね。「In Truth」の歌詞に込めた意味を教えて下さるとありがたいのですが。

DF:「鏡のなかの自分との対話」が題材です。ホテルにいると必要最低限のものしかない。二ヶ月、部屋では浴室の鏡のなかの自分としか会わなかったりするじゃないですか。それで撮影の合間に曲を作ったのですが、後に「エンディングテーマ曲どうしましょう?」という話になったときに聴いてもらったら「世界観が合っている」とプロデューサーと監督が言ってくれて。

それで「アレンジはこういう感じでお願いできますか」とレファレンスが来て、それと自分が持っていた方向性とのバランスを取って完成させました。

 

日本デビュー前。インドネシアで音楽活動開始

──話を戻すと「次に行こう」と思った明確なきっかけは?

DF:ベストアルバムの曲順を決めるために、これまで作った曲を全部聴いて28曲を選んだのですが、それまでやってきたことを振り返らざるを得ないじゃないですか。音楽的にいろんな形をトライしてきたんだな、と。ジャカルタで始めた頃は音楽を作るってどういうことか、ほぼ何もわかってなかった。

──なぜ、ジャカルタで音楽制作を始めたのでしょう?

DF:妻との出会いがあったきっかけが半分。もう半分はDJ SUMOとの出会いが大きかったです。彼と出会ったからファーストアルバムを完成させられると思えた。まだ当時は日本での活動を始める前だったし、中華圏での音楽制作は固定された型が根強かったので自分のスタイルを探し求めるのは難しいと思った理由もありました。

──ディーンさんにとってインドネシア体験とは何だったのでしょう?

DF:ひとつのアイデンティティを探す旅のようなものだったかな。ジャカルタはカオスで、良い意味でルールがない、無秩序な感じが心地よかったんです。いろんな人種がいて、いろんな民族、いろんな宗教、いろんな文化があって。

シンガポールやインドネシアにいると言語を複数混ぜて喋っていても、多くの人はそれを理解し会話が進む。それが当時の自分のアイデンティティだったから、逆に一つの言語で曲を完成させられないことがあの頃はネガティブに感じることもあった。

──今でも言葉の混ざった曲を作ってますよね?

DF:そうですね。トリリンガルであることを自分のスキルセットとして使いこなすのに時間がかかっただけかもしれない。

──今どきは海外マーケティングのために言葉を混ぜるケースもありますが、ディーンさんの場合は、アメリカ、インドネシア、シンガポールのような多民族国家で生きるなかで自分のアイデンティティを考えているうちにそういう歌詞の作り方になっていった?

DF:というか、それしか出来なかった。当時は自分を日本人と思ってなかったですし。

──そうなんですか。

DF:アジア人だと思ってたから。国籍は日本だけど、自分の肌感では日本社会に属しているなんて到底思えなかった。

でも、アジアン・アメリカンでもない。アジアの各国に行ったら行ったで現地の社会では外国人だし。根無し草みたいな生き方、存在であることを素直に表現すると、それしかなかったんです。文章をひとつの言語だけでピリオドを打てない。そんな脳の状態、精神状態だったので、そこからスタートするしかなかった。

たとえば「Shelly」という曲はフジテレビの月9ドラマの主題歌になったのですが、日本語、英語、中国語の混ざった歌詞が民放のゴールデンドラマに流れることになった。

──初めてラジオで聴いたときディーンさんの曲と一瞬わからなかったです。いろんな言葉を混ぜてるからK-Popなのかな、と。狙ってやっていたことではなかったんですね。

DF:ナチュラルでそういう育ちだったから、それをポリッシュしただけですね。今はちゃんと出し入れができますけど、当時はそういう方法が剥き出しのままでしかなかった。自分のなかで全部日本語で完成させようとしても、どういうふうに表現の域まで達していいかわからなかった。でも、それをポジティブに捉えられるかどうかなのかな、と。

──ポジティブに捉えるというのは?

DF:ソロアーティストとしてずっと活動してきましたが、グループで歌っているみたいになるんです。言語を切り替えれば、マイクリレーして3人で歌っているみたいになる。なぜこのセクションはこの言語で歌うのか、ストーリーテリングの観点から理由を持ってその文脈にしている。それを自分の中で構築することがスキルセットとして出来るようになった。だから今はポジティブに捉えられるようになりました(続く)。

 

▼後半はこちらから!
「これまでのDEAN FUJIOKAは終わった」鬼才がアジアの地平の先に見つめるもの 特別インタビュー後編

 

公演情報(先行予約は10/6まで)

■DEAN FUJIOKA FamBam Link 2024 

[日程]
2024年11月3日(日)大阪 COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール / 17:00開場・18:00開演

2024年11月21日(水)東京 LINE CUBE SHIBUYA / 17:30開場・18:30開演

 

[「DEAN FUJIOKA FamBam Link 2024」最速先行受付] 
受付期間:9月27日(金)12:00〜 10月6日(日)23:59
当落発表・入金期間:10月10日(木)15:00 〜 10月13日(日)23:00

[チケット料金]

全席指定: 9,000円(税込)

[お申込みに関して]
※チケットの先行受付は、「FamBam」アプリをお手持ちの端末にインストールし、会員登録された方がお申込みいただけます。
※同行者様も、公演当日までに「FamBam」アプリのインストールと会員登録をお願いいたします。
※ご入場時、「FamBam」アプリの会員登録状況を確認させていただく場合がございます。お手持ちの端末に「FamBam」アプリがインストールされていない場合、または会員登録をされていない場合は、チケットをお持ちでもご入場いただけませんのでご注意ください。
※おひとりさま1公演につき4枚までご購入可能です。
※複数公演エントリー可能です。
※4歳以上チケット必要、3歳以下入場不可となります。

[公演に関するお問い合わせ]

■大阪公演

キョードーインフォメーション 

TEL : 0570-200-888(平日・土曜 11:00~18:00)

 

■東京公演

ホットスタッフプロモーション

TEL : 050-5211-6077(平日 12:00〜18:00)

公演特設サイト

 

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インタビュワー・プロフィール

榎本幹朗(えのもと・みきろう)

1974年東京生。Musicman編集長・作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。著書に「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)。現在『新潮』にて「AIが音楽を変える日」を連載中。