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第219回 HEADLINE代表取締役・岸本優二氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

岸本優二氏

今回の「Musicman’s RELAY」は株式会社FM802・802編成部部長 「RADIO CRAZY」プロデューサー・今江元紀さんのご紹介で、HEADLINE代表取締役・岸本優二さんの登場です。

ガソリンスタンドのアルバイトから一転、ライブハウスで働き始め大阪を中心に複数のライブハウスを運営。若手発掘のイベント「十代白書」「NEO STANDARDS」「CONTACT!!」や関西に縁のあるアーティストが参加する「KANSAI LOVERS」などを主催し、関西発の音楽カルチャーを全国へと発信し続けているHEADLINE代表取締役の岸本さんに、関西の音楽シーンの未来について語っていただいた。

 (インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗)

 

▼前半はこちらから!
第219回 HEADLINE代表取締役・岸本優二氏【前半】

 

ロックに特化したライブハウスに初挑戦

──その後、江坂で店長として数年修行して2nd LINEに異動するわけですね。

岸本:そうです。江坂に残りたかったんですけど、2001年か2002年ぐらいに大阪市内の福島に2nd LINEが移転することになって、立ち上げからスタートしました。

僕が憧れていたFANDANGOというライブハウスがあって、うちのライブハウスでは作れないような空気を作っていた場所で、何度も見に行っている中で「どうやったらこういう空気を作れるんだろう」ってずっと思っていたんです。当時の下北沢にいるようなバンドはみんなFANDANGOに出ていましたし、それで、2nd LINEではうちで初めての試みとなるロックに特化したライブハウスにしようと決めました。

──初めての挑戦ということで、運営面での苦労はありましたか?

岸本:最初は本当に大変でしたね。地元のバンドとしてPANやSABOTENがいたんですけど、「フェスに呼ばれへんから、一緒にイベント作ってくれへんか」みたいな相談があったり。それで「MASTER COLISEUM(マスターコロシアム)」という大阪野音のイベントを始めたり、「KANSAI  LOVERS」という今も続いているイベントも始めました。そこから、レーベルとかマネジメントを手伝ってほしいっていう人も集まってきて「じゃあ一緒にやろうか」となって、同時期に関西の情報を発信する仕事もラジオ局から依頼が入ってくるようになりました。

──大阪の音楽シーンについて伺いたいのですが、東京とは違う特徴がありますか?

岸本:「KANSAI  LOVERS」って関西のアーティストしか出さないイベントなんですよ。他の地方のイベンターさんに「多分どこの地方もできないですよ」って言われました。もちろんアーティストの数的なものやボリュームもあると思うんですけど、マインドの部分は大きいなと感じますね。

あとはメディアの存在感ですかね。特にFM802のような、音楽とずっと向き合っているメディアが街自体に根付いているのは大きいですね。それと、関西の人って「関西しかできないことをやろう」とする節があるんです。関西だからこそできることを追求する、東京に負けたくないっていう気持ちを自然にまとっているような(笑)。

──具体的にはどんなところに?

岸本:例えば、「MINAMI WHEEL」のようなサーキットイベントですね。ミナミを中心に行われる大規模なイベントで、3日間で1万人以上が回遊するようなイベントになっています。

──「MINAMI WHEEL」はアーティスト新人発掘という意味では、今や東京を完全に上回っていると思います。これって東京では成立しないんですよ・・・最初見た時は「なんでこれができるんだろう」って衝撃を受けました。

岸本:やっぱりFM802みたいな、音楽と向き合い続けているメディアの存在があってこそだと思います。ミナミの話でいうと、街全体との関わりも面白いですよ。もちろん音楽ファン以外の一般の人は「ミナホやってんね」くらいの認識かもしれませんが、アメ村で遊んでいる人が「なんか同じ色のバッジつけてる人いるな」って気付くくらいには文化的にも根付いています。特に飲食店との連携は強くてお店の人たちも一緒にイベントを盛り上げてくれる。そういう街ぐるみの一体感というか、これも大阪らしさかもしれません。

──東京のライブハウスシーンとの違いはどうですか?

岸本:東京はとにかくライブハウスの数が多いですよね。下北沢だけでもあれだけのライブハウスがありますから。大阪のバンドマンが東京に行く時のパターンで、バンドが解散すると「東京で勝負してくる!」って言って上京するんですが最初はバイトから始めて、なかなか音楽活動がうまくいかない。そんな中で東京から戻ってきて、今やメジャーで活躍している人もたくさんいるのでチャンスの数はそれだけ多いと思います。ただ、大阪の方が「地元愛」みたいなものは強いかもしれません。

 

コロナ禍での関西シーンの結束

──前回の今江さんも同じようなことは仰っていました。コロナ禍での経験についても伺いたいのですが。

岸本:ここでも大阪らしいエピソードがあるんですが、コロナ禍で大阪でもクラスターが起きて、大阪府から「ライブハウスとは何か」という調査が入った時になぜか関西のイベンター全社が集まったんですよ。イベント会社、ライブハウス、メディア・・・全部ひっくるめて同じ方向を向いて話しを進められるような状況になって、東京の人に言うと「そんなことあり得ない」って驚かれるんですけど(笑)。

──その時に行政との関係も構築できた?

岸本:そうなんです。大阪という土地柄なのか、行政の方々も「エンタメの灯を絶やさないでおきたい」という想いが強くて、どうすればいいのかを一緒に考えてくれました。行政が中心となって「OSAKA GENKi PARK」というイベントを立ち上げて、そこからライブハウスを少しずつ復活させていく。これって普通なら「やめとけ、やめとけ」ってなるところを、「どうしたらできるか」という方向で考えてくれたわけで。

──そんな中で岸本さんは具体的にはどんな取り組みを?

岸本:ライブハウスの横のつながりを強化しました。実は昔、大阪のライブハウス飲み会をやっていたんですよ。でも段々と新しい人の紹介だけの名刺交換会みたいになっちゃって、自然となくなっていたんです。でも、コロナの時に全ライブハウスの連絡会を作って、僕が窓口になって行政からの情報として時短営業の話とか、協力金の話とか100件近くのライブハウスに一斉配信するようになったんです。

──大阪だけでなく神戸・京都の関係はどうでしたか?

岸本:うちは京都と神戸のライブハウスも持っているので、もちろん京都、神戸の公演情報も共有しましたし、情報交換は密にやっていました。「神戸どうするの?」とか「京都こんな話あります」とか。ただ、やっぱり僕の中の中心は大阪なんです。絶対数が違いますからね。もちろん関西というくくりでみんな一緒に動こうという意識はありました。

──コロナの後には新しい取り組みなども?

岸本:コロナを経て、会社的には大きな変革期を迎えています。今まではライブハウスごとに会社が経営をしていたんですけど、これからは各店舗が独立した会社として運営していく方針になりました。店長たちにも「責任持ってやろう」というメッセージを込めて、一隻の大きな船じゃなくて、小回りの利くボートをたくさん出していくようなイメージですかね。

──では、ライブハウスごとの使われ方も変化してきている?

岸本:アイドルの公演も多いですし、今のライブハウスを支えているのはバンドだけじゃないんです。僕が2nd LINEをやっていた時によく地元のバンドに言っていた言葉があって、「大阪では月に1回しかライブをやったらあかん」って。

──どういう意味でしょうか?

岸本:ライブをやりすぎたらお客さんが減るだけなんです。「お客さんを1年間12回しか呼べないようになるよ、頑張ってワンマンまで持っていこう」みたいな。そうじゃないとインディーズだとネタが切れちゃうので。

 

音楽に携わっていける受け皿を作っておきたい

──ライブハウス以外の事業も展開されているんですか?

岸本:ライブハウス運営のほかには、舞台監督/制作の仕事もやっていますし、アーティストのマネジメントもやっています。今、川崎鷹也というアーティストのツアーのお手伝いもやらせてもらってます。そう言えば川崎鷹也の今の現場マネージャーも大阪の専門学校の卒業だったと思います。

──スタッフの育成についてはどのように?

岸本:「一緒に何かやりたい」じゃなくて、「やらしてください」って言ってくれるようなスタッフになって欲しいと思っていますね。向こうから言われる方が、責任感を持ってくれるというか。例えば、昔大学生の女の子が「こんなイベントやりたいんです」って企画書を持ってきたんです。出演者を見てみたら、「ストレイテナー、ASIAN KUNG-FU GENERATION」って書いてあって(笑)。その当時は「名前聞いたことあるわ」くらいのレベルなんですけど、「この日やってみる?」ってすぐにブッキングが決まったんですよ。それが縁で、その子は今うちの経理として働いてくれています。

──人材育成の成功例ですね。

岸本:今、ライブハウスのことを理解している人が事務的な仕事をやってくれるのは、本当に心強いです。一般募集しても、なかなか我々のビジネスを理解してもらうのは難しいですから。

ライブハウスで働いている子の中には、結婚や出産で辞めちゃう人もいれば、ずっと続けたい人もいる。でも、結婚しても何か仕事はするわけだから僕の会社の経理をやってくれている彼女のように、音楽に携わっていける受け皿を作っておきたいなって思っているんです。

──若手の育成についても力を入れていらっしゃる?

岸本:BIGCATの子たちにも、ライブハウスで働きながらバンドのスタッフをやってもらったりしています。そうやってキャリアの選択肢を増やしていきたいですね。

ずっとライブハウスをやりたい人もいれば、ライブハウスから何か発信したい人もいるので僕みたいにライブハウスを持ちながら、いろんな新しい仕事をやりたいという人も出てきてほしいですね。

 

ライブハウスという場所の価値は変わらない

──音楽業界の未来についてどうお考えですか?

岸本:今、ライブハウスの盛り上がりは確実に曲がり角に来ていると感じています。確かに、バンドをやりたい若者の数も減っていますし、今のライブハウスを支えているのはバンドだけではありません。でも、それは必ずしもネガティブなことではなくて。ライブハウスの新しい使い方を考えていく必要があるということだと思います。例えば社会人バンドの人たちも多くて、彼らは本当にライブが好きで続けている。そういう方々も大切なお客さんです。それに、そういったお客さんはよく飲んでくれますしね(笑)。音楽を楽しむ形は変わっても、ライブハウスという場所の価値は変わらないと思うんです。

──運営面での変化はどうですか?

岸本:うちの会社は20期ぐらいやっているんですが、ライブハウスの業務プラスアルファで、メディアの仕事であり、イベントであり、舞台監督/制作の仕事もやっている。ライブ制作も含めてマネジメントも、音楽に関わる仕事の可能性を広げていっています。

──岸本さんご自身としての目標は?

岸本:自分が信じたアーティストを育てて、大きく成長させることですね。ここまで色々とやってきて、それが一番の喜びだと感じています。でも、何歳まで自分が仕事をやるかっていうのは、極力元気なうちに考えていけなきゃいけないので、ゴールは定めておきたいなと。若い時に考えていた海外旅行にも行きたいですし(笑)。

正直、もう一回やれと言われても時代が違うので同じような事はできないし、僕がここまで来られたのも時代のおかげだと思っているんです。いま働いている子たちが次のことをちゃんと考えられたら、それでいいと思っていて。今の子たちには、今の時代にあった新しい可能性を見つけてほしいので、若い人たちが新しいことにチャレンジできる環境を作るのが、今の自分の役割かなと思っています。

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